日本一小さい市である蕨市。その 「成年式発祥の地記念像」のある蕨城址公園内に神社もあるのですよ。今年はその神社に初詣。小太郎、今年は本厄なので、その厄払いは大宮にある「氷川神社」でやることにしています。

  相方が勤務先に忘れ物をしたという事で早朝、車で勤務先まで送迎し、帰り掛けに久々に立ち寄ってみました。

 

まだ午前6時過ぎなので、ほとんどひとっこはは見当たりません・・・(笑)

蕨市民会館に車を停めて、南鳥居から入って行きます

 

朝早過ぎるので、小太郎の大好きな的屋フードはまだやっていません・・・(笑)

たこ焼き食べたかったなぁ~

 

 

和樂備神社(蕨神社)

 蕨一字では何でか尊厳味がないということで、元蕨町長、岡田健次郎の知人である本居豊穎に依頼し、万葉仮名から取って、和樂備神社と命名されたそうなのです。

本居豊穎

 明治期に活躍した国文学者で、江戸末期に「国学」という学問を完成させた国学者、本居宣長の義理の曾孫に当たる偉~い学者なのです。

 

和樂備神社境内案内図

 

手水舎

 

 大鳥居を潜り左手にあるのが手水舎。現在はコロナ感染予防のため使用禁止で、大鳥居の前に消毒用のスプレーが置いてあるのでお清めではなく消毒を・・・(笑)

 

更にその隣には・・・

乃木希典の銅像

 蕨市と乃木希典が関係あるのかな?といつも思っていたのですが、日露戦争従軍の蕨町老兵会の人々により1936年(昭和11年)、蕨市立北小学校の校庭に建立されたらしいのですが、終戦後、軍国主義の象徴であることから校庭に置いておくのは不適当とされ、1957年(昭和32年)この境内に移設されたんだそうです。

 

乃木希典

 日本の旧陸軍の陸軍大将、教育者。日露戦争における旅順攻囲線の指揮や明治天皇を慕い殉死したことで国際的にも著名な人

 

さぁ、石畳を歩いて本殿へ・・・

 

狛犬

 狛犬は神社や寺院の前に置かれている獅子に似た獣で、想像上の生物。高麗から渡来した獣像といわれこの名があるのです。魔除けの効力があるとされ、平安時代には清涼殿の御帳の前に、左に獅子像、右に狛犬が一対並べて置かれたそうなのです。今では左右の差異は無くなってきているようです。一般に右が開口、左が閉口している狛犬が多いらしいのです。これを阿吽、陰陽になぞらえているんだそうです。

 しかしながら和樂備神社の狛犬はどうみても両方開口しているように見えるのは小太郎だけでしょうか・・・(笑)

本殿参拝

二礼二拍手一礼

 

 蕨市は日本一面積が狭い市であるため、日本一小さい市の総鎮守として知る人ぞ知るなんですがね・・・(笑)
 江戸時代の中仙道沿いにある蕨宿が整備され上の宮「八幡社(蕨八幡)」、中の宮「氷川社」、下の宮「氷川社」の三社は蕨宿鎮守三社として崇敬を集め、1911年(明治44年)に蕨町の村社八幡社に町内の無格社十八社を合併して、社号を「和樂備神社」となったのです。創建から江戸時代までのことは、別当寺を務めた三学院未成就院が廃寺となり、分からず仕舞い。社伝によれば、室町時代に足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされています。
 
 何でも本殿に安置されたご神体(木造僧形八幡立像)の台座に1583年(天正11年)の文字が薄っすらと残されているんだとか。
 

 北鳥居側に末社があります


和樂備神社末社稲荷社本殿

 

 和樂備神社の前身である宮田の八幡社本殿を稲荷本社本殿として、現在の場所に移築されました。17世紀末~18世紀初めに建てられたものと考えられているそうで、稲荷神社らしく朱色に塗装されています。

 

 そうそう、珍しい建築の神様の碑があるのですよ

建築三神

 主に建築関係の職人が守護神として祀られているそうなんです。普通は聖徳太子を祀るらしいのですが、和樂備神社ではこの三神を祀っているそうなんです。毎年、建築関係者が集まり祭礼するそうです。

手置帆負命(たおきほおいのみこと)

 工匠守護の神。建築上棟式ではお馴染みらしいです。天照大神が天の岩屋に隠れてしまったとき、彦狭知命(ひこさしりのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造った。天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈祷、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られたのです。後年は天降りした大国主命(おおくにぬしのみこと)の笠縫として仕えたとされています。

 

八意思兼命(やころおもかねのみこと)

 思慮深さを兼ね備えた知恵の神で、高天原を主導する高御産巣日神(たかみむすび)の御子として日本神話に登場します。須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な振る舞いに悲しまれた天照大神が天岩戸に隠れてしまい、世の中が暗闇となり、多くの災いが起きてしまったので、八百万(やおろず)の神様を集め、天照大神を天岩戸から出てくるよう考え成功させた神なのです。

 

彦狭知命(ひこさしりのみこと)

 「日本書紀」には、祭祀に用いる神聖な盾を奉勢する「作盾者(たてぬい)」の役割を与えられている神と記されています。文字通り盾をつくる神なのです。天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、手置帆負神と共に天御量(あまつみはかり)を使って木材を集め、瑞殿(みずのみあらか)を造営。。天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈祷、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られたのです。このような言われから、工匠の守護神として知られ、釿始祭(ちょうなはじめさい)、立柱祭(りっちゅうさい)といった木を扱い、建築に関する祭祀には手置帆負神と共に祀られ、建築、土木技術者から崇敬を集めているのです。

 

 小太郎も建築士の端くれなのだけれども、和樂備神社に「建築三神」が祀られているとは知らなかったぁ~・・・( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

面目ねぇ~・・・(笑)

 

和樂備神社末社天神社本殿

 なんでも宮田の天神社(蕨市中央5丁目)本殿を1911年(明治44年)の合祀の際、末社天神社本殿として、ここに移築したんだそうです。本殿の建造は江戸初期の17世紀初めと考えられているそうです。

 

筆塚

 元々書家が廃筆の供養のため築いた個人的なものだったそうなのですが、書家が寺子屋の師匠となるに及んで教え子たちの筆もあわせて埋め、筆の供養をするとともに師匠を顕彰する意味を持つようになったようです。

 

神輿殿

 

  江戸末期に拝殿として建立されたのですが、1964年(昭和39年)拝殿新築により、神輿殿は手水舎に移築し神楽殿になったそうですが、何の因果か倉庫にされていたんだそうです。2014年(平成6年)に改築され、神輿殿として蘇ったとか!今ではガラス張りの中に置かれています。

 

大鳥居の端の方には小さな鎮守さまが・・・何故かきつね様祀ってあります

 

弁天社側から見た和樂備神社