病気がちな なんちゃってナースのブログ。 -35ページ目

病気がちな なんちゃってナースのブログ。

既往歴、現病歴にびっくりされる
なんちゃって看護師のブログです。

心も体も健康で
できれば楽しく生きていきましょうね。

自宅療養がはじまりました。

帰ってきた当初、日常がサバイバルのようでした。(@ ̄Д ̄@;)

階段を上がる。食事・入浴などの、日常生活動作が大仕事ビックリマーク

退院してから13日間、ほとんど食事を摂ることができませんでした。
(食べられないし、食べたら吐くんですもの。)

造影剤の影響か、夏バテか、それとも別の理由かは分かりませんが、

とにかく、何も食べたくない日々が続きました。

食べたくても、体が受け付けない経験は、初めてでした。

体力をつけたいのに、このままではいけないガーン

そう思って、近所の消化器内科へ。

点滴を受けて、少し回復ひらめき電球


お盆を過ぎて、少し食べられるようになり、

初めてのお出かけが、先祖の墓参りでした叫び


その後、ほんの少しずつ動けるようになってきています。

料理をしたり、洗濯をしたり・・・


時折やってくる発作と、体調の波に傷つけられて、

こんなことが一生続くのかと思うと、沈んでしまう夜も少なくありません。

主治医からは

「日常生活のできることをやっていこう。無理をしたり、頑張る必要はないからね」

と言われています。

無理をしない看護学生がどこにいるでしょうか。

無理をしない社会人がどこにいるでしょうか。



私は、それでも社会人に戻りたいです。

できれば、看護師になりたい。

26年生きた中で、心臓・眼・脳の手術を受けてきました。

今回の病気も、根本治療ではありませんから、
長い付き合いになると予想されます。

人よりは圧倒的に体力がない方だと思います。

何か特別なことができる人間ではありません。

でも、人よりも、患者さんの気持ちは理解できるつもりでいます。

些細なことしかできませんが、心を込めることはできます。


私にもできることがもっともっと、増えますように。

私でも受け入れてもらえる仕事に

めぐりあえますように。
私の入った病院は、高度医療を提供している、いわゆる急性期の病棟でした。

ってことで、1ヶ月もすればドンドン出されます。

私は長居させてくれたほうで、

比較的年配の方は、

脳梗塞や、脳出血を起こし、麻痺や障害が残った体を引きずって

ある程度症状が落ち着いたら

「転院先を探してください」と言われます。

みんな、寂しそうな、不安そうな顔をされていました。


私もとうとう退院の運びとなりました。

7月3日から8月1日まで、約1ヶ月間お世話になった病室ともお別れ。

いろんな看護師さんの言葉に傷つけられ、

同室になった患者さん達から勇気と刺激をもらい、

主治医に守られ、、

家族や友達・たくさんの仲間に支えてもらって

退院できました。


退院後、1ヶ月の自宅安静をすることになりました。

前回は、退院2日で学校に行けるほどの元気がありましたが、

今回は、そういうわけにもいかず、病人らしく過ごしています。


看護学校どうしよう。

仕事どうしよう。

そんなことを考えながら、私の自宅での生活がはじまりました。







「退院前に、MRIと血管造影をしよう」

主治医から突然、提案がありました。

「MRIはともかく、血管造影は嫌!!」

私は拒否。


その理由は、1回目の血管造影で、ひどい内出血を起こし、

その夜は相当痛い思いをしたのです。

そもそも、血管が正常に通ってるかの確認なら、MRIで十分じゃないか!

というのが私の正直なところ。


でも、手術後あちこちに痺れが出たり、脱力発作も出ていたので、

主治医は、血管造影もして確認したい。と思ってくれていたようです。

私の意見も受け入れてくれて、血管造影は3ヶ月経って調子が悪かったらすることに。

ほっと胸をなでおろした瞬間。

「じゃあ、造影CTやろう。」

??

造影CT??初めての検査です。

これまで、普通のCTやMRIはやありましたが、造影剤は使っていませんでした。

ま。カテーテルじゃないからいいか。

退院前日に造影CTを受けることが決まり♪

私は、余裕ぶっこいていました。


当日、検査は午後からなので、念のため昼食は半量で。

ま。元々半量くらいしか食べていなかったので、何のストレスもなく、

看護師さんに「検査いってきまーす♪」

って元気に検査室へ。


検査室では、着々と準備ができていて、

CTを撮るときに、ロボット注射器が一気に造影剤を注入。その量60ml!!

体が熱い。

でも、血管造影のときもこんな感じだったからそんなもんかね。と思い、検査終了。

なんとなく気持ち悪いなぁ。

と思いつつ、検査室を後へ。

数歩歩いたところで、足が止まる。

ん?

気持ち悪い。吐きそう・・・なんか変よ・・・

歩けなくなって廊下に座り込んで、

迎えに来ていた助手さんが、ビックリ。

コールして、介護士さんに車椅子に乗せられ病室へ直行。

ひたすら吐いて、吐いて、吐いた。

横になるのも辛く、どうしていいかわかりませんでした。

看護師さんがバイタル測定してくれて、問題なし。

「先生に言っとくわー」と軽いタッチで去って行きました。ヘルプミー



1時間くらい経った頃、主治医が病室に来ました。私を見て、

「え!!?どうしたん??」

看護師さんからの伝達は行っておりませんでした。

慌てて嘔吐止めの点滴をしてくれました。

もう夕ご飯の時間になっていましたが、食べられるわけもなく、

入院最後の一夜を、

吐き気と頭痛と不快感と戦う、とんでもない落とし穴にはまって過ごしました。



7月17日。

台風が日本を直撃している頃

2回目の直接バイパス手術が行われました。

8時間にも及ぶ大手術となりましたが、

手術は成功。

ICUでは、痛みと体の不快感から、眠ることもできず、

長い長い夜に、ただ耐え、気力と体力を使い果たしました。


翌日、病室に戻って来ました。

前回よりも大きな傷は、ホッチキス33針。

痛い。痛み止めの座薬を使っても痛い。

家族が心配しているのがわかる。笑ったりしてみるけど、辛い。


術後の痛みは予想以上で、3日間眠ることができませんでした。

3日経って、主治医に「もう少し効く痛み止めをだして!」

と、懇願してやっと、少し眠ることができました。

その後の経過は、順調そのもの。


点滴を止めてみよう。

という主治医の意見に従い、点滴を止め、

離脱直後は、倦怠感が戻ってきているように感じて、しんどかったのですが、

何とか、点滴から離れることができました。

左手足のリハビリもはじまり、

なんとか、動くようになりました。

手術のおかげだと、少し胸をなでおろしていましたが、

やはり、手術前から全身状態が悪かったことが影響し、

前回と比較すると、回復が遅い印象です。


看護学の教科書に、

「手術前の栄養状態や全身状態の維持は、術後の回復に大きく影響する」

と書かれていたことを思い出して、この重要性を身をもって学びました。


半年で2回も頭の手術をする。

そんなことが自分の身に降りかかるなんて

誰が想像できたでしょう・・・


そもそも、2月に受けた直接バイパス手術とは、

コメカミのところを通っている、側頭動脈という皮膚の血管を、頭の血管に繋ぐという手術です。

この、側頭動脈は2股に分かれていて、一方は耳の後ろもう一方はオデコの方へ伸びています。

2月には、この2股のうち1本を、頭の動脈に繋ぐ手術をしたのですが、

今回は、もう1本も頭の中に繋いで、右脳への血液循環を確保しよう。とのこと。

手術時間は前回より長くなることが予測され、

傷が大きくなるので、毛剃も大きくなり、痛みも強くなる可能性がある。

症状が改善されるかは分からない。(前例なし)

それでもやりますか?   って、、、


いやいやいや・・・ショック!

痛いのはもう勘弁あせるでも、このまましんどいのも勘弁あせる

随分悩でいると、急に部長先生がやってきまして。。。

「なんでしんどなるんやろな?検査結果は問題無いのに・・・。

 症状からして、他の病気ってことは考えられへんし、右脳調べても何も出てこやん。

 点滴をすると楽にはなるけど、もの凄くよくなるわけではない。点滴から離れられない。

 ってことは、一生病院で点滴生活っていうのも嫌やろ??

 俺らにできることは、もう1本血管繋いだることくらいやねん。他にできることないねん。」

って、私にも分かるように話をしてくれて、、、


やっと、手術を受ける決意しました。

手術を受けると言うことは、少なくとも1ヶ月は動けないと決まったってことで。

学校に連絡すると、出席日数が足りないとのこと。留年が決まって、

大好きなバイトも、休まざるをえなくなってしまいました。


せっかく、ここまで頑張ったのに・・・


手術前のストレスは、私にとって重く感じましたし、1回目の恐怖もあり本当に怖かったです。

26歳。1人前の大人が夜中病室でメソメソ泣くのです。

これで、良くならなかったら・・・

前より痛かったら耐えられる気がしない。

こんな思いをして、しんどい思いをして、まだ生きなければいけないの?

なんで、私?私じゃないといけないの?

もう十分耐えたわよ!これ以上は無理!!

神様なんていないんだ。


深い闇の中でメソメソしていると、発作が起こるんです。

傷口に塩を塗るかのごとく。


元気だそう。元気出そう。

そう思って、手術の日を迎えました。


動悸や息切れで始まった異変が、

左足に症状として顕著に現れた。


おかしい。


血管造影をすることに・・・

3日間点滴を繋いでもらって、少し良くなり、検査結果も問題はなく、

「このまま点滴してしばらく様子を見よう」

という先生の提案があったけど、学校を優先させるため帰宅しました。


3日連続点滴の効果はたった1日で消失。

体は、もの凄い倦怠感で動くのが辛い。

それでも頑張って動く。

ここまで頑張ったんだもの。頑張って今の生活に戻れたんだもの。

って、思って必死でした。

この頃には、入浴や食後に全身がだるく、2時間程度全く動けない状態となっていました。

主治医から言われた、水分摂取は十分やっていたし。

リハビリ以上に動けていたと思う。

点滴が週に1回で持っていたものが、4日に1回になり、3日に1回になり、

もう、動けなくなってしまいました。

先生に無理を言って外来に出てきてもらい、「入院でも何でもいいから、どうにかして。」

と泣きつきました。

もう、体と心が悲鳴を上げていました。


検査結果に問題がない=原因不明


私の出ている症状の正体が分からず、副部長である主治医も困惑。

「もう1回、手術してみる?」
異変が起こったのは、5月の半ば。

5月の検診で「順調順調。また来月。」

そう喜んで帰った翌週。体に覚えた違和感。

『動悸・息切れ・頭がボーっとする・しんどい』

脳と関係無いとは思ったが、何とかしてほしくて主治医の元へ。

心電図、レントゲンの結果・・・異常なし。

「点滴しようか。」 低分子デキストランの点滴をしてもらって帰ることに。

体が宙に浮いたような感覚。

少ししんどいけど、大丈夫。

明日も学校行ける。バイトも行ける。



退院後、2日で学校へ復帰しました。

学校は春休みに入っていましたが、

受けられなかったテストを受けたり、課題を提出したり、

そうしたことをクリアすると、2年生に進級させてくれる。

私はラッキーでした。

テストも何とかクリア。追試は80点で合格。

10科目80点は大変でしたが、なんとかクリアできました!!


手術を超えて、みんなと一緒に進級して、もう大丈夫!

そう思って4月末にはバイトにも復帰。

みんな温かく迎え入れてくれて

元通りの生活が戻ってきました。

桜の花がキレイで、2年生になった喜びと、楽しさでいっぱいで

時折訪れる発作のことが少しは気になりながらも、

病気のことなんて忘れて頑張ろう!!って意気込んでいました。


手術は、成功!!

手術時間は5時間。

私は麻酔で深く深く眠っていたみたい。

醒めると、とっても痛かったです。

「頭って切ってもあんまり痛くないよ!」

って誰かが言っていましたが、断言します。それはですよ。

私は、ICUでも、病棟でも、全力で鎮痛剤を使ってもらいましたが、

それでも痛かったです。

退院しても鎮痛薬をもらっていましたよ。


私の場合、気管挿管が上手くいかず、2~3回入れなおしたり、

麻酔がかかりすぎて、手術が終わって3時間くらい起きなかったり、

何より、手術中にひどい一過性脳虚血発作を起こし、

翌日まで左足が完全に麻痺してしまったり、

本当にトラブルが多かったようです。


それでも順調に回復し、

手術から3日でテープが剥がれ、

      4日でシャンプー解禁
     
手術から1週間で抜糸(ばっこう)

手術から2週間で退院になりました。

麻痺した足も順調に回復し、帰る頃には病棟を30周できるようになっていました。

3月7日。退院。

月曜日に入院して、即日心電図とレントゲンの検査

火曜日は採血

水曜日は何も無かったが、食べられなかったので
      『ビーフリート』という栄養の点滴を24時間持続で流してもらった。
      体が楽になったことを覚えています。

木曜日は脳血流シンチグラフィー

金曜日は脳血管造影


そして、金曜日に親が呼び出され、翌週の月曜日に脳の直接バイパス手術が決まった。

あんなに一生懸命準備して、なんとしても行きたかった実習の初日が手術日となった。


私は、何も怖くありませんでした。

直接バイパス手術は、とっても難しい手術だそうです。

できる人も少ないんだとか、

主治医になってくれた先生が、とても良い先生で安心できたし、

帰ってきて。と言ってくれるバイト先の仲間が、

入れ替わり、立ち代わり、お見舞いに来てくれて、


私は、みんなの準備してくれた大船に、安心して座っているだけでよかった。

本当に温かいみんなに支えられて

私は、ラッキーでした。

何一つこわくなかった。

手術が終わるまでは・・・