重源上人は、東大寺再建の造営料国に当てられた周防国に下向し、佐波川上流の深山に用材を求め伐採にあたったが、作業は難渋をきわめ、柚人や搬出人夫のなかから怪我人や病人が続出するありさまであったという。

 

 その治療と保養のための施設が、重源上人の創設といい伝えられる石風呂である。岩壁をくり抜いて横穴をつくり、前面を石塊と粘土でふさぎ出入口をつけ、この内部で木の枝や葉を焚き、石室をあたためてその中に入るという一種の蒸風呂で、徳地町野谷の石風呂は当時の遺構をもつ一つといわれる。

 

 徳地町を源とする佐波川流域をはじめ瀬戸内に面する周防部の各地にはこうした石風呂が多くみられるがことに佐波川流域では、創設者という重源上人を「石風呂開山」とあがめ、その命日の6月5日を「石風呂開山忌」といって入湯する習わしである。

 

 袈裟岩堂をあとにして、滑渓谷の澄んだ水に感動したあとにこちらに向かいました。

 

 

 

国史跡の石風呂。岩盤をくりぬいています。

岸見や袈裟岩堂と作り方が違いますね。

800年以上前の遺構が残っているのがスゴイです。

中が広いです。足を延ばしてゆっくりできますね。

 

 

 

念石

(2024-04-14)