物語の場合、幼い頃から読み聞かせなどで「物語の力」がついていると、放っておいてもいろいろ想像しながら読むようになりますよね。まずは、展開を追い、「すじ」を追います。物語の登場人物になにが起こったのか、次になにが起こるのか? 早く知りたくて知りたくて、どんどんページをめくります。
本だけでなく、テレビドラマであれ、映画であれ、大昔からいくつかの物語の「型」があって、おおむねその通りに進みますから、見る方は(読む方は)だいたい次になにが起こるのかを想像し、その通りに進めばホッとし、それを裏切る展開だったり結末だったりすると驚き、おもしろい場合は思いっきり笑い、悲しい物語の場合は思いっきり泣き、泣くことでカタルシス(すーっとした感じ)を得ることができます。推理小説だったら犯人は誰だろう?と常に想像しながら読み進めますよね。
展開を追い、筋を追うだけの読み方は、基本的に誰でもできる読み方なのですが、気をつけないといけないのが、起こったできごとなどがハッキリその通りの言葉で示されず、暗示されていたり婉曲に描かれていたりする場合。これはドラマや映画にも多いですよね。幼いうちはそれらの表現がわかりませんから、大人がついていて「どうなったか」を説明してあげないといけないと思います。(もちろん勝手に習得する子もいます。)
「なんでこんなにわかりにくく書くんだ?」と呟きたくなるほど、こうした婉曲話法が多い作家もいますが、自分が物語を書く立場に立ってみるとわかると思います。たとえば主人公が死ぬシーン。「〇〇は死んだ」と直截的に表現するより、なにかそれを示す素敵な表現がないか考えませんか? 読む方は、作者が考えに考え抜いて工夫したその表現を、やっぱり考えて考えて理解しないといけないわけ。そして理解できたときに、なにかパズルを解いたような快感もあるわけです。
みなさんも経験ありませんか? 小さい頃こういう難しい表現に出会って、「あっ、これって、こういうことなんだ!」とわかったときの快感。(本でもドラマでも映画でも)。わたしはあります。その快感、面白さが、もっともっと読みたいという興味につながります。最初はある程度、大人の手引きが必要かと思います。