プロフィールにも書いてあるけど、ボクはむか~し昔のPC-8001からパソコンに触っているんだ。
考えてみるとキーボードが大好きな小学生だったと思う。母親が持っていたタイプライターから始まって、そのあとにちっちゃい液晶がついたブラザーの電子タイプライターを使っていた。小学生のボクだから、特に用事があるわけでもなく無意味にフランス語の教科書をはじめからただ写していたのを覚えてる。英語にはない特殊な記号がフラ語にはあって、電子タイプライターでちゃんと入力が出来て感動したものだ。
何せキーボードを素早く入力している様を「格好いい!」と思っていたんだから、当時としては変な小学生だったよね。
そのあとPCに触れるんだけど、PC-8001ではグラフィックが全然しょぼくて結局PC-8801へ移行。当時、とても高価だった「マイコン」を「これからはコンピューターの時代だから」といって買ってくれた祖母に感謝しつつも、プログラミングやマウスでCGを書いていた。低解像度のモノクロ環境で、エアブラシ機能を使って「ザク」とか書いていたのを覚えてるよ。1980年代の中頃にはそんなことをやっていたんだ、ちょーオタクっぽいね。
パソコンで、音楽もやりたかったんだけど、確か音源ボードが高くて、ちゃんとやるにはそのほか色々と買わないといけないものが多くて・・・あきらめたんだ。で、仕方なくBeep音だけで音程をかえることができる方法を見つけて、ふにゃらふにゃら。
1980年代のマイコンブーム時にはソフトのレンタル屋さんがあってね、海外のソフトも店頭に並んでいたんだ。で、それらのソフトには当然のことながらプロテクトがかかっていて、これまた当然のようにプロテクトを外したりプロテクトもろともコピーするソフトが存在していたんだ。「青柳君」とか「BabyMaker」とか・・・。今みたいにライセンス認証なんて出来ないからね。
その後DOSなんていうのが出てきて、Windowsは、3.0から触ったね。あっという間に3.1に変わっていった。このときにはもう大学生だったけど。Netは、ニフティサーブとかPC-VANとかのクローズドなもので、AOLなんていうのも存在は知っていた。メモリが64MBもあると起動時のメモリチェックに時間がかかり、その待ち時間がステータス的な存在で、IntelのCPUにはDXとSXがあって、演算機能の貧弱なSXは別途コプロを買ってマザーボードに取り付けたものだ。
修士論文は、当時としては珍しくPageMaker(当時はアルダス社)を使って「切り貼り」なしで、提出した。確かプリンタへの印刷ボタンを押してから出てくるまで15分くらい待ってから「出始めた」ような記憶がある。
そんな中で、Windows95からXPまではPCを使っていた。IE4.0がActiveDesktopという機能をもって出てきたあたりは、かなりOSが道具として進化する可能性をいっぱい見せてくれていたんだ。XPが出始めたころまでは、何かとワクワク感がいろいろとあったものだ。
それが!いつからかPCがつまらないものに感じて来て、白黒液晶のiPodを買ってから1ヶ月後にはPowerBookG4を使っていたんだ。だって、メールを書いていてもWEBを見ていても、ただメモを取っていても楽しい!それでいて安定もしているし、その後数年の進化で使うこと自体が負担にならない「家電」の領域に入っていったmacから離れられなくなった。
昨年のLeopardなんてあんな未完成なOSながらも毎回のアップデートで修正していく様を楽しみながら使えるって、ワクワクする気持ちがなければ使わないよね。
何よりも今では母も父も叔母さんまでもmacを使っている。これがmacの使いやすさを説明するときのボクの台詞。孫との会話もiChatやSKYPEが当たり前、音楽も写真も映画もmacでやる。
appleのワクワク感は、まさに1980年代の頃に感じていたものに近いんだ。これがあれば何でも出来る!そんな気になるものを作ってくれるんだ。
とりあえず、これがボクのキーボードとの長いお話だ。続きは、後半として次の20年後にね。
考えてみるとキーボードが大好きな小学生だったと思う。母親が持っていたタイプライターから始まって、そのあとにちっちゃい液晶がついたブラザーの電子タイプライターを使っていた。小学生のボクだから、特に用事があるわけでもなく無意味にフランス語の教科書をはじめからただ写していたのを覚えてる。英語にはない特殊な記号がフラ語にはあって、電子タイプライターでちゃんと入力が出来て感動したものだ。
何せキーボードを素早く入力している様を「格好いい!」と思っていたんだから、当時としては変な小学生だったよね。
そのあとPCに触れるんだけど、PC-8001ではグラフィックが全然しょぼくて結局PC-8801へ移行。当時、とても高価だった「マイコン」を「これからはコンピューターの時代だから」といって買ってくれた祖母に感謝しつつも、プログラミングやマウスでCGを書いていた。低解像度のモノクロ環境で、エアブラシ機能を使って「ザク」とか書いていたのを覚えてるよ。1980年代の中頃にはそんなことをやっていたんだ、ちょーオタクっぽいね。
パソコンで、音楽もやりたかったんだけど、確か音源ボードが高くて、ちゃんとやるにはそのほか色々と買わないといけないものが多くて・・・あきらめたんだ。で、仕方なくBeep音だけで音程をかえることができる方法を見つけて、ふにゃらふにゃら。
1980年代のマイコンブーム時にはソフトのレンタル屋さんがあってね、海外のソフトも店頭に並んでいたんだ。で、それらのソフトには当然のことながらプロテクトがかかっていて、これまた当然のようにプロテクトを外したりプロテクトもろともコピーするソフトが存在していたんだ。「青柳君」とか「BabyMaker」とか・・・。今みたいにライセンス認証なんて出来ないからね。
その後DOSなんていうのが出てきて、Windowsは、3.0から触ったね。あっという間に3.1に変わっていった。このときにはもう大学生だったけど。Netは、ニフティサーブとかPC-VANとかのクローズドなもので、AOLなんていうのも存在は知っていた。メモリが64MBもあると起動時のメモリチェックに時間がかかり、その待ち時間がステータス的な存在で、IntelのCPUにはDXとSXがあって、演算機能の貧弱なSXは別途コプロを買ってマザーボードに取り付けたものだ。
修士論文は、当時としては珍しくPageMaker(当時はアルダス社)を使って「切り貼り」なしで、提出した。確かプリンタへの印刷ボタンを押してから出てくるまで15分くらい待ってから「出始めた」ような記憶がある。
そんな中で、Windows95からXPまではPCを使っていた。IE4.0がActiveDesktopという機能をもって出てきたあたりは、かなりOSが道具として進化する可能性をいっぱい見せてくれていたんだ。XPが出始めたころまでは、何かとワクワク感がいろいろとあったものだ。
それが!いつからかPCがつまらないものに感じて来て、白黒液晶のiPodを買ってから1ヶ月後にはPowerBookG4を使っていたんだ。だって、メールを書いていてもWEBを見ていても、ただメモを取っていても楽しい!それでいて安定もしているし、その後数年の進化で使うこと自体が負担にならない「家電」の領域に入っていったmacから離れられなくなった。
昨年のLeopardなんてあんな未完成なOSながらも毎回のアップデートで修正していく様を楽しみながら使えるって、ワクワクする気持ちがなければ使わないよね。
何よりも今では母も父も叔母さんまでもmacを使っている。これがmacの使いやすさを説明するときのボクの台詞。孫との会話もiChatやSKYPEが当たり前、音楽も写真も映画もmacでやる。
appleのワクワク感は、まさに1980年代の頃に感じていたものに近いんだ。これがあれば何でも出来る!そんな気になるものを作ってくれるんだ。
とりあえず、これがボクのキーボードとの長いお話だ。続きは、後半として次の20年後にね。