コロナ以前で面会自由だったころは、老人ホームに定期的に通っていました。

 

もちろん行かなくてもまったく問題はありません。基本的にホームにおまかせしておいて構いません。もし何かあればホームの方から連絡をしていただけますし。

 

じっさい、仕事の都合などから日中に通えない方も多いでしょう。

 

なので、「通える環境にいるなら」という感じで読んでいただけると幸いです。

 

 

定期的にホームに行っていた目的は、だいたいこんな感じ。

 

・生活や健康状態に問題はないかの確認

 困っていることや希望を聞きます。また、日頃から職員さんと会話して馴染んでおくと、ちょっとした異変などについてもこまめに知らせてくれます。

 職員さんとのコミュニケーション、これ大切!

 

・好物の差し入れ

 ホームの食事だけだと、どうしても単調になりがちです。

 ホーム側でも毎月イベント食を実施するなど工夫してくださっていましたが、それでも基本同じ場所で作っているため味付けなど同じ。飽きるのは仕方ありません。

 なので、たまには好きな食べ物や、季節ごとの美味を差し入れて、生活に抑揚をつけてあげるといいでしょう。(有料老人ホームだと、よほどのことがない限り食べ物に関して何か言われることはまずありません) 

 

・コミュニケーション

 他の入居者の方と仲良くなってからも、やっぱり「気の置けない家族といろいろ話をしたい」という気持ちは大きいようでした。(他人には言えないこともありますよね)

 なので、とくに話題がなくても話をすることが大切だと思います。コロナ下で直接話ができなくてもネットや電話で話をしましょう!

 

 

(現状では難しいけれど)

マッサージはいろいろ捗る

 

 コミュニケーションと体調確認がまとめてできるのが、「マッサージ」。

 

 寒い冬場は、高齢者にとって血行が悪化する危険な時期です。血行が悪くなったせいで足がむくんだり、静脈が浮き出てコブ状になったり…放置しておくと重大な病気に繋がりかねません。

 

 それと、身体に触れてささいな健康状態まで確認しながら話すことは、とても大切だと思います。

 健康状態もみながら(体調が悪い時にマッサージすると逆に悪い影響が出ることがあるので注意が必要)、適度なマッサージをしてあげましょう。

 

 とくに入浴日にしてあげると効果も期待できますね!

 

 

長くなったので、マッサージ関連についてはまた後日。

 

 

昨夜は肌を切るような冬晴れだったのでまさかと思ったのですが

早朝外を見ると、外が白くなっていました。

 

 

とは言っても、ベランダに積もってるのを見ても積雪量は1㎝ぐらい?

道路もうっすら白くなっているレベルで、陽がさすとあっという間に溶けてしまいました。

 

山間部に行くともっと深刻なのでしょうね。

 

まだまだ2月まで厳しい寒さが続きます。

コロナはもとより、インフルエンザにも気をつけたいですね。もちろんただの風邪も。

私が住んでいる地域では雪は降っておらず「とにかく寒い(というか凍える)!!」だけなのですが、京都市内など都市部でも積雪が多くなってきているみたいです。

 

十分な対策をして、乗り切ってください。

とくに雪慣れしてない地域の方は、転倒事故などにもくれぐれも気をつけて。

 

 

冴え冴えと晴れ渡った冬空に細い三日月が。

スマホのカメラだと細く見えないのが難点です。

 

 

ところで、「月」の異名には、「十六夜」「寝待月」「立待月」などいろいろありますが、ずっと「三日月」=「弓張月」だと思っていた私…

 

「弓」の形だけを意識していたせいかなあ。

正しくは、しなった弓の曲線と張った弦の直線とが作る形なので、「半月」を指すそうです。だから「弓張」なんですよね、たしかにそうだ。

 

ちなみに、「立待」(立って待っているうちに月が出る)→「居待」(座って待っている)→「寝待」(寝転んで待っている)の流れは結構しゃれてて好きです。

 

 

望月と朔月も美しい表現だと思いますが、一番きれいなのはやっぱり「有明月」かな。

 

 

最後に「有明月」で有名な和歌を2つほど

 

 今来むと 言ひしばかりに 長月の
     有明の月を 待ち出でつるかな

         素性法師 百人一首21  「古今和歌集」恋4・691

 

 ■適当な現代語訳■ 

  「すぐ行くよ」ってあなたが言ったから寝ずにずっと待ってたのに

 (いつまで経っても来ないじゃない!約束したくせにひどい)

  気づけば長い夜が明けて、有明の月が出てるわ…ショック…

 

 

 有明の つれなく見えし 別れより 

       暁ばかり 憂きものはなし

          壬生忠岑 百人一首30番 「古今和歌集」恋・625

 

 ■適当な現代語訳■ 

   明け方の月がしらじらとそっけなく見えた。

  (あの月と同じように)こないだ訪ねた時の帰りぎわ、

   彼女もなんか冷淡でそっけなかったなあ…はあ…

   あれから俺は、(その時のことがフラッシュバックして)

   夜明け前の時間ほど憂鬱に感じる瞬間はないんだ。

 

 

「夜明けに見える月」だけに、恋に関する歌が多いのでしょう。

 

 

 

ダログのタイトルを、SFが好きな方ならすぐにピンと来るであろうタイトルに変えました。

 

元ネタは「たったひとつの冴えたやりかた」という短編SFです。

 

 

この傷み具合が歴史を物語る…

(当時の挿絵は川原由美子さん。漫画家の表紙はあまり好きではありませんが、この表紙は

好きだったなあ)

 

昭和62年秋(1987年)に発行されたハヤカワ文庫の小説で、作者はジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

 

今でも大好きな小説です。

 

が。

 

なにより、小説巻末にある翻訳者・浅倉久志さんの「訳者あとがき」(ちなみにSFの翻訳者としてトップクラスに好きなのがこの浅倉さんでした)を読んで、ものすごく衝撃を受けました。

 

・作者が実は女性であったこと

当時のSF界では新進気鋭の男性作家として認知されていたそうです。私も名前から疑うことなく男性だと思い込んでいました。

 

・本作が発行される少し前に夫と心中死していたこと

浅倉さんが本作を翻訳していたさなか(1987年5月)、ティプトリー・ジュニア(本名アリス・シェルドン)は、ずっと寝たきりだった(アルツハイマーと失明を抱える)80代の夫を射殺し、自分も同じベッドの上で頭を撃ち抜きました。彼女自身(70代)も心臓に病を抱えていて、「いつかは」と以前から2人の間でそういう約束をしていたそうです。

発見された時、手を繋いで亡くなっていたとか…

 

 

「たったひとつの冴えたやりかた」は、16歳の好奇心旺盛な少女と異世界生命体の友情と行きつく先を描いた短編です。哀しいながら透明感と爽快感に溢れていて、「泣ける」と一言では片づけられないエモーショナルさがあります。ちょっと難しい用語もありますが、本筋はいたってシンプルなので、ぜひ読んでみてください。

 

何よりも本作のテーマは「死は終わりではない」だと思っています。

…と書くと結末が推測できてしまいますが…とにかく、死ぬ=絶望ではないと。

 

ティプトリー(アリス)も死を選択したけれど、それは決して不幸でも絶望でもなかった。そう思いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物品を整理していたら昔の写真がけっこう出てきたので。

載せてみようシリーズ。

 

まずは1枚目。

小学生~中学前半当時なので40年(…!)以上前。

昭和後半の写真です。

 

 

愛犬「ラン」。柴犬の女の子です。

成犬になってもかなり小柄だったので、いわゆる「豆柴」だったのかも。

 

 

父が知り合いのブリーダーさんから譲ってもらったとのことで、やたら立派な血統書に驚いた記憶があります。

 

「貴・輝・綺・姫」的きらびやかな「き」の字がずらり並んだ、「きききっき号」みたいな名前でした。

今でいう「キラキラネーム」ですね。笑

 

犬の正式な名前には「号」がつくんだ!と知った瞬間でもありました。

 

 

「ラン」という名前は、たしか私が命名したと思います。

 

家に来た時の荒くれっぷりから「ラン(嵐)」と名付けたのですが、その名にふさわしい荒ぶる姫へと成長したのでした。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

雨など天気が悪くなると体調が↓します。

身体がだるくて頭痛もする。

 

体調の悪化で、天気の悪化が予測できるレベル。笑

 

やはり気圧のせいなのでしょうか?

昔、自律神経やられたことがあるのでそれも関係しているのかも。

 

神経を整えるマッサージや入浴などが効果があるそうです。

一番は「規則正しい生活」

…ですよね。よくわかってるんですが、しんどくて起きれないんですよ…

 

そういう時は気温だけでなく湿度も図れると重宝します。

あらかじめ体調変化を把握できれば、精神衛生的にもちょっとだけ安心できます。

 

タニタの温度・湿度計は湿度表示が可愛くて良き。

 

 

親の介護と自分の老後については、本当にしっかり考えないとだめですね。

…という失敗例がここに。笑

 

お金も尽きたしメンタルも尽きた。

 

自分ではちゃんと考えてたつもりだったんだけどなあ…

 

 

敗因

・当時の母の弱り方からみて「老人ホームに入って1、2年か、3年もてば奇跡だろう」と思っていたけれど、実際は8年近くもったこと。

 平均よりひ弱で病気がちだったのに、結果として平均寿命より長生きでした。

 

 「長生きしたことを喜ぶのではなく、マイナス要因としてとらえるなんて!」と怒られそうですが、かかったお金が3倍近くに膨れ上がったわけで。やっぱりリアル(現実問題)は大きいのです。

 

その分長く親孝行はできたと思うのですが、やっぱりキツイ。

 

万が一のことを考えて(入院・手術など緊急の出費も想定して)5年分くらいの金銭的余裕はみていたのですが、それ+3年で、貯金も全部尽きました。

 

 

介護でメンタルと身体がボロボロになってもリタイア(退職)しなきゃよかったなあ、とか。

でも、介護休暇が周知されておらず、理解もあまりなかった頃だったしなあ、とか。

(産休育休に比べると今でもいまひとつ認知度が低いと思います)

 

これから介護にかかわる方には、何があっても離職しないで!と言いたいです。

(仕事と介護の両立はほんとうにしんどいので、休暇を取って欲しい)

お金はあって困ることは無いからね!って。

 

当然周囲の人に皺寄せなどの迷惑はかけるだろうけど、大多数の人が同じ道をたどることになるのだから、遠慮せずに制度を最大限活用してほしいと思います。

 

 

ことってありませんか?

 

かの信長が好んだ「敦盛」に

 

 人間五十年、化天*のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

 

という有名な一節があります。

 

*「化天」とは、六欲天(仏教でいう三界のうちの「欲界」という世界)の第五位の「世化楽天」で、そこの1日は人間界の800年にあたるそうです。「下天」だと50年だとか。どちらにせよ、人間の一生に比べると果てしなく長いということでしょう。

 

もちろんこの時代の平均寿命は、わりと良い食事をしていたであろう権力側の武士が40歳、一般庶民が30歳くらいだったそうです。その頃は乳幼児の死亡率がとても高かったせいもあるでしょうが、乳幼児期を乗り切った人の寿命も60歳ぐらいらしいので、私なんて、当時からするともう寿命を迎えてもいい頃合いかもしれません。

 

じっさい、50歳を超えるとどんどん身体もガタついてくるし。

 

そう思うと、先に横たわる面倒事を投げ出して、一刻も早く店じまいしたいと考えてしまいます。

母がホームにいた大半はコロナ以前だったので、入居者同士のイベントもあり、もちろん家族の面会も問題ない状況でした。

 

ところが、ここ数年はコロナ対策で、食事も集団ではなく個食化され、イベントも自粛、面会もままならないのが常態化しています。

 

仕方ないこととはいえ、高齢の方にとってはあまりよくない状況ですよね。

 

他人との接触が減り、自室で1人過ごす時間が増えるため、認知症などが進みやすくなります。

外出など歩く機会が減るため、身体も弱ります。

 

母もそのせいで急速に弱った印象があります。

 

 

もちろん、ホームの方でもできるだけ対策は考えてくださっていると思いますが、できることは限られてしまいます。

 

じゃあ、家族として何ができるか?

 

・スカイプなどオンラインで互いの顔を見て話ができる環境をつくる

 高齢の方ご自身でスマホやタブレットのセットアップするのは大変なので、ご家族がやってあげて、可能なら最初に使い方を教えてあげるといいと思います。(もちろんホームに許可がでれば、ですが。アクリル板越しにでも直接教えてあげられたらベストですね)

 

・上記が難しいときは、定期的に電話して話をする。

 「会話」はとても大切です。日々のことを色々聞き記憶を掘り起こすことで、ご本人の惚け防止にも役立ちます。できたら毎日、ほんと数分でいいので電話してあげてください。

 

・入居者の好物を差し入れる・職員さんと話をする。

 現在もほぼ原則面会謝絶だと思いますが、差し入れなどは可能な場合もあります。入居者の方の好物や趣味のものなど、刺激を与えるものを差し入れてあげるといいですね。

 また、職員さんと顔馴染みになっておくと、少しの変化などもこまめに教えてもらえます。ホームの規則に従って、迷惑をかけない範囲で訪問するようにしましょう。

 

 

このあたりは、くれぐれもホーム側と相談して、問題を起こさないように配慮してください。

 

 

 

 

 

 

今から15年以上前の2006年、「長年にわたる介護に行き詰まった結果、年老いた母との心中をはかるも50代息子は死にきれずに逮捕された」という事件京都伏見介護殺人事件」がありました。

 

裁判官も判決を下すときに涙したというこの事件、いまさら知ったのですが、執行猶予が付いた後、いつごろかは不明ですが琵琶湖に身を投げて亡くなっていたそうです。

 

 

 「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。

 

 

…悲しいなあ。心境を想像するだけで泣けてくる。

 

この方は最後までずっと在宅介護をされていたらしいので、苦労は比べ物にならないと思いますが、それでもわりと似たような状況だけに、本当に胸が痛みます。

 

「そうなる前にどこにでも助けを求めなさい」と言われるのでしょうが…いろいろと事情があります。意外と相談できる相手がいなかったり…

 

 

なによりも、大変な思いをした最後の最期までお母様に変わらない愛情をもっていたこの方を尊敬せずにいられません。

 

親族介護の場合、介護される側も身内に対する気安さもあってか我儘にきつく当たることが多いです。感情の起伏も激しくなり、癇癪を起しやすくなります。暴力を振るったりすることすらあります。

 

当人としても、身体が思うように動かない苛つきもあるのでしょう。それでも、必死に介護している側からすると、報われない、やるせない気分になります。

 

おそらくこの方も、そうした経験を何度もしたことでしょう。それでも「もう一度母の子に生まれたい」と語った愛情深さに頭が下がります。