2020年の年末から2021年の年始は家でゴロゴロしていたため読書はちょっとお休みをしていて、1月4日から仕事が始まったので早速今年最初の読書を開始しました。
新年一発目は伊坂幸太郎さんの「魔王」に引き続き読書の先輩から借りた「グラスホッパー」です。
読み始めて冒頭からハテナだらけですが引き込まれます。
そして読み終わって、人がバンバン死んでいくのになぜか“生きなきゃ”と希望を持たせる不思議な作品でした。
それはひとえに鈴木がピンチの時でも、常に鈴木の妻の前向きな『やるしかないじゃないか』の言葉を思い出しているからでしょうか。
しかし登場人物がほぼ全て悪党、と言うか非合法な連中ばかりなのに希望を持つのもヘンな話なのですが。
ラストは電車がいつまで経っても通り続けているの見つめる鈴木・・これを読んでやられた!と思いました。
これは田中の言った”電車が通り過ぎるのは幻覚から覚める合図”だとしたら、幻覚の始まりは寺原の長男が轢かれる前の比与子との会話の時の信号の点滅ということになります
そうなるとこの物語は比与子と車に乗って黒と黄色の男女を拉致したところに逆戻りする事になるんですね。今までの物語は全部幻覚・・まさかの夢オチ。
または実はループモノなんでしょうか?
この物語は何が現実か、何が真実かはっきりしない事が多いです。
鯨や蝉や槿のような殺し屋たちが存在したのかも怪しいところですね。
健太郎と孝次郎の兄弟は「劇団」の一員であったようなので本当の兄弟なのかはっきりしません。
鈴木とのやりとりも演技だったかもしれませんが、あの無邪気さが演技だとしたらそれはそれで悲しすぎます。
健太郎と孝次郎のシーンは全体に殺伐としたこの物語のオアシスのようなものであり、この二人の態度は本物であった・・と思いたいです。
ここまでいくと実は「鈴木の妻」も現実には存在せず、鈴木の妄想じゃないかと思えてきます。
鈴木の名前も妻の名前も出てこず(もっともこの物語では誰一人フルネームの本名は判明していないですが)、鈴木が頻繁に妻の言葉を思い出しているのは、鯨が自殺させた人間の亡霊が見えるのに近い気がしたからです。
しかし冒頭で幻覚の始まりとされる信号の点滅の前から妻の事を思い出しているので妻は存在はしたのでしょう。
ちなみに私は途中ずっと、実は鈴木も殺し屋ではないかと思っていました。
能力は「鈴木に深く関わる者はなぜがバタバタと死ぬ」で、鈴木が自ら寺原の長男に近づいて連中を自滅に追い込もうとしたと思っていて、その展開になるのではとワクワクしていたんですが・・結局そうはならなかったようです(汗)。
さてこの本の題名は「グラスホッパー」でバッタという意味ですが、作中では槿がバッタの群集相について語っていました。
(ちなみにこれは一般的には群生相と呼ばれてますよね。敢えて群集相と言い換えたのでしょうか・・)
この部分は物語として印象深いですが、話の入り方が唐突でものすごく浮いている感じがするんですよね。
伊坂さんがこの物語を通して言いたかった事なので、敢えて浮いても構わないような構成で槿に語らせたのでしょうか。
人間も群れすぎているから狂暴になるというのはなるほどと納得しかけました。
確かに人間にも集団心理(群集心理)というものがあり、集団になると煽動され一方向に動く危険性があります(この危険性については「魔王」の中で詳しく書かれています。)。
しかし人間にはバッタと違い理性があります。
理性があるがゆえに群れていても必ずしも狂暴化することはないでしょう。
また人間には知能があり、それが欲望と結びつけば過密でない状態でも狂暴な人間または利己的に人間を殺す人間は一定数現れると思います。
もっとも伊坂さんもステレオタイプに群集相を信じてはいないでしょうが(笑)。
さてこの作品でも出ました『神様のレシピ』!!
以前の私のブログの「重力ピエロ」でも疑問に思っていたですが、「グラスホッパー」でも出てきたのでこれは伊坂さんの他の作品の中に元ネタはあるのでしょう。
まだ私はこの元ネタの作品には当たっていませんが、伊坂さんの作品を読んでいけばそのうちその正体が判明すると思っています。
次はようやく借りた漫画「魔王 JUVENILE REMIX」を読もうと思います。
原作とどれくらい違うのか楽しみです。
(個人的評価)
面白さ ☆☆☆☆
緊迫度 ☆☆☆☆
登場人物 ☆☆☆☆
難解さ ☆☆☆☆☆