最相 葉月 (著)『証し 日本のキリスト者』(KADOKAWA)を図書館で借りて読みました。

なんと1096ページ。厚さ5センチ近くあります! 

 

二週間内に読まねばならなかったのですが、途中風邪をひいたりして遅々とした読書。それでもなんとか800ページぐらいまで来た時に返却期限が迫っていたこともあり「結構読めたし、もういいかぁ、返そうか…」と思ったのですが、読了できなくても期限内に読めるとこまで読もうと気を取り直し読み進めました。

 

それが良かったのです。その後の所に思わぬことでしたが「生長の家」のことが出て来たからです。

 

どんな本かと申しますと、本の宣伝文をコピーしてご紹介。

 

【なぜ、神を信じるのか。全国の教会を訪ね、135人に聞いた信仰のかたち。

「証し」とは、キリスト者が神からいただいた恵みを言葉や言動を通して人に伝えることである。

本書は、北海道から沖縄、五島、奄美、小笠原まで全国の教会を訪ね、そこで暮らすキリスト者135人に、神と共に生きる彼らの半生を聞き書きしたものだ。自然災害や戦争、事件、事故、差別、病のような不条理に直面してなお、彼らは神をどうして信じられるのか? なぜ、信仰は揺るぎないものであり続けるのか。

回心、洗礼、家族、献身、開拓、奉仕、社会、差別、政治、戦争、運命、赦し、真理、そして復活……。それぞれの章で語られる「証し」のなかで「信仰とは何か?」という有史以来の謎に向き合い、終章の「コロナ下の教会、そして戦争」で、日本におけるキリスト教の現在地をも筆者は照らし出す。

構想10年、取材6年。1000ページを超える圧倒的なボリュームで綴る渾身の長編ノンフィクション。

(目次〉

この本について――まえがきに代えて

第一章 私は罪を犯しました

第二章 人間ではよりどころになりません

第三章 神様より親が怖かった

十字架の風景1 兄弟姉妹

第四章 お望みなら杯を飲みましょう

十字架の風景2 教会とカウンセリング

第五章 神を伝える

十字架の風景3 宣教ブーム

第六章 自分の意思より神の計画

第七章 教会という社会に生きる

第八章 神はなぜ私を造ったのか

第九章 政治と信仰

十字架の風景4 夫婦と教会

第十章 そこに神はいたか

第十一章 神はなぜ奪うのか

第十二章 それでも赦さなければならないのか

十字架の風景5 宣教の終わりと始まり

第十三章 真理を求めて

第十四章 これが天の援軍か

終章 コロナ下の教会、そして戦争

 

以上。

 

この本は著者が取材した135人のクリスチャンの1人1人の語りおろしのような形で文章化しています。語りのうちの印象的な発言を見出しのように掲げ、名前と生年、所属教会、都道府県が記され発言本文となります。

 

さて「生長の家」のことが出てくる箇所を次にご紹介します。

 

①【犠牲になった人たちは、生まれる前に名乗り出た人たちだと私は思うのね。人類のため、私を使って下さいって名乗り出た地位の高い天使たち。イエス・キリストがそうだったね。】

奥田勇次 1957生 J.Mead Minokamo 岐阜県

【当時ブラジルの人は八〇パーセントがカトリックでした。私もちっちゃい頃はカトリックのお祈りしとったね。神父さんが来て、「カトリックにならない人は地獄行きだー」っていってた。だから小学校の頃は毎日お祈りしなきゃならなかった。私の両親は仏教でした。東本願寺です。私も仏さんにごはんを供えました。十三歳の頃、兄上が「生長の家」に通い始めたのね。『生命の實相』や『甘露の法雨』とかいろいろむずかしい本を読んでたね。ブラジルの生長の家にはたくさん信者がいて、本もポルトガル語に翻訳されてるのね。私も青年グループに通っとったね。】P.821

※この語り手は日系ブラジル人のお方。

 

②【町を行き交う人たちを見ながら、もうこのまま帰らんとこうとか、ここで自殺するしかないとか、そんなことを考えていました。】

名護タケ 1939年生 沖縄バプテスト連盟普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園 沖縄県

【バプテスマを受けたのは、高校二年のときです。…両親に説明してもわからないので、クリスチャンになるともいわずに、聖書を夜な夜な、父が寝静まったあとに読んでいました。母は私が何を読んでいるかわからないですからね。父はお友だちに誘われて、生長の家に行っていたんです。『甘露の法雨』という蛇腹に折りたたんだお経みたいな物が家にあって、神の子一切罪なし、とよく口ずさんでいました。なぜ父はそんなことをいっていたのか、何か負い目があったのかはわかりません。でも、それを聞くたびに、そんなのおかしいんじゃないかと思っていました。バプテスマを受けてクリスチャンになるといったとき、母は反対しましたけど、父は反対しませんでした。父の中にも求めるものがあったのでしょう。姉は生活のサポートで精一杯でしたが、私のあと、妹もクリスチャンになりました。】P1034

※このお父さんは仕事中の事故で脊椎損傷になってしまわれていたのでした。

 

以上です。

 

いろいろと考えさせられる話の数々でした。きれいな美しい話ばかりではないのですけれども、基督教も減少傾向後継者不足は深刻で、それやこれや含め、他の宗教も同じですが、でも、求めている人はいるんだとも思ったことでした。