桜と菜の花のコラボレーション「権現堂公園」 | 清く・正しく・適当に・・・

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出合った時が友達です
出会いって素晴らしいですよね!

100年ぶりの投稿になりま〜す。単身赴任から解放されて2週間が経過しようとして入るのですがまだまだこちらの生活に馴染めていない状況です。
まっそんな中でメンタルを癒すために桜を見に行く事にしました。本当は本日までの皇居の乾門通りの桜を見に行きたかったのですが半端なく混むことが分かっていたので回避しました。
で、行ったところが桜の名所“権現堂桜堤”の桜のトンネルがあります埼玉県幸手市の北部に位置する権現堂公園なんですよ。
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長さ1㎞にわたる堤に約1000本のソメイヨシノが咲き誇り桜のトンネルを作るんです。以前の事になるのですが大正9年、権現堂堤に3,000本のソメイヨシノが植えられ、関東の桜の名所となったのですが太平洋戦争の末期に薪として伐採されてしまいほぼほぼ姿を消したようで昭和24年に改めて1,000本のソメイヨシノが植樹されたんですって。
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これは極々一部の桜並木なんですよ

ただ、生憎の雨にて写真写りが芳しくない・・・
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ソメイヨシノは、桜の品種の1つです。日本で「桜」というと、ソメイヨシノを意味することが多く、桜の開花期を知らせる、桜前線の基準にもなっているほど、桜の中で知名度が高い桜です。
江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)と大島桜(オオシマザクラ)を交配させて生まれたと考えられており、明治中期以降に明治政府の意向で全国各地に植えられました。これは、徳川幕府のイメージを世間から排除し、明治政府の印象を強めるためです。今では、全国に植えられている桜の約80%がソメイヨシノだとされています。
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江戸時代末期に~明治初期に、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木職人が品種改良をして作られたとされています。作出された当時は、桜が有名な吉野山にちなんで「吉野桜(ヨシノザクラ)」と呼ばれていました。しかし、吉野に植えられているのは山桜という別種であることや、染井村が起源であることから、1990年に東京帝室博物館の藤野寄命「染井吉野」と名づけ、その翌年には東京帝国大学の松村任三教授により「Prunus yedoensis」という学名が付けられました。ということは豊臣秀吉時代の醍醐の桜はそれ以前の山桜だったんですね~

この桜並木をもう少し歩いていくと・・・   DASH!

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菜の花畑が開けてきており桜の淡いピクト菜の花の黄色のコラボが何とも素敵ですよね。菜の花は昭和63年に作付けされたそうなんです。

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菜の花とは、アブラナ科の「アブラナ」のことで「ナタネナ」とも言われ、日本では古くから菜種油を取るために栽培されてきました。花の特徴は、花びらは4枚、黄色で十字状の花が房状に付きます。

中々良い風景でしょ。カメラ小僧ならぬカメラオ親父がシャッターを切りまくり・・・(笑)

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さぁ戻りますか・・・

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並木の下には約100店舗の露店が出店していますが朝早く行ったのでまだ店開きがされておらず小太郎には目の毒な光景です・・・(笑)

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これは昭和初期の権現堂公園の桜のの写真をお借りしました。<(_ _)>

桜 いいね~