釜石鵜住居スタジアムが完成し

こけら落しのイベントで

新日鉄釜石ー神戸製鋼のレジェンドマッチが行われ

神戸製鋼のキャプテンを務めました。

 

 

新日鉄釜石は私にとっても

すごく思い入れのあるチームです。

 

私が本格的にラグビーを始めた頃

日本選手権を連破していたのが新日鉄釜石です。

 

大学3年の時、学生選手権を取り

日本選手権で戦ったのも3連覇を目指す

新日鉄釜石でした。

 

前半ドロップゴールで先制し、

接戦を演じはしたものの

3-10で敗れました。

社会人になった年は全国社会人大会で

新日鉄釜石と当たり、ぼろ負けをしました。

 

翌年のシーズン最初のミーティングで

まだ日本一の目標が定まっていなく

「一回くらいトヨタに勝ちたい」

と言った先輩達に、

 

 

 

 

「皆さん、トヨタに勝ちたいんですか?

関西リーグで優勝したくて

ここでラグビーをやってるんですか?

 

違うでしょう!!

 

トヨタじゃないでしょう!

関西リーグじゃないでしょう!

 

ねえ俺たちは、日本一になりたいんじゃないんですか?!

日本一になりたくてここに来たんですよ!

日本一になりたいんですよ!!」

 

と泣きながら訴えたことを思い出します。

それから打倒釜石がチームの目標となりました。

 

その夢が叶って、新日鉄釜石の

8連覇を阻んだのは神戸製鋼でした。

 

しかしながら、新日鉄釜石に勝ちながらも

しばらく優勝に手が届かない時代もありましたが、

その後神戸製鋼は新日鉄釜石と同じ

7連覇を果たしました。

 

打倒新日鉄釜石に燃えラグビーをしたのが

まさに私の青春時代でした。

 

同じ鉄の会社で、同じく7連覇をし

そしてお互い大震災にも遭遇した。

 

また新日鉄釜石のメンバーとは

日本代表ではチームメイトとして

よく一緒に戦いました。

 

そんな事もあり、新日鉄釜石は非常に

思い入れの強いチームであり

今回のレジェンドマッチを

皆な楽しみにしていました。

 

また、私は震災復興ラグビー寺子屋を

やってきましたが、実は昨年は鵜住居の

釜石東中学でもラグビー寺子屋を行いました。

 

釜石市内の犠牲者の半数は鵜住居町など

大槌湾に面した地域でした。

 

そんな中で、釜石東中学校と鵜住居小学校の

生徒・児童達は、刻々と変わる状況に

機転を利かせ、自らの命を守り、

在校していた約600人全員が無事に避難し、

釜石の奇跡と呼ばれました。

 

釜石東中学は水没しましたが、

場所を変え新しい校舎が建ちました。

 

そんな釜石東中学校でラグビー寺子屋を

行いました。

 

釜石シーウエーブスの桜庭GM、

スクラム釜石の石山代表も

参加してくれました。

 

全校生徒達にラグビー講話を約1時間。

その後グラウンドに出て、

特設ラグビー部の子供達と約1時間

ボールを持って遊びました。

 

実は特設ラグビー部は佐々木校長の

肝入りでまだ出来たばかりとの事でした。

 

いろんな意味で思い入れの深い

鵜住居スタジアムのこけら落し

新日鉄釜石とのレジェンドマッチ、

実際にプレーしたのは15分余りでしたが

転機にも恵まれ、ラグビーを堪能しました。

 

試合後は宝来館に移動して

シャワーとバーベキュー。

 

ラグビー仲間たちと、最高に楽しい

時間でした。

 

テレビカメラも沢山取材に来ていて、

色々とインタビューをされました。

 

 

また新日鉄釜石の皆さんと

試合をする事はあるのでしょうか?

 

「今度は神戸でやりたいなー」そんなことを

話しながら、宝来館を後にしました。

 

花巻空港から飛行機に乗り大阪まで一っ飛び

「それじゃあまたな!」と言って

遠征したメンバー達と別れました。

 

ラガー達の、夏休みが終わりました。