「カネ」でも「モノ」でも、何かを諦めなければならない時を「リングで戦うこと」に例えてみることにする。
まずは、「最後までリングの上で戦って力尽きた」場合。
例えて言えば、リング上で1体1で一本勝負をして、力と力の戦いを展開した結果、負けてしまった。そんな感じでしょうか。
でも、勝った側も負けた側も、お互いに健闘を讃え、リング上で抱き合って、やり切った事を讃え合い、勝ち負けに関係なくある種の「友情」が芽生えたことでしょう。あぁこれぞ素晴らしき友情。
そして、実のところ、負けた側にはチャンピオンベルトを得られなかったことに対する悔しさは(あまり)無く、やり遂げた爽快感と満足感だけが残っていて、再チャレンジ云々ということはおそらく2度と出てこない、さっぱりした気持ちでいると思います。
例えば「燃え尽きたぜ。真っ白にな・・・」(C:矢吹丈)でしょうか。(残念ながら丈とホセの間には15ラウンド戦っても、友情はありませんでしたが・・・)
続いて「リングに上がったものの、力の差を感じて、相手に叩きのめされてダウンして諦めた」場合。
こういう時の多くは、負けた側の準備不足、研究不足、変化に対する対応不足が原因で、まぁ、一言で言えば「諦めざるを得なかった」と言うことになるでしょう。でも、良い点としては、次につながる課題が明らかになった、というところで、もしかしてチャンスがあればもう一度チャレンジできるかもしれない、と言う気持ちが、負けた側のマインドを支えることになります。
そして最後に「リングに上がることすら出来ず、ただ「成功者(チャンピオン)」を見上げるだけ」の場合。
準備も何もありません。ただそこにあるのは「悔しさ」と「なぜ」という気持ち、それから「どうしてこんなに差がついたのか」「何をすれば良いのか」という感情だけです。
最悪です。どうしようもないです。
実は今のオイラ、リング上で相手のパンチを受け続けている状態です。
今の状態は自分なりに備えはしてきたつもりだったんですけどね。まるでダメです。これこそ明らかな準備不足です。
今回の戦いは「どちらかが諦めるまで」続きます。
一発逆転のパンチがあるのかどうかすら、わかりません。
負けをこちらから認めて、TKOになった方が精神的負担、肉体的負担が少なくて済むかもしれません。
でも、それは自らの負けを認めたこと、自らを負け犬にしたこと、になってしまいます。
今、残っているのは、オイラの「意地」と「プライド」だけです。
さて、この状況、いつまで続くのか。
「勇気ある撤退」をして捲土重来を期するべきか。
それとも完全ノックダウンを受け入れるか。
(あっ、念の為言っておきますが、某大馬鹿通訳がやったような高額の違法賭博とは一切関係ない話です。100年に一度の大変革時と言われる自動車業界の端っこにいるオイラが、業界の荒波に揉まれて溺れる寸前の状態にあり、嫌ならば「某国の電気自動車会社の軍門に降れ」と喉元にナイフを突きつけられている状態にあります。でもそれはオイラのプライドを傷つけるだけです。理屈はわかりますが、個人的にはNOです)