いつもお読みいただきありがとうございます。
私のサロンは自宅サロンと言っていますが、実はサロンのある場所は自宅ではありません。
実家の一角を借りています。
そもそもは小さい頃、その建物の一室が寝室として使っていました。
それから大きくなると、その建物の何部屋かが個人の部屋になり、成長してみんなが部屋をでてからは私のいとこ家族が住み、そして私家族が住み、私は家を立ててその場所をでて、空いたその建物を私が使い始めました。
私は4人兄弟なのですが、私以外の兄弟は福岡、東京、兵庫と遠くにでてしまい、私だけ実家付近に住んでいます。
元気でいまだに助けてもらっている父母ですが、さすがに70を越えた高齢者。
周りから「お父さん、お母さんお元気?」と聞かれると「父は相変わらず声がでかく、母は相変わらず天然でいます」と答えるのですけども。笑
でもやはり高齢者は放って置けないなという気持ちがあり、実家の一角をサロンにしたのです。
というのは・・・
いつ何が起こるかわからない
普段は考えない生死問題ですが、別れは突然やってくるのを私は経験しています。
大学のころ、ある日の夜お風呂を入ろうかなとか考えながら、風呂の電気いつまでもついているなぁとなんとなくネットしたりだらだらと過ごしていたあの夜、同居していた祖母との突然の別れがありました。
祖母がお風呂に入り、長かったので心配した母が声をかけて「もうでますわ」と言ったきり、祖母は突然の別れをしてしまいました。
声かけてしばらくしても電気がついている風呂場、母が念の為に確認にいくと祖母がこときれて
母はどうしたか覚えていないみたいですが、祖母を湯船から抱えて引き出し
「きゃーー!!(ぎゃーーー!だったかもう人の声ではなく、Jアラートなんかより恐ろしい声でした)おばあちゃんおばあちゃん!!!」とすごい声で叫んでいました。
その声は今でも私の耳の奥に焼きついています。
祖母の亡くなった原因は気圧の変化で脳の血管がキレたことによるもの。
もともと高血圧だった祖母「もうでますわ」と答えた後お風呂から上がろうとして血管がきれたのでしょう。
お風呂から引き上げられた祖母はまだ暖かく、病院に運べばなんとか生き返ってくれるのではないかと、人が亡くなるなんて経験をしていない私は本気でそう考えたのですが、残念ながらそのまま祖母が帰ってくることはありませんでした。
当時祖父が入退院を繰り返し、寝たきり状態でしたので、父の兄弟に連絡した時は皆祖父ではなく祖母であったことに耳を疑ったということです。
祖父が亡くなる覚悟はある程度できていたものの、祖母が亡くなるのは寝耳に水。
とにかく、こんな感じで人の命っていつどうなるかわからないとこの経験から思い知りました。
この事件は夜遅くに起こったこと。親戚中に夜遅く電話をかけて、祖母の訃報を聞きつけた他の親戚から電話かかってきたりとその夜は電話が鳴り響いたので、私はいまだに夜遅くに電話がなると誰かの訃報かとドキドキ動悸が激しくなります。
生死意外にもどうなるかわからないと思った経験
そして母方の祖母の話なのですが、母方の祖父母は母と叔母の2人の子供が巣立ってから長年2人暮らしをしていました。
サラリーマンでしたが、2人暮らし経済的な余裕もあり2人でゆっくり暮らしていました。
祖父が癌で亡くなった後は70を過ぎてから祖母は一人暮らし。
趣味の絵画教室にいったりパソコンを習い出したり、上品で綺麗な人だったので絵画教室では「姫」とよばれたりこの年でもチヤホヤされる経験をしていたみたいです。
そんな暮らしを何年か過ごしていた祖母ですが、ある日祖母のかかりつけ医から「様子がおかしいから見てあげてください」と電話がありました。
母が時々様子見の電話をかけたり、遠方でしたが時々様子を見にみに行ったりしたいたのですが、気づかぬうちに祖母は認知症になっていました。
祖母の認知症
習い事と言っても四六時中人と話すわけではなく、祖父がいた時は人のためにやらないといけないこともなくなり、自分1人のためには張り合いがなかったのが原因かなと思います。
認知症になってから迎えに行った時も家は綺麗できちんとした暮らしはしていたようですが。
また高齢になってから一軒家に一人暮らしという孤独や不安も原因かなと思います。
叔母によると習い事の前の日には財布も入れたカバンを夜から置いて準備したりととにかく心配性になっていたそうです。
祖母の場合認知症といっても物忘れはなく、とにかく怒りの感情を強く表すタイプでした。
綺麗で上品だった母方の祖母のその豹変ぶりは驚愕でした。おっとりとして時々毒舌だった祖母ですが、攻撃的な性格に変わってしまていました。
祖母はこちらの世界とあちらの世界を行き来していました。
こちらの世界にいる時とあちらの世界にいる時で目つきが違いました。まるで人格が2人いるような感じ。
こちらの世界にいる時は私が昔から知っている上品な祖母、あちらの世界にいる時はいつ殴りかかってくるかわからないような狂気を感じました。
そして腹が立つことに、お客様がきた時はこちらの世界の住人なんですよね。(笑
人によって人格スイッチが変わるのが祖母の認知症でした。
さっちゃんからのお詫びとお願い
父は今でも月の何日かは出張に出かけ、休みの日にはゴルフという元気な生活を送っています。
父が出張の日は母は1人になるわけですが、母も母で畑をしたり習い事したりと忙しい生活を送っています。
たくさん作ったから取りにおいでとおかずを一品作って助けてくれたりします。
自分の子供も大きくなり私もいい年になっているのに、私はいまだに親の子供です。
元気にいてくれるのは本当にありがたいことです。
そんな父母の姿に安心しているのか遠方に行ってしまった兄弟はそれぞれの家族の事情でなかなか帰省してこないし電話もかかってきません。
便りのないのが元気な証拠
なのでしょうね。
と言っても近くで見ていると疲れやすくなっている両親。
新しい家電製品、スマホなんかは2人で思い切りとぼけたことをしてくれたり。
心配がないわけではありません。
お世話になりっぱなしで何もできていないのですが、様子見すること、顔見せすることだけでも両親へなにか良い影響与えられていると信じて実家サロンを運営しております。
時々「さっちゃーん」とか「おーい」とか扉越しに声かけてくるのは私という存在を認識して伝えないと伝えときたいというものがある張り合いだと言うことで、高齢の両親の張り合いとなっていますので、ちょっと鬱陶しくも感じられるかも知れませんが、お許しいただけたら幸いです。
※接客中は声かけないでとお願いしており、認識はしてくれてますのが時々慌てるみたいです。
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