今日は「関心」について書いてみたいと思います。

 

「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」

と言ったのは

マザーテレサでした。

 

この基準からみると

「無関心」から「関心」に

心の範囲を広げていくことは

愛の範囲を広げていくことにつながりますよね。

 

20代の頃

私はこの言葉に「はっ」とさせられて

ほんとにそうだ

もっといろんな人や物事に

「関心もたなくちゃ」

と思って頑張った時期があった。

だけど

 

関心もてばもつほど

「どうしたらいいんだろう」と思ってしまうようなことが

「どうにもできない」と思ってしまうようなことが

増えてきた。

 

世界のどこかで行われている戦争

マンションの部屋から叫ぶように泣いている子供

うつで学校を休むクラスメイト

 

みんなが笑って

幸せに生きられたらいい

そんなの理想に過ぎないんじゃないかって

 

だけど

そんな否定的な考えはダメだから

義務感のように

まわりのために

お役に立てるように

私が必要とされているところを探し求めて

動いてしまったりして。

 

そんな状態が続くと

心の中にブラックホールのような空虚感がわいてきて

疲れはてた結果

何も関心を持ちたくなくなってくる。

「報われない」とか

「どうせ関心ないくせに」とか

行き場のない怒りとかに

変わってきたり。

 

だからどこかで

私は

「愛がない存在なんだ」

と思ってた。

だから

「愛をもてるようになりたい。愛を与えられるようになりたい」

と思って頑張ってた。

 

ないものを、頑張って頑張って

求める世界。

 

ゲームの罠みたいなものに

すっぽりはまっていた。

 

それが

すべての根源と出会って

ひっくりかえった。

愛はすでに無限にあった。

 

ないと思いこんできた

その考え、気持ちが、どこから生まれてきたのか

その仕組みが観えてきたら

なんだ

私はこの小さい考えの中でグルグルはまってたんだねって

そんなことも愛しくなってくる

人間が愛しくなってくる。

 

頭でいっぱい条件つけて考えて頑張ってきたこと

形状記憶になってるから

くりかえすけどね

そんなことも笑えてくる。

 

だから今は

関心って

「一番最初の一番小さいところを大事にすること」

から始まるのかなと思う。

「ある」「ない」とか

「知ってる」「知らない」とか

相対の世界、

部分の範囲の条件がある世界では

ずーっと終わりなき

「足りない」「わからない」

が出てくる。


だけど相対が生まれる前の「絶対性」

つまり「根源」から始まると

そこには全てが含まれていく。

「一番最初の一番小さいところ」が

「一番最後の一番大きいところ」

につながっていく。

 

だからまずは

「自分の心が何を感じているのか」

その認識の仕組みに、心の感覚に

関心を持つことから。

 

ほんとうは、みんな世界を変える力を持ってる。

そんな自分の力に関心をもって。