浅草の老舗洋食屋「グリルランド」で昼食を摂り、腹ごなしに散策しまして、浅草寺の子院のひとつである聖観音宗の寺院を訪れました。ここはどうしても行ってみたかった所なのです。
 
この記事、結構長いから飽きると思うので、面倒な方はスルーして構いませんよ!
待乳山聖天の山門が見えてきました。
っと、山門に通じる石段の左側に幟が見えるでしょ。そうこの界隈では有名な作家・「池波正太郎生誕の地」碑があるのですよ!
待乳山聖天の住所が台東区浅草7-4-1で池波正太郎の生家があった処は台東区浅草7-3番地付近とかなり近いから、聖天様の境内で遊んだのではないですかね・・・
 
池波正太郎といえば、戦後の日本を代表する時代小説、歴史小説家ですよ。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」「真田太平記」等々数々の作品を排出していますよね。
2007年(平成19年)、台東区待乳山聖天公園に生誕地碑が建てれれました。
池波正太郎
書斎で本に囲まれながら煙草をくゆらせて構想を練っているワンシーン
池波正太郎は、1923年(大正12年)旧東京市浅草区聖天町61番地で誕生しました。現在の東京都台東区浅草7丁目3番地付近になり、「待乳山聖天」の南側に当たる目と鼻の先に位置します。関東大震災によりこの辺りは焼失の憂き目に遭い、生家は残されていないそうですが、「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は、私のふるさとのようなものだ」と記し、作品には待乳山近くの今戸、橋場などを度々舞台にして描いているのですよ。
さぁ、参拝に参りましょう・・・(笑)
待乳山聖天
山号は「待乳山」。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天とも称され、この寺には浅草名所七福神の毘沙門天が祀られているのでありますよ。
 
とにかく縁結びや夫婦円満、立身出世で知られるパワースポットなのです。
境内案内マップ
そんなに大きいお寺ではありませんが、ご利益はかなりのものとか・・・
待乳は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海だったそうで、ここだけが真の土であったことを由来とする説があるのですよ。
境内入口山門前にて・・・
寺の正門のことを「山門」と言いますよね。この門は、世俗の世界と仏道の世界の境にある大切な門なのでありますよ。昔は、寺と言うと人里離れた山奥に建てられたものなんだそうです。その理由は諸説あり、静かな山の中で、修業に専念しようということもあったようです。こうした由来から「〇〇山□□寺」というようになって、平地に建てられた寺の門も「山門」と言われるようになったとか・・・
 
山門前からは東京スカイツリーが見えますよ。
 
山門前から参道・本堂を・・・
境内に入って右手に・・・立身出世のパワースポットで話題になった
出世観音
1936年(昭和11年)観音の頭部だけが待乳聖天の境内の整地の際に発見されました。その後、新たに身体を作り、頭部とつなげて観音様を祀ったことから「首がつながる」ということで出世観音として信仰されるようになったとか。仕事だけでなく、学業、芸事の成就にもご利益があるようですよ・・・何でも室町時代末期の1600年頃の作とみられているとか。
 
左手には
歓喜地蔵尊
子育ての地蔵さま
数度の火災に遭い、その尊容を留めていないが、古来より子育て地蔵として伝承され、霊験あらたかな地蔵尊として信仰されているのだそうです。
 

二十八地蔵尊



水屋
きれいに清掃が行き届いていますね!

きれいに清掃されている手水舎のあるお寺には、神様が逃げずに寺に宿っているのだそうですよ。汚い手水舎の寺には神様が逃げ出し宿らないといいいますよ

 

額堂

休憩所のようなのですが、現在は使用できないようですね。コロナの影響かな・・・

傍らでお供え用の「大根」が販売されていました。大根のお供えの話はこの後出てき

ますよ。

神楽殿

お参りの前に

香炉

参拝の方がお線香をあげるために置いてあるのです。

香炉の煙を浴びると身体のけがれを落とし、清らかな身で観音様にお参りするのだそうですよ。なんでも煙を浴びると身体の悪いところが良くなるという話がありますが、そこはあなたが信じるか信じないはご自身にお任せいたします・・・(笑)

 

小太郎もしっかり線香の煙を浴びたのですが、結果は・・・(笑)

さぁ、本堂にお参りを・・・

参道の石段の側面には二股大根と巾着が彫られていますよ。

 

本堂

待乳山は、595年(推古3年)に浅草寺観世音出現の前兆として一夜のうちに隆起して金龍が舞い降りた霊山なのです。待乳山が出現した6年後にこの一体が大干ばつに襲われたのですが、十一面観世音菩薩が救済のために大聖歓喜天の姿となって現れ、人々を救い、待乳山に鎮座したのがこの寺の起源なのです。

 

ではお参りを・・・

 

そうそう、待乳山には、毘沙門天も祀られているのですよ。

本堂正面の上には、二股大根と巾着が見えます

857年(天安元年)慈覚大師が東国巡拝のおり、待乳山聖天に籠って、21日の間、浴油修行をして、国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫って奉安されたと伝えられているのですよ。

 

慈覚大師円仁

794年(延暦13年)に下野国都賀郡(栃木県)に生れ。天台宗山門派の祖。天台宗の僧・広智、後に天台宗の開祖・最澄に師事。838年(承和5年)、45歳で唐に渡って密教を中心に学び、多くの典籍をを持って847年(承和14年)帰国。854年(仁寿4年)、第3世天台座主になり、根本道場として総持院を建て、天皇、皇族、に灌頂・授戒を行うなど天台密教の確立に勤めた方なのです。864年(貞観6年)、71歳で天台宗の総本山である比叡山延暦寺にて入寂。朝廷から慈覚大師という「大師号」を授けた最初の高僧でもあるのですよ。

十一面観世音と大聖歓喜天

大聖歓喜天は昔から非常に強い力を持つことで知られており、様々な願いを叶えてくれるとか・・・信じる者は救われますよ・・・

夫婦円満、家庭円満のご加護があるとの事だから一度行ってみては如何かな!

 

そのお参りの時にお供えするのが大根。大根は迷いの心、心の毒を表し、それをお供えすると大聖歓喜天がそれらを清め、心身を丈夫にし、良縁を成就させてくれるのだそうですよ。

写真を撮り損ねたのでお借りしたのですが、お供えされた大根は無駄にしない為、お下がりとして持ち帰り出来るそうですよ・・・

 

銅造宝篋印塔

江戸時代中期以降のもので、宝筐院陀羅尼経の経典を基に造立された塔

基礎に刻まれている銘文には1781年(天明元年)に鋳物師、西村和泉守が制作し、蔵前の札差等16名が奉納したものだそうです。そうそう、1782年~1788年にかけて江戸市中に起きた「天明の大飢饉」の前年ですよね・・・

 

お寺と言うと大きな梵鐘を思い浮かべますが、このお寺は小さな釣鐘。火事の時に鳴らす半鐘のようようですよ。この釣り鐘、鉦の中に龍がいるそうで、普段は小さな姿で鐘の中にいて、雨が降りそうな天気になると外へ出て、大きな空を飛ぶのだとか・・・

本堂の裏には

稲荷尊

本堂守護、商売繫盛のお稲荷さんです。

 

その脇には

道灌稲荷跡

昔々、ここに太田道灌江戸城守護のため勧請の「道灌稲荷」があったそうなのです。

太田道灌と言えば江戸城を築き、文武両道の武将ですよね。1476年(文明8年)、鎌倉の詩僧を招き隅田川に船を浮かべて詩歌管弦の宴を開いています。待乳山に浅からぬ因縁があるようですね

 

百度石

神社仏閣の境内に欲見られますよね。時代劇などでも観ることがありますよね。神様に願いを聴いて貰うために境内の一定の距離を100回往復してお参りし、願いの成就を祈る民間信仰のひとつなのだそうです。何度もお参りの回数を重ねることで願いが成就すると言われていますので、あなたもお試しを・・・(笑)

 

百度石付近から見える東京スカイツリー

 

さて、どうしても体験したかったことにチャレンジ

あれっ、ここにモノレールが・・・
そういえば、浅草は下町の象徴的な土地で付近に高台はないのですが、ここ待乳山だけは10m程の高さがあるようで、ちょっと険しい階段を登ってのお参りになるので、斜行エレベーター「さくらレール」というのですよ。
そうなのです、これに乘りたくて・・・(笑)
待乳山浮世絵図
 
ちょっと乗ってみようかな・・・って乗りたくてしようがなかった・・・(笑)
では出発!

なんでも法律上はエレベーターになるそうなんですよね!

 

さくらレール

あっという間に下へ着いたので、また上に戻りました・・・(笑)

階段もあるので、上がるか上がらないかはあなた次第になりますね・・・(笑)

 
心願成就の碑
 
社務所の脇に入口があり
 
庭園が見られます
庭園から見た東京スカイツリー、映えますよね・・・
 
築地塀
この塀がなんとも歴史を感じるよね。江戸時代の名残りを留める貴重な文化財ですね。全長二十五間(45.5m)
 そうそう、築地塀って簡単に言うと瓦と粘土を交互に積み重ねて築いた土塀で、江戸時代の屋敷や寺院で多く採用された伝統テクな建築様式なのですけれど、今では数少ないようですよ。維持管理が大変なようです。
 

さぁて、参拝もしたし、境内を一回りしたので、お土産買って帰ろうっと・・・
 
超短いモノレール、あなたも体験してみて下さい!