まだまだ本格的に旅に出るわけにはいかないので、またまた思い出の旅を・・・
 
十和田湖と言えばこの場所を外すわけにはいかない場所がありますね!
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乙女の像
十和田湖畔の御前ヶ浜に建つ「乙女の像」なのです
 詩人にして彫刻家であった高村光太郎の傑作として知られ、十和田湖の文字通りのシンボルなんです。
光太郎は「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」と詩にも読んでるんです・・・
 
高村光太郎
 「千恵子抄」「道程」で有名ですよね。小太郎も若いころ読みました。
 
高村光雲
  あの西郷隆盛像、重要文化財になっている「老猿「」で有名な彫刻家の高村光雲の御子息なんですよね。
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光太郎の十和田湖の裸像の詩が綴られています
 
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乙女の像が建立された経緯が綴られています
 
 十和田湖を世に出した功労者は、明治の文化人・大町桂月、「十和田知事」の異名をとった武田千代三郎知事、地元の法奥沢村長で県議でもあった小笠原耕一の3人。この3人の顕彰をねらいとした記念事業だったんです。それが今ではなくてはならない観光名所になっているんですね。
大町桂月
 
武田千代三郎
 
小笠原耕一
 
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 この裸婦像にはモデルがいたんですよ。藤井照子、19歳。東京のモデルクラブに所属する姉妹の一人。
藤井照子
 
藤井照子と高村光太郎
 野辺地町出身の彫刻家、小坂圭三が光太郎の意を受けて探し当てた人で、「みちのくの自然に対抗できる、力に満ちた美の持ち主」という条件で選んだそうです。
小坂圭二と高村光太郎
 彼女は選ばれたことに誇りをと使命感を感じ、光太郎の制作の手が止まると「先生、始めましょう」と促しながしては光太郎を奮い立たせたそうなんです。女性は強いですね・・・(笑)
 
 よく光太郎の最後の妻、千恵子がモデルと言われているのですが、光太郎曰く、
 
高村千恵子
智恵子だという人があってもいいし、
そうでないという人があってもいい。
見る人が決めればいい
 
と光太郎は答えています。見る人のの気持ちに沿えばいいんですよね。
 
 
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 光太郎はこの後、倉田雲乎像の制作にかかったそうですが、病に倒れて完成せず、この「乙女の像」が最後の作品になったしまいました。
 
 この裸婦像は自然にうけいれられている素晴らしい像なので、一度は見に行って欲しいです。損はしませんよ・・・(笑)