【2022年6月5日追記】

この感想の最後に映画「屍者の帝国」を観た感想を追記しました。

 

※※ この本を読んで一言 ※※

虐殺器官 」「ハーモニー」以上の理解不能さ!

主題を描くのに思考実験、宗教、神話、哲学、歴史、文学を混ぜ込んで、より難解になった感じがします(汗)。

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虐殺器官」「ハーモニー」に続き、伊藤計劃さんの作品になります。

この作品は伊藤さんが30枚の原稿を書いたところで夭逝したことにより、円城塔さんが作品を引き継いで書いたそうですね。

なので実質円城さんの作品かなと思っています。

 

しかし「屍者の帝国」を読んでみて伊藤さんの2作品とはテイストが違っていますが、「言葉」と「意識」に続き「魂(?)」を主題としており、伊藤さんの意志を引き継いだ作品であると思います。

 

ただ・・前二作と比べて荒唐無稽さがアップしています。

虐殺の文法 < 意識の消失 < 魂(原初の言葉)の存在証明(?)

の順でリアリティがなくなっていきます。

読み込めば理解できるのかもしれませんが、とても読み込むことすらできません。

 

登場人物たちが話している内容も分かりません。

ワトソンとハダリー(アドラー)の会話は理解不能ですし、ザ・ワンの言葉はもっと意味不明です。

 

そもそもこの作品の主題はなんなのでしょうか?

作品からは

  1:「魂」の存在

  2:人間の意志の決定は何によって行われるのか。

が読み取れる・・ような気がします(汗)。

 

特に後半ではザ・ワンが菌株の存在を主張して、2の主題がクローズアップされます。

 

しかし冒頭にも書きましたが、作品の中では思考実験、宗教、神話、哲学、歴史、文学の題材が混ぜられた状態で物語が進んでいます。

 

ザ・ワンの存在、ザ・ワンの配偶者(イブ(?))の蘇り、「ヴィクターの手記」の内容、非晶質体(原初の言葉)による生者と屍者への影響、登場人物たちのそれぞれの関係などがさっぱり分かりません。

 

ラストでフライデーが意識を持っている(持ち始めた?)ことが判明しました。

『ヴィクターの手記』を読みこんだから保守派の菌株が優勢にでもなったのでしょうか。

そして最後の一文『今、わたしは目を開く。万物の渦巻くロンドンの雑踏へと、足を踏み出す。』とあり、フライデーは明らかに自分の意志で行動しているので通常の屍者とは違う存在になったようです。

ニュータイプの屍者か、それともザ・ワンのような存在になったのでしょうか。

 

こういうものは「考えるな!感じろ!!」で読むべきものなのかもしれません(笑)。

 

さてここからとりとめもなく思ったことを書き連ねていきます。

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ザ・ワンが菌株の話を展開し始めた時に「人間は菌株(ウイルス)の乗り物」と「人間のウイルス進化説」という言葉が思い浮かびました。

どちらもたまに聞く話ですね。

 

ネクロウェアのインストールやセキュリティホールという表現は人間の脳をコンピューターと捉えた現代らしい考え方です。

もっとも人造人間にコンピュータに匹敵する機能を持たせたり、強靭な肉体にして兵器とする話はマンガではよくありますが、死体を屍者化するのは初めて聞いたような気がします。

 

私の感覚では死んだ人間をネクロウェアで屍者化しても脳や筋肉がフル稼働するとは思えないですけどね(汗)。

 

屍者となった場合、エネルギーの補給はどうしているのでしょうか?新陳代謝は行われているのでしょうか?

脳や筋肉は酸素がないとダメだと思うが、呼吸はどうしている?

腐敗しないという事は新陳代謝が行われているし、エネルギーも外部から補給しているはずですがそんな記述はあっただろうか?

物語序盤では屍者の調整やメンテナンスの事が語られていたので、調整等で何とかしていたのでしょうか?

疑問だらけです(笑)。

 

物質化した原初の言葉(バベルの石や非晶質体と呼ばれていたもの)って何でしょう?

よく分からない技術で物質化したのか、それとも原始のウイルスが物質化したのでしょうか?

 

それをワトソンの脳にインストール(感染?)したら意識を持った屍者(体は不死で脳はコンピュータのように正確に処理ができ、それでいて人間のように意志を持つ)ができるのでしょうか・・それってもう「神」とか「新人類」ですね。

もっとも皆がそのように進化(?)して、体が屍者化(不死化)し生殖機能もなくなれば人類は滅亡不可避です。

 

ワトソンの終盤の自問自答やこの物語の主題の魂とは?意志とは?の描写は、有名な思考実験「哲学的ゾンビ」に似ています。

人間の形をしていても、感情や行動の発露は本当にそれはその本人が決定して決めたものなのか・・こんな問の答えが得られる日が来るのでしょうか。

私のようないい加減な人間は、そんなことを考えること自体が人生の無駄と思ってしまいます。

 

ホワイト・タワーの礼拝堂でのオルガンでのザ・ワンとハダリーによるプログラミング(?)は小説では状況が全く理解不能だが、アニメで見れば分かるのでしょうか。

 

屍者は本当に意志・意識を持っていないし思考もしていないのでしょうか。

もし屍者が意識や生きていた時の記憶を持っていたとして、そして痛みも感じていたとしてそれを表現できなくてネクロウェアの命令のみにしか動くことができないとしたら・・

 

屍者はもしかしたら地獄の苦しみを味わいながらも命令通りに動いているのかもと思うと、死すら自由にできない世界こそ地獄なのでしょう。

 

「可能なことは実現される」はよく聞く言葉で、作中でも頻繁に出てきた言葉ですが、屍者化など実現してほしくないですね。

 

それにしても屍者が社会の重要な労働力となっている世界は異様だと思います。

しかし・・特に産業革命以降の近代ヨーロッパでは危険な仕事、人間が嫌がる仕事や単純作業のような効率が求められる現場では替えの利く労働力として重宝したでしょうし、一般市民もその恩恵に与るわけだから受け入れているでしょうし、私もその世界に生きていたら受け入れていたと思います。

しかしあまりにも屍者を物として扱いすぎた世界では、私が死んだら即座に火葬して欲しいと切に願います。

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さてこれで原作は3作品読み終わったので、まだ見ていないアニメ「ハーモニー」と「屍者の帝国」を見ようと思います。

 

「ハーモニー」も「屍者の帝国」もアニメを見れば少しは物語の理解が深まるのか楽しみです。

 

(個人的評価)

面白さ  ☆☆

登場人物 ☆☆

ごった煮 ☆☆☆☆☆

難解さ  ☆☆☆☆☆

 

【アニメを見た感想】 

このアニメを見る前に、フライデーの設定が原作とアニメで異なっていることを知ったので、ストーリーも原作とは異なるだろうなとは思っていました。

しかし「虐殺器官」「ハーモニー」のアニメは割と原作に忠実だったので、その辺はどう折り合いをつけるのか楽しみに見始めました。

 

見終わって、これはこれでアリだなと思いました。

展開のテンポが速く飽きさせない作りの映画でした。

主題が難解であり、展開で場面もコロコロ変わる500ページの原作を2時間の映画に収めるためには仕方がないのでしょう。
 

ザ・ワンの目的が花嫁の魂の復活を目標としているのは同じですが、ワトソンも友人であるフライデーの魂の復活、ハダリーは魂の存在の証明(?)(それとも取得?)とこの辺が原作と違うので、終盤の対決もだいぶ違うものでしたが、アニメならではの派手なアクションシーンで見応えはありました。

 
なお私は映画をAmazonプライムビデオで見たのですが、エンドロールで声優が表示されたところで「シャーロック・ホームズ」と出たので、見た瞬間あれっ?て思いました。
 

どの場面でシャーロック・ホームズが出たのか記憶がないので後でビデオを見返そうと思ったら、エンドロールの後の場面でシャーロック・ホームズが出てきました(笑)。

ホームズの助手としてワトソンは普通に生活しているのですね!

 

原作の終わり方では救いがないので、映画は明るい終わり方でよかったと思います。

 

ただ最終シーンで望遠鏡を覗いてワトソンを見ていた(ストーキング?していた(汗))フライデーはワトソンから離れてどうやって生活しているのか、ワトソンとフライデーの関係はどうなっているのかなど、いろいろ疑問に思いますけどね。

 

これでProject Itoの原作とアニメの3作品は見終わりました。

後はコミックを読めばコンプリートでしょうから、機会があれば読んでみたいです。