【2022/GW】屋久島縦走 vol.2(別府~宮崎・綾町) | 旅人Toshiの徒然独り言。

【2022/GW】屋久島縦走 vol.2(別府~宮崎・綾町)

 

■5月1日(日) Day_3 

 

5時半に起きて朝風呂を楽しむ。

誰もいない露天温泉で海を見ながら温泉に浸かるのは何とも言えない贅沢。

10時にチェックアウトして、宿屋近くにマッサージ店があったので1時間ほどタイマッサージをする。

一昨日の夜、深夜バスで10時間過ごしただけあって身体がバキバキだったのでちょうど良かった。

 


 

 

外に出ると、今日は別府の街はお祭りだったようで、駅前に続く大通りは法被や着物を着た人達がたむろしていた。

昔住んでいた高円寺の阿波踊りを思い出す。ただ、一つ違うのはそこかしこにプールのようなものが置いてること。おそらく、これは温泉で後でここに入れるということなのか?

『駅前高等温泉』なる歴史を感じる温泉施設なんかもあって、本来であれば夜の場末の飲み屋街も含めもっとのんびり別府・大分の観光も楽しみたかったが、今回はあくまで中継地点。名残惜しくも別府を後にする。(名物のとり天ぐらい食べておけば良かった)

別府駅より、本日の宮崎に向かう。

 

 

 

 

 

 

別府駅で12:07発の特急「にちりん」に乗り換え、約3時間の電車旅。

15:15宮崎駅到着。

この旅のもう一つの目的「九州にいる友人を訪ねる」。

一人目がアジア横断中の2004年にイランで知り合ったK氏。(『こころ』とは関係ない)

イランのイスファハンのゲストハウスで知り合って、それからテヘラン、マース―レ、イスタンブールと東から西へ向かうアジア横断ルートの安宿で出会っては別れてと何度か繰り返し、帰国してからもたまに連絡を取り合ってもう18年の付き合いだ。

子供たちと駅まで迎えにきてもらって、今日はKの移住先である綾町の日本家屋でお世話になる。

 

 

 

 

 

夜はお庭でBBQ。

楽しくおもてなしいただき、ありがとうございました。

子供5人もいるとホントに賑やかですな。。。

ホントは彼らがその前に住んでいた福岡の糸島にも行ってみたかったが、綾町もこじんまりした田舎の集落みたいでいいとこでした。過疎化が進んで空家問題も含めて移住受け入れしてるんだろうけど、ちゃんとしたお城も残ってて、昔はもっと城下町だったのか何かしら戦略的重要拠点だったんだろうな。

生家である富士宮(芝川)を思い出す。

子供達の就寝後(一部全然寝てなかったけどw)は大人タイムで放浪中の話や昔話で盛り上がる。

 

いよいよ明日は鹿児島に移動してフェリーで屋久島上陸!

 

 

 

 

 

 

[後記]

アジアの安宿を旅しているとしばしば横断組に会うんだけど、昔とはだいぶ旅のスタイルも変わってきているなと思う。

横断組はだいたい中国から西へ向かうか、欧州方面やトルコから東へ向かうか分かれるんで、旅の拠点みたいな街には貧乏バックパッカーが集まる安宿があって、そこでお互い次に向かう街や目的地の情報交換をしながら進んでいく。特に宿泊者がボランタリーで書き込む”情報ノート”が置いてあるような宿だと、だいたい人が集まるし、だいたいそうゆう宿が地域最安のドミトリー宿だったりすることが多い。

ネットカフェは出始めていたとはいえ、各国の首都ある程度の大都市に来たタイミングでないとネットカフェ行くしかPCにすらアクセスできなかったし、Wi-fiもSNSもかった時代、この情報ノートなしにはアジア横断一人旅とかできなかったと言っても過言ではない。

だから、旅人の交差点となるような街だと西進組と東進組で情報交換する。(日本人だと読み終わった本の交換もする。Kindleとか当然ないし、長期旅行中に日本語の活字を読みたい人は本持ち歩くしかない)

そして、情報ノートが集まる宿では、同じルートで進むようや奴らとは抜きつ抜かれ、よくドミトリーの相部屋になったりして顔見知りになって、しばらく旅を共にする仲になったりした。

スマホ社会の今では、そんなプライバシーや安全を犠牲にしてわざわざそんな環境に泊まらなくともSNSやネットで情報仕入れて、そんなに人と関わりあわなくてもお手軽に一人旅ができるような感じになった。シングルルームでWi-fiあれば、特に共用スペース出たり、隣のベッドの奴に「どのへん面白いの?そこ安い宿あんの?」とか聞く必要もない。

 

今スマホ片手にアジア横断をしている若者たちを見ると、簡単になって羨ましいなという感覚よりも、「あの頃こんなネット社会になってなくて良かった」とつくづく思う。

長期旅行に出たら「しばらく親族・友人とは連絡取れなくなる」「英字新聞/TV以外に、世の中のあるゆる情報から遮断され、ニュースから取り残された生活をする」という環境下の旅ができたというのは、本当に大きな経験でむしろそれこそが一人旅の醍醐味だったと思う。

たまに大都市に着いた時に、Hotmailで日本にる限られた友達や両親とメールのやりとりしたけど、多くて月に数回?、2~3ヶ月音信不通になる事もあったし、$2~3の宿に泊まってる貧乏旅行者にとって一時間$1~2というネカフェはかなり高価なアクティビティーだったんで、ケチって必要がない限りは行かないという考えもあった。

 

オフラインの地図アプリ、配車アプリ、宿泊予約サイト、Youtube、ブログ・・・

今や全部使ってるし、とても便利だと思ってる。

ただ、そんなものが存在していなかったあの不自由さがあった時代だからこそ、否が応でも誰かに頼らないといけないし、旅友達が増える環境の中で旅ができたともいえる。

そしてK氏とも会うことはなかっただろうし、こうしてここでまた日本の九州で再会することもなかった。

 

あの頃は人間と人間との距離がもっと近かったんだと思う。