私の高校時代、モーニング娘。が全盛期を迎えていた。
asayanという番組の中で行われる新メンバーのオーディションや育成風景が、多感(であったろう)な私は心踊らせていた思い出がある。
モーニング娘。が生まれるまでの数年間(下手したら十数年間)は、アイドル冬の時代ではなかったろうかと思う。
私の従兄弟が10歳以上年上なのだが、彼らはおニャン子クラブとか昭和のいい時代のアイドルをリアタイで見れていたのだが、私達はそこまでアイドルを感じたことはなかった。
男性アイドルでは、光GENJIが最盛期だったのが小学生の高学年くらいなんじゃなかったろうか。
ちなみに、私はジャニヲタでもあるのだが、私はずっとSMAPを推していた。
ちなみに、私は母の影響もあって工藤静香さんが好きだった。
そんな推し同士が結婚するとか、聞いてねぇよって当時の多感な私は叫んでいたように思うが、それは別の話。
閑話休題。
そんな、思春期に推せる女性アイドルが不在のままだった私に、降って湧いてきたのがモーニングだったわけだ。
昭和アイドルの、所謂、『スター』としての憧れがあった中で、モーニング娘。は『普通の女の子がアイドルに、スターになっていく様』が見れる当時としては衝撃的なコンテンツだったんだろう。
TV番組としてのコンテンツ力もあるが、プロデューサーのつんく♂さんの手腕も大きかったのかもしれない。
2期、3期、その後も黄金期を支えたメンバーは全て番組の中で見てきた子達なので、自然と応援してしまう。
『視聴者参加型』を感情移入というものに変換できた好事例なのかなと思う。
昨今、韓国を筆頭にやっているプロデュース系番組は、このモーニングの成功例をなぞっているような気がする。
で、その鮮烈なモーニング娘。からはじまったハロープロジェクト(以下、ハロプロ)であるが、、、。
なんでしょう、、、大好きなんですよね。
もう私がリアタイで見てたメンバーなんていないんですよ。
研究性だった子達が各グループに配属になって、卒業していってを繰り返しているわけなんですが、未だに新しい子達のパフォーマンスを見ると、震えますね。
生歌、独特な衣装(w)、ライブで鍛え上げられた完成されたパフォーマンス、現場のヲタの統率力、、、。
元アイドル(地上地下問わず)のお手本と呼ぶにふさわしいクォルティで、未だにやってんのかよって感心するレベル。
長い年月をかけて、運営やファンを含めた総合力で作ってきたブランドなんだなと。
私は、実はローカルアイドルのマネージャーの経験が(なぜか)あるのだが、その時思っていたのはやっぱり目指す指針としてハロプロのアイドルだった。
「この子を見てくれ!」というよりは、「この子のパフォーマンスやばくないですか?」を目指していたように思う。
可愛いが正義、の世界なのは分かっているのだが、アイドルの世界はそれだけではない。
顔面偏差値だけで序列が決まる世界ではないのだ。
顔面偏差値だけで序列を決めるのはパンピー(一般ピーポーの略称。主にヲタが一般人を見下して使う言葉)だけである。
歌声や、ダンスや、あとはなんかわからないけどタレント性とか、推す意味合いは十人十色なのだが、それをヲタが見て決めるところはライブでのパフォーマンスであるべきだと私は思う。
ヲタクは、つねにニッチな方向に向いている方がカコイイ!みたいな文化がある。
オーソリティよりマイノリティであれ、というのは私の祖父の遺言でもある(嘘)。
『自分だけが知ってる魅力』っていうのはヲタクが思う一番初めの勘違いなのだが、それを感じさせれるかどうかっていうのは結構大事。
業界最古参のハロプロは、そこがとてもはっきりしていて(そういう舵取りをしたのかもしれない)私達おじさんヲタの心を掴んで離さないのかもしれない。
私は、48グループも坂道もジャニーズもK-POPもローカルアイドルまで色々見てきたわけだが、やっぱり最終的にハロプロに戻ってくる。
歴代の動画もそうなのだが、最近、私の大好きなJuice=Juiceのライブ映像を見ていて、『新しい子達も、いいぞ』を思えることに気がついた。
よく、入れ替わりのあるアイドルグループに対して『テセウスの船』という事がある。
初期メンがいなくなり、新加入の子達が同じグループ名と歴代の楽曲でパフォーマンスをする。
それは自分が推していたグループと同じなのか?という疑問は常々浮かぶのだが、不思議とハロプロだけ受け入れられるんですよねぇ。
『プレイヤーが変わっても、同じパフォーマンスが提供できる』
これって企業が求める現場の姿なんだよなぁ。
ブランド力とか、イズムとか、いろんなことで語られるけれど、これって企業理念ってことなんだよな。
と、最近、組織をどうしようって考えている自分としてはとても刺さっていることになります。
この理念を作ってるつんく♂さんって、やっぱり凄いんだぜ。