「聴く」ということ | ネクタイでチャリティー『Tie for Change』

「聴く」ということ

『私が何かを、

暗闇とか妻が逃げていくこととか孤独など

あれやこれやを恐れています。


あなたがやって来て

恐怖の運動の全体について、

恐怖の根源について説明してくれます。


そして、それは時間なのです。


私は苦痛を受けました。

苦痛を引き起こした事故とか出来事に遭遇し、

そのことは頭脳に記録され、

過去の出来事の記録が、

それはまた起きるかもしれない、

という思考を生み出します。


そしてそれゆえ恐怖があります。


そこで、あなたはこのことを説明してくれました。

そして、私はあなたの説明に非常に注意深く耳を傾けました。

私はその論理が分かります。

その正気さが分かります。

私はそれを拒まず、耳を傾けます。

そして、これは聴くことが技術(アート)になるということを意味しています。


私はあなたのいいつつあることを拒まず、受け入れもせず、観察します。

そして、あなたが時間と思考について話してくれたことは実際のことであると観察します。

私は、「私は時間と思考を止めねばならない」とはいわず、

恐怖は思考や時間の運動だ、という説明を受けるままにしておいて、

どのようにして恐怖が生じるのかをただ観察します。


私はこの運動をただ観察し、

そこから離れず、

そこから逃避せず、

それと共に生き、

それを見つめ、

自分のエネルギーを見ることに注ぎ込みます。


すると、恐怖が解消し始めるのが分かります。


なぜなら、

私はそれに何もせず、

ただ観察し、

自分のあらゆる注意をそれに払ったからです。

その注意自体が恐怖に光を当てるようなものなのです。

注意とは、すべてのエネルギーをその観察に注ぎ込むことを意味しています。』



『思考のネットワーク』 J.クリシュナムルティ P120より引用




どの世界からアクセスしても、同じなんだなあ。

クリアリング ― 改めて、新鮮です。