岡先生が亡くなって11年になります。
 

私にとっては同志社ラグビー

  = 岡先生でした。

 

先生を偲んで書いた文章が

出てきました。

 

 


先生は本当に楽苦美が好きでした。
ラグビーを愛し、

そして同志社を愛していました。

私にラグビーを教えてくれたのは先生でした。
ラグビーだけでなく、ラグビーを通じて、

生きていくうえでのいろんな事を

教えてくれた、親父の様な存在でした。

先生との出会いは、高校3年の時、

オーストラリア遠征前、

強化合宿の宿舎のロビーでした。

 

徳島から荷物を担いで合宿に参加すると

当時日本代表の監督だった先生がいました。

先生の顔を見て「岡先生だ!」と

体に電気が走ったのを覚えています。

 

そんな出逢いがあり、

「林君進学はどうするんだ?

同志社大学を受けてみないか?」

と言われた縁で同志社に進学しました。

先生と共に日本一を目指した日々は、

私にとって青春そのものでした。

 



4年のキャプテンの時、

練習後呼び出され、

夕食をご馳走になり一緒に御所を歩いた時、

先生に対し

「今同志社で一番苦労しているのは私です。

同志社は私のチームです」

といった事がありました。

 

先生にとっては面白くはなかったと思います。

しかし私は思いがこみ上げて、

すでに泣いていました。

 

それを見て取られたのか、
「キャプテンのお前がそういうんだったら

俺はお前にかなわないかもしれない。

しかし俺も俺のチームやと思ってる。

皆が自分のチームやと思ってる。

それでえんやないか?」

と話してくれました。

学生最後のシーズン、

レフリーの退場の笛もあり明治に負けた夜、

我々選手たちは荒れて飲んで大騒ぎをしました。

 

翌朝朝の集合で、

「退場事件で負けて悔しいからといって、

飲んで大騒ぎして周りの人に迷惑をかける。

そんなん卑怯やないか!

社会のルーも守れんで

ラグビーをやる資格があるか!」

と怒鳴られました。

 

このときに先生の涙を見ました。

 


NPOを立ち上げた時、

今まではずっと断り続けてこられた、

発起人を初めてお引き受けいただきました。

皆の前でスピーチをして頂きました。

先生に教えてもらった事は数知れません。
改めて振り返り、自主性を重んじ、

それぞれの個の自立と自律を大切にされたのは、

人間に対する深い愛情が

あったからではないかと思い至りました。

「楽しく苦しく美しく」

先生の好きな言葉でした。

 

試合は楽しい、だけど練習は苦しい。

しかし苦しい練習を乗り越えて、

美しいトライが生まれる、

美しい友情が生まれる。

人生もまたしかりだと。

 


岡仁詩。

改めて素敵な名前だなと思いました。
仁とは公、

仁とは天地が物を生ずる心だそうです。

 

人は人それぞれ自立した人生の役割があり、

本来的自己としてそれぞれが

つながりあって生きるべきなのです。

 

個々が一人一人自立しながら、

それぞれがつながりあった時、

本来的自己の本来的つながり性が

生き生きと発揮され、

自己は自己でなく

万物一体の仁者になるのだそうです。

 

そして詩は、

「己の生き様を一遍の詩にしろ」

「生き様に詩がないと駄目だ」

という詩です。

先生は生まれたときからこの名前を授かり、

指導者として独自の路線を

歩む事を宿命付けられていたかのように思います。

 

そして自らの人生の仕事をし、

まさに楽しく苦しく美しく、

一遍の詩を残し旅立たれました。

最後はしてあげた事だけが残るのですね。
先生は多くのものを残していかれました。

 

 

私も先生から頂いたものを

胸に刻みながら

少しでも次の世代に

送っていけたらいいなと思っています。