⁹ さぁさぁ、京都の旅へようこそ!

 三十三間堂を後にして次なる目的地は、日本一の高さを誇る木造塔がある寺院へ

実は壬生町にある新選組駐屯地「旧 前川邸」で期間限定の拷問蔵の公開があったのですが確認不足で、当日は休館ということで、急遽予定変更した次第でした。旧前川邸は個人住宅なので一般公開されない為、貴重な見学が出来ずガッカリ・・・

山南敬助が切腹した家でも有名ですよね。

 まっ、気を取り直してのスケジュール変更です。

今回もうんちくを混ぜてのアップなので長々になってしまうので、ギブアップの方はスル~してくださいね。

 

見えてきましたよ、五重塔

今回は世界遺産「古都京都の文化財」の資産のひとつの「東寺」にやってきました。

 

東寺 慶賀門

鎌倉時代に造られた八脚門で、国の重要文化財に指定されている歴史あるもんなのです。参詣者の入口になっているそうなのですがね・・・

ということで、この門は正門ではないのであしからず・・・正門は

南大門

なんでも796年(延暦15年)に東寺は創建されたのですが、1895年(明治28年)に三十三間堂の西門(1601年(慶長6年)創建)が移築されたものなのだそうで、これまた安土桃山時代の歴史的建造物で国の重要文化財に指定されているのです。

さて、中に入りましょう。小太郎、東寺に来ました!

 

境内案内図

東寺とは、京都南区九条町にある東寺真言宗の総本山で、正式名称は「教王護国寺」

本尊は「薬師如来」。796年(延暦15年)桓武天皇の創建で、羅城門の東に位置したので東寺、左寺、左大寺等と呼ばれた。

桓武天皇

823年(弘仁14年)嵯峨天皇が空海に下賜し、以後真言密教の根本道場となったのです。

嵯峨天皇

南北朝時代に頼宝、杲宝、賢宝が出て教学を大成し、寺は内外ともに隆盛していたのだそうですが、室町時代後半に兵火で荒廃してしまいました。

豊臣秀吉

徳川家康

後に豊臣秀吉、徳川家康により再興されたのです。そんでもって、境内は国指定史跡で、1994年(平成6年)に世界遺産に登録されました。

 

とにかく敷地が広いことひろいこと・・・石畳の先には

 

手水舎

まだ、コロナ渦のせいか清め水は張られていませんでしたので、ウエットティッシュにてお清め・・・(笑)

 

この先に見える門を潜ると大師堂(御影堂)というかつての弘法大師空海の住坊で、1380年(康暦2年)に再建された国宝の建物があります。

 

弘法大師 空海

 空海は奈良時代から平安時代にかけての時代に現れ、中国に渡ってまだ体系化されていなかった密教を授かり、初めて体系化し真言宗を開きました。高野山に真言宗の本山、金剛峯寺を開いています。そうそう、書の達人でもあり「弘法筆を選ばず」

「弘法にも筆の誤り」という諺が残されていますよね。

 

 

堂内には空海念持仏としていた不動明王が安置され、さらに弘法大師座像も祀られているとか・・・

 

食堂(じきどう)

食堂は、その名の通り僧侶が食事をしたところで、創建年数は不明。1930年(昭和5年)に火事で燃え、1934年(昭和9年)に再建されました。

 

焼失した食堂には高さ約6mの千手観音像が本尊として安置されましたが、大破したが焼失は免れ、大修理後、北大門の西側にある宝物館に保存されていて、重要文化財に指定されているとか。

室町幕府初代将軍、足利尊氏

足利尊氏は東寺に本陣を置き、この食堂に居住していたこともあったそうなのです。

 

食堂の前に夜叉神堂があったのですが、訪れる方々がいないのか、かなり粗末に扱われているようなので説明立て札だけ撮影しました・・・

 

さて、食堂を後にし、向かいましたのは有料の文化財を見ることにしたので、

拝観受付へ

 

 食堂を後にして次なるは講堂、金堂、五重塔を拝観するのですが、このエリアは残念ながら有料拝観になりますよ。五重塔は間近で見たかったので、入ることにしました。

 

 

境内の南、南大門から北へ金堂⇒講堂⇒食堂とまっすぐに大伽藍が一直線に並んでいます。この配置は仏法僧を表しているのだそうです。金堂には本尊の「仏」、講堂は密教の教え「法」、そして食堂が「僧」になるのです。

 

門を潜ると講堂、金堂が見えてきます。

 

お堂の左側に庭園がありますが本日のスケジュール上、パパッと見てスル~しちゃいましたが、見事な枝垂桜があったのでこれだけは写真に収めました。

不二桜(紅枝垂桜)

樹齢120年、目通り1.5m、樹高13m、枝張り7m

岩手県盛岡市の旧家で育てられ、1994年(平成6年)秋田を経て三重県鈴鹿市の農園が譲り受け、2006年(平成18年)弘法大師の入唐求法の旅より帰朝せられて、1200年記念に東寺信徒総代で森紙業株式会社最高顧問の藤定輝好氏より寄贈されたものなのだそうですよ。

 

庭園を抜けると・・・

見えてきました。

五重塔

この五重塔は日本一を誇る木造建築物で高さ54.8m

826年(天長3年)、空海が金堂に続き創建に着手した建築物なのですが、存命中の完成には至らず、没してから厄50年後に創建されたのだそうです。

その後、3度の焼失あったのだそうですが耐震構造のため、地震で倒壊した記録はないそうです。ところが1055年(天喜3年)に落雷で焼失。現在の五重塔は1635年(寛永12年)の焼失後、1641年(寛永18年)に明正天皇の詔を奉じて徳川幕府第3代将軍、徳川家光が復興尽力し、1644年(寛永21年)に再建され、現在は国宝に指定されています。

明正天皇

徳川幕府三代将軍 徳川家光

本当は五重塔の内部を見て見たかったのですが、特別公開の時期ではないので見ることは出来ませんでした。内部には、心柱を大日如来に見て金剛界四仏像と八大菩薩像が安置され、壁や柱には金剛界曼荼羅や八大龍王、真言八祖像が描かれているとか。

 

そうそう、五重塔を見上げた時に四隅の隅木の上に何かいるのです。

これは混獣の塔を支えている邪鬼のあまのじゃくなのだそうで、地震などで五重塔が揺れると倒れないように支えているのだそうですよ。

 

 日本一~・・・(笑)

 

金堂

東寺が空海に下賜された823年(弘仁14年)までに完成していと思われる本堂なので

す。このお堂、2階建て脳に見えるのだけれど、一重裳階(いちじゅうもこし)になっているんですよ。裳輿とは、軒下にある庇的なものをいいますよ。そう、屋根のように見える部分は裳輿という訳です。建築様式は和様と大仏様の併用で、屋根中央の切り上げは東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形式なのですよ。

 

1486年(文明18年)土一揆により焼失し、現在の金堂は1603年(慶長8年)豊臣秀頼の寄進での再建で国宝。

豊臣秀頼

 

東寺の本尊にあたる、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が納められているのですが、堂内は撮影NGなので、今回も写真をお借りしました。<(_ _)>

なんでも1603年(慶長8年)康正(こうしょう)の作で、いずれも国の重要文化財に指定されています。

 

講堂

空海は、人生のすべてを注いで、密教という教えを伝える為の中心的建物としたのが講堂なのだそうです。

 

825年(天長2年)、空海が着工し、835年(承和2年)頃に完成、創建当時は金堂と回廊で繋がれていたのだそうですよ。今はその回廊はありません。

この講堂も金堂と同じく1486年(文明18年)の土一揆により焼失し1491年(延徳3年)に再建されたのだそうで、現存の建物は国の重要文化財に指定されています。

この堂内も撮影NGにて写真をお借りいたしました。<(_ _)>

右側に金剛波羅蜜多菩薩を中心とする五大菩薩(国宝)

空海は、曼荼羅をリアルに表現する為、大日如来をを中心とする21体の仏像が安置されています。通称「立体曼荼羅」と呼ばれているのだそうですよ。

中央に大日如来を中心とした五智如来(重要文化財)

左側に我が国に初めて紹介された不動明王を中心とする五大明王(国宝)、須弥壇の四方には、四天王(国宝)と梵天、帝釈天(国宝)が納められています。

 

とにかく仏像は真に迫る雰囲気があり今にも動き出しそうな・・・

 

 日本一高い木造建築の五重塔、必見です。

新幹線からも見えるんですよ‼️

 

お~っと、とうに12時過ぎちゃったので、京都駅に行ってお昼を食べてから次なる目的地へと向かいます。