蕎麦屋でお昼を済ませてからもう一ケ所立ち寄ってから宿泊先へ向かうことに・・・

 さて、当日最後の観光先は・・・箱根関所。かれこれ10数年振りに行くのだ!

恩賜箱根公園の駐車場に車を止めて箱根旧街道を歩いて行きます

 

そうそう、当日、間もなく雨が降るのだけれど、曇りがちで写真があまりうまく取れなくて・・・<(_ _)>

 

旧街道杉並木

 

昔の古写真から(旧街道箱根関所前)ちょうど上の写真の逆から見たところだね。

 

元箱根~恩賜箱根公園まで続いている杉並木。1618年(元和4年)、幕命により川越城主、松平正綱が植林したと伝えられているんですよ。400本を越える樹齢400年超の杉並木が連なり、暑さ寒さから旅人を守っていたのですね。

街道を歩いて行くと大きな広場のようなところ出てくるのだ

江戸口千人溜

江戸口御門の外にあり、旅人たちが関所改めを待つ待機場所なのです。

広場の高台には遠見番所が見えます。

 

その前に門がありますが、その右側の芦ノ湖側に・・・

矢場

何のことはない名の通り、弓や鉄砲練習場。芦ノ湖に向かって打込むのですね。

 

箱根関所は1619年(元和5年)に設けられ、1869年(明治2年)に明治政府が諸国の関所を全廃した時に箱根関所も廃止され、2007年(平成19年)に完全修復して当時の詳細を見ることが出来るのですよ。

江戸口御門

 京口御門の対面にあり、高麗門という形の高さ6.1mの門。屋根は「栩葺き(とちぶき)」、外観は「渋墨塗り」。江戸方面から来たときには、この門から箱根関所の坑内で、西へ向かう旅人はこの門の前で身支度を整えて関所に入ったとか・・・

 

まずは門に入る前に観覧券を購入

 箱根関所は、江戸時代の主要道路である東海道を監視する為に、設置された関所なのですね。関所の仕事は、関所構内に掲げられた高札に記載されており、旅人が通るには様々な検査が行われ、旅人によっては関所通行手形を持っていなければならないそうだ。箱根関所では、江戸から関西方面へ向かう「出女」の際は幕府の御留守居役が発行した証文(手形)を必ず所持し、手形に記載された内容と持参した女性の特徴が一致しなければ、関所を通ることが出来ないのだ。とにかくかなり厳しい取り締まりだったようだよ。

 

通行手形

 

小太郎は、江戸口御門より入りました。

高札

一、関所を通る旅人は、笠、頭巾を取り、顔かたちを確認する

一、乗り物に乗った旅人は、乗り物の扉を開き、中を確認する

一、関より外へ出る女は詳細に証文と照合する検査を行う(江戸から関西方面へ向かう女性:出女)

一、傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていないければ通さない

一、公家の通行や大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合、通関の検査は行わない。ただし、一行の中に不審な者が紛れていた場合は検査を行う

 

これが箱根関所の主な役割なんだね。

 

足軽番所 検札所に観覧券を見せて、いざ観覧・・・

 

足軽番所

江戸口御門の脇にある建物で、昼間は足軽が控えていたり、夜は足軽が寝ていた場所です。屋根は杉板を薄く割って重ねた「栩葺き(とちぶき)」で、外壁の壁板を「渋墨」で黒く塗られています。

 

番所の右前に「三つ道具建」があります。左から刺股(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)という捕り物道具が旅人を威嚇する為に目立つようにしていたそうです。

獄屋

関所破りをした罪人などを一時的に拘置する牢屋で格子で囲まれており、とても頑丈に造られています。

江戸時代にタイムスリップしてしまった小太郎、服装がおかしいことと通行手形が無いので関所破りとして牢屋に放り込まれた・・・(笑)

 

足軽のための部屋や休息所で、不審な武士などを留め置く「揚がり屋」、関所破りをした罪人を入れる「獄屋」があります。

 

台所

台所を抜けると・・・

井戸

箱根関所の絵図には描かれていなかった場所から遺構調査により発見されたそうです。この井戸、山水を蓄えて涸れることなく、一定の水位を保っているのだそうですよ。

 

下番居所

雑用をする下番が控えている部屋です

 

足軽番所雪隠

便所ですよね。足軽が利用するためのもので、旅人は利用できなかったそうですよ。

 

さぁて、小太郎にはちょっとキツイ場所へ・・・

そうです、遠見番所へ

 

この石段、このプレートのところから現存する江戸時代の石段なのです。

 

結構、治療中の膝にちょいと悲鳴が・・・

 

さて、この石段を上がると・・・

 

遠見番所

箱根関所で唯一の2階建ての建築物で、四方に開いた窓から2名の足軽が昼夜を問わず交代で、芦ノ湖や街道沿いを見張っていたのです。

 

遠見番所から芦ノ湖を望めます

昔の箱根関所記念絵葉書

箱根関所脇から観光船が船出しています。

 

井戸

箱根関所の絵図には描かれていなかった場所から遺構調査により発見されたそうです。この井戸、山水を蓄えて涸れることなく、一定の水位を保っているのだそうですよ。

外繋

足軽番所と京口御門にあり、旅人の馬をつなぎ止めるために、頑丈な太い柱と桁を組んだもの

 

京口御門を出ると・・・

関所内から京口御門を出ると

京口千人溜

こちらも江戸口御門と同じように旅人たちが関所改めを待つ待機場として使われていた広場になるのです。

 

京口御門

こちらも江戸口御門同様、高麗門という形の高さ6.1mの門。屋根は「栩葺き(とちぶき)」、外観は「渋墨塗り」。京都方面から来た旅人は、この門から中が箱根関所の構内になり、旅人はこの門で身支度を整えて関所へと向かいます。

 

 ちょっと写真撮り損ねてしまったのですが京口御門の左側に「外屋番所」があるのです。足軽が見張っており、そこでは旅人の監視のほか、大名などの家来が国から逃亡(脱藩)して江戸へ出入りするのを捕らえるために設けた監視所があります。

 

厩(うまや)

幕末前は5頭をつなぐようになっていたそうですが、幕末になってからは2頭しかおらず、空いた場所には掃除用具や火消道具が納まられたというから納屋代わりにしていたようです。

 

さて、旅人の持つ箱根関所の通行手形が相違ないか吟味する大番所の裏側をまずは覗いてみました。

 

厩の裏側には

上番所下雪隠

関所役人が使用する便所なので、旅人は使えないのです・・・

 

また、厩の建物の土台にかなりの技術がいる造作が施されているのですよ!

ひかりつけ

厩の土台と石垣部分をよ~く見て下さい。

石垣の上に木材の土台が載る日本伝統的建造物のひとつで、基礎となる石垣は石なので、コンクリートとは違い大なり小なり凸凹がありますよね。この石垣の凸凹した上に木材をぴったり取り付けるために木材を削り出し取り付ける加工技術のことを「ひかりつけ」というのだそうですよ。土台を削って石垣にぴったり合わせてあるでしょ。伝統芸ですよね・・・(笑)

 

さて、大番所の表を見学する前に裏側を・・・ちょうど台所土間に入るところ・・・

 

大番所の見取り図

 

ここでは関所役人の食事などが作られる場所で、主にここから各部屋に上がったようですよ。

湯殿

そう、風呂場なのですが風呂桶が置かれていた訳ではなく、たらいに湯を汲んで湯浴みをしたそうなのですよ。

 

物置

この部屋は様々な書類が箱に納められて置かれていたそうで、関所役人の寝具なども置かれていました。

 

勝手板の間

囲炉裏が置かれ、関所役人の食事や休息に使われました。部屋の奥に戸棚があり、茶碗、汁椀、皿などの食器持ち運び用の道具が仕舞われていたようです。

左手にいるのが番士。旅人が差し出した箱根関所を通行する為の証文が本物かどうかを改めたり、旅人から聴取した行先などを記録した役人です。

右手にいるのは中間。箱根関所役人の身の回りの世話などをしたり、関所で使われていた馬の世話などをしていました。

 

土間

ここは竈(かまど)が据えられており、ほうきや提灯、みの、笠など様々なものが置かれていました。

ここにいるのが下番。関所役人の食事の支度やかまどや囲炉裏の火の番などの雑用をしていました。

 

笠に傘・・・

さて、大番所の表に行きましょ・・・

大番所

小田原藩の幕が張られていますよね。

関所の一番主要な建物です。正面しか撮らなかったのですが2棟が継がれている建物で、街道側が大番所、湖側が上番所と呼ばれています。ここも栩葺きと言われる薄く割いた杉板を重ねた屋根で、外観は御門と同じ渋墨で塗られた建物。

 

鑓建・長柄建

関所に配備された鑓や長柄という武器を建てて、関所を通る旅人を威嚇したのだそうですよ。

 

面番所

旅人の通行手形を調べるところです。

関所は留守居役などの発行者の印影(判鑑)が全て保管されており、関所を通る際に

女手形の印影と照らし合わせた。印影に擦れや滲みがあると偽造品ではないか入念にチェックされたのだそうです。それと「入鉄砲出女」の取り締まりも取り締まったんだ。

関所役人や定番人が詰めており、関所役人用に机や硯箱、煙草盆、火鉢などが一人ずつの側に置かれており、奥の壁際には様々な記録を収めた木箱ありました。鴨居には刀や槍が掛けられています。

面番所前の縁側では「出女」取り調べが行われていますよ。

 

 

別な関所での改め女による取り調べですね。この浮世絵からすると男の姿をしている旅人だけれど改め女が股を開かせアソコを確認しているようですね・・・(笑)

 

出女とは、江戸から出て行く女性のこと。幕府は大名の正妻を人質として江戸住いにさせていたが、反乱を企む大名は妻子を密かに江戸から国元に脱出させるはず。それで江戸からでていく女性たちは関所で厳しくチェックがはいったそうです。

少しでも怪しいことがあると、関所役人は人見女(改め女)を呼び髪を解いたり服を確かめたり、場合によっては裸にして確認しることもあったといいます。女改めといいうやつですよ。

 江戸時代当時、一般庶民の女性が旅や所用で江戸から出る際は、女手形と呼ばれる関所手形が必要だったのです。武家の場合は藩庁が幕府に申請し、その書面に幕府の留守居役が押印して関所手形としたようです。

とにかく女性の旅は大変だったようですね。

 

上の間

箱根関所の中で一番格が高く、普通は伴頭、横目が座り、大名や家老などの接待の間として使われていたようです。鉄砲や弓などが置かれており、これまた旅人を威嚇していたのです。

当時としては、旅人には脅威に十分足りていたのでしょうね。

 

そうそう、関所内に展示されている役人、馬の人形なのだけれど、当時の記録から役職や人数、名前などは判明しているそうなのだけれど、身体的特徴やい衣服などの色が分からず、馬も毛並みのいろなど特定できないので、敢えて淡い色の人形にしてシルエット効果にし、史実と違うイメージを与えないように配慮しているそうなんだそう。これを「シルエット展示方法」と言うらしいね。

 

 

さて、一通り箱根関所内を見学し、江戸口御門から出て湖畔沿いの石畳みを歩いて行くと・・・箱根関所資料館があります。

 

箱根関所資料館

関所手形や関所破りの記録、古代道中絵図、関所日記などの古文書、武器など、関所や箱根宿に関わる資料が展示されていました。昔来た時には箱根関所で捕まった最後の男の写真画像があったんだけれど見当たらなかったなぁ~・・・

因みに写真撮影NGなので、サラッと見て次の目的地へと向かうのでした。

 

 

歴史のロマン街道をあなたも味わってみては・・・

 

 

そうそう、箱根関所はいつでも通れたわけではなく、京口と江戸口の御門は、開け六ツ時(午前6時頃)に開門し暮れ六ツ(午後6時頃)に閉門したそうです。

ということで、一般の旅人はどの間は関所を通れないので、箱根山の麓にある三島宿や小田原宿に宿泊し、翌日箱根関所を目指して箱根山を登ったということです。