相方が行列のできる洋食屋をテレビで観たので、一度行ってみようという事になり、台東区は浅草に向かいました 車DASH!DASH!DASH!

車は、浅草雷門前にある浅草市営地下駐車場に停めて地上の浅草雷門前に出てきました

雷門

平日の午前10時半にはご覧の通り、海外の観光客ごった返していました

 そうそう、雷門というのは通称で、正式名称は「風雷神門」というのですよ

942年(天慶5年)の平安時代、武蔵守・平公雅(たいらのきみまさ)という武将によって駒形付近に建立され、鎌倉時代に現在の地に移転され、その時に風神像、雷神像が奉安されて「風雷神門」の名が付いたのだそうです

 現在の雷門とは違い、明治、大正期には今のようなドデカい提灯ではなかったのが伺えます


 大提灯

高さ:約3.9メートル、直径:3.3メートル、重さ:約700㎏、骨組みは京都、丹波地方で採れた竹、紙は福井県産の和紙を約300枚貼り合わせているとか!

 そうそう、実は意外と知られていないのが大提灯の下に彫られている龍の彫刻。かつて隅田川で浅草寺秘仏の観音像が発見された時、龍神が金の鱗を輝かせて現れたという逸話があり、浅草寺を見守る神様のひとつとして龍の彫刻が施されたとのこと

 

小太郎が雑誌に取り上げられましたぁ~・・・(笑)


仲見世側から大提灯を見ると「風雷神門」と書かれていますね

 


アバウトな浅草寺観光マップ

 

さて仲見世を通り、本堂へと向かいます

 

仲見世を通り本堂へ向かうと左手に五重塔、中央に宝蔵門が見えてきますが・・・

 

関東大震災の際の仲見世通りの中央に宝蔵門の屋根が見えるでしょ、何故か五重塔が右に見えているの分かりますか、今は宝蔵門の左に五重塔が建っていますよね。

浅草寺の五重塔は、平安時代の942年(天慶5年)に平公雅(たいらのきみまさ)により本堂と共に建立され、以前は宝蔵門の右手にあったのですが、倒壊や炎上に遭い、1945年(昭和20年)の空襲戦災により焼失後の1973年(昭和48年)現在の位置にさいけんされました。鉄骨、鉄筋コンクリート構造で、塔の高さは48m、(地上53m)

なんでも塔の最上層には1966年(昭和41年)、スリランカより青来された仏舎利が奉安されているとか・・・

 

宝蔵門

これまた942年(天慶5年)武蔵守、平公雅が建立したとされる旧仁王門の再建で、1964年(昭和39年)、大谷米太郎から寄進されたのがこの宝蔵門。鉄筋コンクリート造の入母屋造りで、上層部分には国宝の「法華経」、重要文化財の「元板大蔵経」「元版一切経」や寺宝収蔵されているので「宝蔵門」と呼ばれるのだとか・・・

 

あれっ、トランプ氏が小太郎のことを・・・(笑)

それと宝蔵門に吊るされている提灯の「小舟町」と書かれている通り、日本橋小舟町の人々による寄進で、両サイドにある鉄製の提灯型の下げ物も同様なのだそうです

 

大谷米太郎

大谷米太郎は、日本の実業家で、若い頃は元大相撲力士。太平洋戦争以前は「鉄鋼王」と言われており、戦後の一時期は菊池寛実(実業家で投資家、戦前は石炭王)、南俊二(実業家で投資家)とともに「日本三大億万長者」と並び称されたそうで、あのホテルニューオータニの創業者なのですよ

 

普通、扁額って本堂に飾られるものだと思っていたのですが、浅草寺では宝蔵門にあるのは不思議ですよねぇ~

 

現在は宝蔵門の左に五重塔が見えていますよ

 

宝蔵門を潜ると正面に本堂が見えます

 

手水舎で清めてから「授香所」でお線香を購入

 

これが中々火が点かない・・・(笑)

 

さて本堂前にある常香炉に線香を立ててっと・・・

とにかく煙いのなんのって、それでもその煙を自分自身に浴びます。何でも「香炉の煙を悪いところにかけると治りが良くなる」言い伝えがあるそうなので、ついついすがってしまう・・・(笑)とくに頭に煙を・・・(爆)

 

志ん橋大提灯

本堂に吊り下げられているこの大提灯、何故「志ん橋」と書かれているかというと、奉納したのが新橋の料亭や芸者さんたちの組合が奉納したからなのだそうです。

 

提灯には大勢の芸者さんたちの名前がぐるりと書かれていますよ。何となく粋だねぇ~

天井には龍の天井画があるのですが前回紹介したので割愛しちゃいま~す

 浅草寺の御本尊は、「聖観世音菩薩」、世間の生きとし生けるものの音声を観じ、その苦しみを除かれ、また願いを聴いて安楽を与えて下さる尊い仏様なのです。なんでも神変自在の働きを主として「観自在菩薩」とも称されており、よくいう「観音様」のことですよ。

さて参拝

ここはお寺なので、神社のように「二礼二拍手一礼」のように拍手はしませんよ!

 

お寺のお参りは・・・

① お賽銭を入れる

👇

② 合掌して一礼

👇

③ 軽く一礼

 

とにかく9割方が海外の観光客でごった返している状況でしたね・・・

 

境内をのどかに自転車漕いで通り抜けるオヤジを見ているとほのぼのしていますよね

 

浅草寺の御神木(銀杏の木)

昔建っていた五重塔付近にこの御神木はあるのですよ

源頼朝が浅草寺参拝の折りに挿した枝から芽が出たと伝わっているのだそうですが、それにしても育っていますよね・・・

源頼朝

1930年(昭和5年)、当時の文部省より天然天然記念物に指定されていたのですが、1945年(昭和20年)3月10日の太平洋戦争の東京大空襲の戦災で大半が焼けてしまい、現在は天然記念物の指定は取り消されてしまったのですが、御神木として慕われているようです。

この御神木そばには・・・

二天門

1649年(慶安2年)頃に、浅草寺東門として建立されたものと考えられており、太平洋戦争の戦火にも焼け残った重要文化財の貴重な建物。1618年(元和4年)に浅草寺境内に造営された東照宮の「隋神門」として建立されたと伝えられていた為、江戸期までは豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神を安置し、「矢大神門」と呼ばれていたのだそうですよ。

 実は、何度も浅草寺に伺っていたのですが、この二天門だけは潜ったことがなかったのですよ・・・(笑)

 明治の神仏分離により、豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神を廃し、鎌倉、鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天(広目天と持国天)を安置して「二天門」と呼ばれるようになったとか。その時の像は戦時中に修理先で焼失してしまい、現在安置されている像は、上野寛永寺の江戸幕府4代将軍、徳川家綱の霊廟から移された持国天と増長天が安置されているそうです

徳川幕府4代将軍、徳川家綱

 

そうそう、二天門の扁額は、明治最後の太政大臣、三条実美の筆

三条実美

 

二天門の傍には昔々五重塔があったというメモリアルが埋めてありそのチョイ先に



明治時代には天然記念物として指定されていたらしいのですが、太平洋戦争の東京大空襲によって一部焼け出されてしまった為に天然記念物の指定は解除されてしま

ったそうですよ

それでも憩いの場所として存在していますね

 

その先にには小高い丘の上にお堂と釣鐘堂が見えてきます

 

時の鐘

 現在でも午前6時になると鐘が撞かれるそうで、大晦日には除夜の鐘として撞かれるのだそうですよ。午前6時という事は時代劇でいうと「明け六つ」でござるな・・・

 この時の鐘、1692年(元禄5年)、徳川幕府5代将軍、徳川綱吉の命により、「釜六」の名で知られ「御成先鍋釜御用」に任ぜられた滋賀県栗東市出身の鋳物師、太田近江大掾藤原の正次(おおたおうみふじわらまさつぐ)が鋳造したもの

徳川綱吉
 

そうそう、浅草寺の鐘は、俳人である当時、深川に住んでいた松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠ったので有名ですよね。満開の桜を雲に喩え、思案した句なのです。

 訳:花曇りの空に鐘が聴こえてくる。あれは、上野東叡山寛永寺の鐘か、はたまた浅草浅草寺の鐘か

松尾芭蕉と曽良

 

弁天堂

「関東の三弁天」のひとつとして知られる弁天様。この弁天堂の御本尊は弁財天なのですが、珍しい白髪なのだそうで、「老女弁天」とも呼ばれているそうですよ。扉が閉まっていたので見ることは出来ませんでしたけれどね。なんでも弁財天は、手先が器用なかみさまなので、芸術的分野での才能を伸ばしたい時にご利益があるそうなのですが、着物を着た海外の観光客が撮影で居たくらいで、だ~れもいませんでした・・・(笑)

 

おっと、もうふたつばかり書かせて・・・本堂からちょっと離れているのだけれどね

 

九代目 市川團十郎の「暫」の像

罪のない善男善女が悪人に捕らえられ、まさに皆殺しにされようとする危機一髪のときに、「しばらく~」と大声をかけて現れた主人公が超人的な力で荒れて救うという物語のワンシーン

歌舞伎役者、九代目 市川團十郎の歌舞伎十八番
あの十三代目 市川團十郎の祖先ですよ!
 

瓜生岩子の像

日本のナイチンゲールと呼ばれた方の銅像なんだよ

1829年(文政12年)に福島県喜多方市で生れ、33歳の時に夫を亡くし大きなショックを受けたが、示現寺の隆覚という老僧のことばによって立ち直り、1868年(明治元年)から始まった戊辰戦争の際、寄付を集め、私財を投じて、薬や食料を買い込んで戦地へと向かい、滝味方の区別なく負傷者の看護をしたのです。

瓜生岩子

戊辰戦争後、教育を受けられずいる会津藩士の子弟たちのため、私費で幼学校を設立し教育に当たりました。その後も孤児救済施設、無料医療施設の建立に奔走し、福島県のみならず全国的に慈善活動に一生を捧げ、女性初の藍綬褒章を受章、日本のナイチンゲールと呼ばれたそうなのです。

 小太郎もこの像見るまでは、こんな実績のある方だとは思わなかったですよ・・・

 

 

今回は、別件の目的があり、観光客が沢山いても致し方ない時間帯だったので、ゆっくり散策出来なかったけれど、今度行くときには朝早く、観光客が来る前に浅草寺境内を散策したいと思います・・・

 

結構見るところが沢山ありますよ。

さぁて、浅草寺の隣の浅草神社へと参ります・・・(笑)