ざっくり言って仕舞えば、生成AIとは「ほぼ無制限に拡大し続ける、世界中に存在するサーバーに保存された素データ(コンテンツ)から、検索者が欲しいと思う該当データ(コンテンツ)を自動的に検索・抽出し、それなりに体裁を整えてアウトプットを生成するプログラム」のことだと思うのだけれど、使われるデータ(コンテンツ)の範囲は今やテキストデータに止まらず、音楽や絵画、写真など広い範囲に広まり、活用されつつあります。

 

でも、それって結局「過去のこと」から抽出した「パチもの」「ゴッタ煮」に過ぎないし、「正しいこと」も「正しくないこと」も同レベルで扱ってしまうから、そもそも生成されるアウトプット自体が「インチキ」「ニセモノ」だとしか思えないのです。

つまり「味噌もクソも一緒くた」なものが生成AIとやらの作り出すインチキの正体だと言っても良いと思います。

 

それに、生成AIとやらは、これから起きるであろう「未来のこと」や、何が起きるかわからない「未知のこと」に対しては全く対応できません。過去のことしか扱えない生成AIとやらのインチキ小道具が、人間様に勝てるとは到底思えません。

 

加えて、インチキ小道具が作り出す「なんちゃって」を喜ぶ神経レベルに低さにも反吐が出ます。

最近は、「楽器を扱うことなんて作曲には不要」と偉そうなことを宣う馬鹿者がたくさんいて、過去の楽曲をつまみ食いして「なんちゃって音楽」をオリジナルとして売り出していますが、ちゃんちゃらおかしいです。ピアノも弾けない、楽譜も読めない奴に何ができるというのでしょう。まるでわかりません。

それを喜ぶ(自称)「音楽ファン」の人たちのオツムも理解不能です。彼らは、単なる「インチキ」の飯のタネに過ぎません。インチキに踊らされてもミジメな気分にならない神経レベルの低さが悲しいです。

 

他にも、将棋の世界では生成AIを活用して強くなっている人もいますけれど、それって棋譜をそれこそ暗唱して繰り返すことができるようになるまで過去の将棋を読み込んで体に染み込ませた人たちと「過去データ」との戦いだと思うのですよ。つまり、データ量の差というか、知っているか知らないかの差、情報収集の対象の差に過ぎず、ましてや強い弱いの差でもない。棋譜に載っていない手を打つ・打たれることで、勝敗がつくという、何だかなぁという状態が今なわけです。

 

でも、生成AI如きのインチキ小道具に頼っていても、どのみち人間の持つ創造性、未来を見通す能力には敵うわけがありません。何しろ生成AIには「過去のことしか扱えない」という決定的な弱点があるのですし、人間には「想像力」という最強の武器を備えているのですから。

 

そんな生成AIを「積極的に導入する」と曰うポンコツ頭の、セージ家と呼ばれる爺様たちには、とっとと退出するか、もし少しでもやる気があるのなら、スマートフォンを一人前に扱えるようになってから寝言をほざけと言いたくなります。

先日、国会のやり取りで生成AIで質問を作成して、回答を生成AIで返答するように要求した大バカポンコツ野郎がいましたが、だったらお前の存在意義って何なのだ、一体誰がお前を国会議員に選出したのだ、と言いたくなります。

一族郎党を首相公邸に呼んでどんちゃん騒ぎをする大バカ野郎が我が国のトップにいること自体、お先真っ暗ですけどね。

首相公邸はあなた方が自由に使える場所じゃないということすら理解できていないのですから。

三浪早稲田じゃ、その程度ですよ、ハハハ。まずは「謙虚さ」から学べ!おバカさん!!