『いらっしゃいま、・・・、あ、、・・・。』
店の扉を開けるとグラスを拭いていた手越が俺を見てその手を止めた。
『何?なんか用?』
「相変わらずな対応だなぁ。その口のききかたでよく客商売やってられるな?だからだぞ?この店も相変わらずなのは。」
こう言って店の中を見てみる。
カウンター、テーブル席。
どこにも客の姿はない。
「相変わらず客がいない。」
『大きなお世話。放っといてくれ、・・・、ってそんなことより、・・・。』
吹いていたグラスをキャビネットへしまった手越はカウンターから出てこっちへやって来た。
『いらっしゃいませ。』
カウンターから出て来た手越は俺の隣に立つ莉夏さんにおじぎをした。
『莉夏さん、・・・、ですよね?』
顔を少しあげて手越が莉夏さんを見る。
『やっと会えた。光栄です。』
『えっ、・・・、あの、・・・、』
手を差し出した手越に莉夏さんが驚く。
「待て待て、・・・、なんだ?その態度は?俺とえらい違いじゃないか?」
『いやー、だってそうでしょ?彼女はお客さん。慶ちゃんはお客じゃねーもん。』
「おい。」
『初めまして。手越って言います。一応この店のオーナーです。』
俺を無視して手越は差し出した手をさらに伸ばす。
『あ、・・・、はい。』
『あはは、・・・、そっかそっか、・・・。』
差し出された手越の手をそっと取った莉夏さんを見て手越は大きな声で笑う。
『うん、うん、分かるわ。よーく分かる。』
「何がだよ?」
『何がって、決まってるじゃん。慶ちゃんがなんでこの人を好きになったのか。』
「てっ、・・・、手越!」
本人を目の前にしてはっきりものを言う手越に焦る。
『なるほどねぇー、これまで仕事しかしてこなかった慶ちゃんがない知恵絞って頑張るワケだ。努力を惜しまないワケだ。』
彼女を上から下までジロジロ見て手越はニコッと笑った。
『よくいらしてくださいました。慶ちゃんは俺の学生時代先輩なんですよ。もう学生時代から慶ちゃんにはお世話になりっぱなしで。その慶ちゃんが好きになった方とこうしてお会いできるなんてほんとに光栄です。』
「やめろ。」
『ん?なんで?』
「誰が学生時代からお世話になりっぱなしだって?思ってもないこと口にするな。」
『えー、ヤダなぁ、俺は世話になったって思ってるよ?慶ちゃんは俺の大事な先輩。感謝してもしきれない。』
「ああー、もういい。ほんっと、やめてくれ。」
やっぱり間違ってた。
彼女をここに連れて来たこと。
さっきカフェでコーヒーゼリーを前にした彼女の姿はゴマ饅頭を渡したときの姿と同じだった。
そして親父さんの店でテレビで紹介されたと書かれた紙を目にしたときと同じ姿だった。
気になって仕方がなかった彼女の、・・・、莉夏さんの姿。
きっと何かある。
でもそれを尋ねることができないまま俺は彼女をこの店に誘った。
この手越の店、賑やかな手越がいる雰囲気の中でなら聞きたくないことを聞いたとしても堪えられると思ったから。
そしてもう一つ。
さっきカフェで言いそびれたことを伝えたかったから。
でも、やっぱりここに来たのは間違いだったみたいだ。
『ぷ、・・・、ふふ、・・・。』
ここに来たことを後悔し始めていたら莉夏さんは突然クスクス笑い始めた。
『ふふ、・・・・・・、ほんと、違うんですね?』
「・・・、え?」
『仕事してるときと、そうじゃないとき。そしてこうして手越さんとお話してるとき、・・・。全然違う。』
莉夏さんはクスクス笑って、手越に頭を下げた。
『こちらこそ光栄です。小山さんが大切に思われてる後輩の方にお会いできて。』
『うわー!、そう言ってもらえるとマジ嬉しい。ありがとうございまーーす!』
「お前なぁ、いい加減にしろよ?」
いつもの調子の手越を睨む。
「今日はカウンターじゃなくてあっちにするから。」
ひとしきり手越を睨んだあと、俺は店の奥のテーブル席に視線をやった。
『えーっ!なんでさ?』
「決まってるだろ?お前が真正面にいちゃ大事なこと落ち着いて話せないからだよ。」
そう言って俺は莉夏さんを奥のテーブル席へ促した。
『小山さん、私は別にカウンターでも、・・・、』
『ほら、慶ちゃんの好きな莉夏さんがそう言ってくれてるから、・・・、』
「絶対イヤだ。お前がいないところでゆっくり話す。あ、・・・、飲むものはお前に任す。適当に持って来てくれ。」
『はーーっ?自分のこと客扱いしてもらってないっつったけど、俺のことはどうなんだよ?俺だってオーナー扱いされてねーぞ?』
背中に聞こえる手越の賑やかな声を無視し、俺は莉夏さんと一緒に奥のテーブル席へ腰を下ろした。
『ふふ、・・・。』
「そんなにおかしいですか?」
席についてもクスクス笑ってる莉夏さんに聞いた。
『いいえ、違うんです。』
莉夏さんは口元に手をあてたまま言った。
『いいなって思ってるんです。小山さんと手越さんの関係っていいなって。お二人の姿見てたら私も幸せな気持ちになりました。それに嬉しいなって、・・・、』
「嬉しい?」
『はい。私がまだ知らない小山さんの姿が見れて嬉しいなって、・・・。』
跳ねる。
今の莉夏さんの言葉。
それを聞いた俺の心が高く跳ね上がったのを感じた。
「・・・、莉夏さん、・・・、」
『はい?』
「一つだけ僕の願い、聞いていただけますか?」
今なら大丈夫。
まだ知らない俺の姿が見れて嬉しいと言ってくれた今なら。
コーヒーゼリーを前にしたときの姿。
ゴマ饅頭を渡したときの姿。
親父さんの店でテレビ局が取材に来たという張り紙を目にしたときの姿。
あれは全部俺の気のせい。
気になって仕方がなかった彼女の姿は自分の気のせいだと、このときの俺は思った。
いや、無理にそうだと思い込もうとしていた。
まだ知らない俺の姿が見れて嬉しいと言った彼女の姿の方が正しいんだと思い込もうとしていたんだ。
でもこのときの俺はそれが間違いだと気付いてなかった。
最初に思ったとおり、俺が目にした彼女の姿は気にしなきゃダメだったんだ。
ゴマ饅頭を見たときの彼女の様子。
行きつけの居酒屋のレジ横に貼ってあった紙を目にしたときの彼女の表情。
居酒屋にタレントが来たのはいつのことか、と親父さんに尋ねた彼女の姿。
こんな彼女を見て何かあると、直感した自分を信じた方がよかったんだ。
でも間違いに気付いてなかった俺は彼女に二枚のチケットをテーブルに置いていた。
「ここに一緒に行っていただけませんか?」
テーブルに置いた二枚のチケットを彼女の方へ近づける。
「実はさっきカフェで話そうとしてたことはこれなんです。」
-日常から離れたところで朝から夜まで一日彼女と二人で過ごせ。-
非日常的な場所で非日常的な時間を莉夏さんと過ごす。
手越が言った言葉に俺が考えた日常から離れたところ、それは誰もが知ってるテーマパーク、・・・。
『***ランド?』
テーブルに置いたチケット、・・・、一般的にパスポートと呼ばれるものを見たあとその目を俺に向けた。
「これまで仕事終わりの食事とか、莉夏さんを家まで送るとか、僕の好きなスイーツを食べるためのカフェめぐりとか、・・・、あまりデートらしいデートをしてこなかったので、今度はきちんとデートらしく過ごせるところへ行ってみようかな、・・・、と。」
頼む。
イヤだと言わないでくれ。
俺と一緒にそこに行ってくれ。
まだ知らない俺の姿が見れて嬉しいと言ってくれた今なら大丈夫だと思ったのに、やっぱりどこか自信がない自分がいる。
祈るような気持ちで彼女を見てると彼女は、・・・
『いつですか?』
そう言って微笑んだ。