いやぁ~、またまた暑さがぶり返してきました。こんな時こそ、夕食はこれ・・・

普通は冬の食べ物に思われるけれど、小太郎家は違うのじゃよ・・・

 

鍋焼きうどん  小太郎作

 

暑いときには、堪らないですよね、これがまたいいんだね・・・(笑)

 

ちくわ天、海老天、ほうれん草、ナルト、豚肉、シイタケ、長葱、玉子、伊達巻

 

今回はかまぼこを入れなかったのですが、伊達巻は必須アイテムでありますよ!

 

うどんは冷凍の讃岐うどん

これがめっちゃ美味いうどんなんですよね。

 

ってことで、暑い時には熱い食べ物でぶっ飛ばしましょう・・・(笑)

 

 

またまた、知ったかぶり・・・

鍋焼きうどんの記録の初出とされるのは、明治維新の3年前の1865年(元治2年)初演の芝居セリフなんだとか・・・

江戸三座のひとつとして知られた市村座で掛かった「粋菩提禅悟野晒(すいぼだいさとりののざらし」という芝居で、大阪四天王寺山門前で夜鳴きうどんを商う男が、客に向かってこう語った。「ついこの間までは大阪名物のえんどう豆を売っていたのだけれど、近頃流行りの鍋焼きうどんにすっかり押されてしまい、それから商売替えをしました」と・・・。

芝居の取り上げられるという事は、当時の大阪では、屋台の夜売りの鍋焼きうどんがかなりの流行になっていたことが分かりますね。っていうことなのですが、その流行が始まったのはいつ頃かというとハッキリしていないのだそうですよ。しかしながら「守貞謾稿」以後から元治年間までのの間の時期と推測すると・・・嘉永期頃からの10数年間ということになるそうだ。

 でもこの鍋焼きうどん、当時江戸では全くもてはやされた形跡がなく、人気を博したのが大阪でのことだったんですよ。そこでようやく東京に伝わってきたのが1874年(明治6年)、1874年(明治7年)頃らしいのですが、これが一旦火が点くと一気に人気を博したそうで、夜そば売り(夜鷹そば)があちらこちらに屋台が出ていたのですが、鍋焼きうどんが出現するや夜鷹そばは立ち待ち席巻されて姿を消してしまったそうなんだね。因みに東京で流行ったのは1878年(明治11年)頃の深川という説があるのだ。

鍋焼きうどんは小ぶりの土鍋を使った一人前用の鍋ものですが、これを洗練させ、何人もが楽しめるようにしたのが、大阪の老舗店「うどんすき」なんですって!一方、東京でも明治から大正にかけての時期にとある老舗蕎麦屋が「寄せ鍋」と称してうどん台の鍋ものを提供しているそうだよ。