有珠善光寺から15分で道の駅だて歴史の杜へ。

1870年に仙台藩一門亘理領主である

伊達邦成とその家臣が移住・開拓した

伊達市の総合公園にある道の駅だ。

 

1階建ての平べったい駅舎前には車がびっしり駐車していたので、

駅舎はほとんど写っていない状況。

伊達市は「北海道の湘南?」と呼ばれるほど道内では温暖な気候で、

人口は31,000人。農業と漁業が基幹産業である。

 

 

中はさながらスーパーマーケット。

地元の野菜たちが店内を席巻している。

紫色や黄色のカリフラワーも並んでいる。

 

 

 

地元産の長いもを使ったパンは、

腹持ちするというが、ちょっと味の想像がつかない。

 

すっぱいイチゴのような味の赤いルバーブや

アロニアなどの冷凍商品、

キンキ、さくらマス、王蝶ガレイのいずし、チーズ、

三元豚「黄金豚」の加工品、魚介類も豊富だ。

 

 

 

 

市内限定販売の純米吟醸酒「伊達 甘露法水」は、

地下380メートルから湧き出ている地元「三階滝」の水や

市内産「ななつぼし」「ほしのゆめ」が原料

 

軽食コーナーで当駅オリジナルの

「伊達男ハンサム焼き(100円)」を購入。

一口大の焼き菓子に顔の焦げ目がついているのだが、

受け取ってみると、どう見ても

ブ男でハンサムとは言い難かった。

定番はつぶあんとクリームの2種だが、

期間限定のキャラメル味をチョイス。

まあミニサイズの今川焼ってところかな。

 

道の駅の隣には、大手門と兜のオブジェがある。

恐らく仙台城の大手門を模したものなのだろう。

 

 

道の駅のトイレも、小川を挟んだハンバーグレストランの

びっくりドンキーもやはり武家屋敷風だ。

 

 

総合公園内は、ちょっとした森のようで

歴史的な建造物や見事な木々が溢れている。

まずは石碑を発見。

伊達高等女学校に端を発し、

統合前の伊達高校に至る軌跡が記されている。

実は暗黒の少年期を過ごし、四十数年前に卒業した我が母校である。

 

少し歩くと和洋折衷の「迎賓館」があった。

伊達開拓の功績により伊達邦成に男爵の位が授与された際、

家臣らが明治25年に建てたもので、

政府高官や開拓使などを接待するために

利用されたとのこと。

 

さらに進むと茅葺の「旧三戸部家住宅」が現れた。

仙台地方の建築様式を取り入れ、

一本の釘も使用しない移住当初の代表的な民家。

明治5年に着工し、昭和44年にここに移設復元された。

 

近くには立派なひのきや

函館が北限とされている孟宗竹の小さな林がある。

 

 

伊達邦成公の全身像があった。

亘理伊達家第14代当主の彼は、

戊辰戦争に参戦、仙台藩降伏後に

知行を23,853石から58石へ一気に減らされたため、

数百名の家臣団を養うことが不可能となり、

家臣らとこの地に移住。

開拓の功績により名誉が回復され、明治37年に絶命。

今は市内の墓地に眠っている。

 

道の駅近くに戻り、「だて歴史文化ミュージアム」へ。

1階は無料閲覧スペースとなっており、

大きなカラスの造形物が目に入る。

伊達市出身の彫刻家「渡辺元佳」の

「コルウス」という作品だった。

 

 

せっかくなので受付で観覧料300円を払い2階へ。

このとき、折り紙のカブトを頂戴した。

ちょうど「端午の節句甲冑展」が開催中だった。

 

2階の甲冑展では、伊達家にまつわる品々や

アイヌ民族に関する資料が展示

特に亘理伊達家の家祖となった実元、

伊達政宗の重臣で亘理伊達家の初代当主となった成実、

北海道への移住に活路を見出した

邦成の甲冑は見応えがあった。

 

ミュージアムの見学を終えて出入口から外へ出る際

目が悪い私は透明なガラス壁の存在に気が付かず、

しこたまガラスに顔をぶつけて、

痛いやら恥ずかしいやら。

またしても、やらかしてしまったのだった。

 

予定の滞在時間を若干過ぎていたが、気を取り直し

最終目的地室蘭へ向け出発した。