会津若松の飯盛山にあるさざえ堂を後にして向うは「戸ノ口の堰」

その前に、厳島神社の前を通りました。というか素通りしてしまいました。
厳島神社は古くから信仰の対象となっていた神社で永徳年間(1381~83)に勧請されたと言われています。当時は宗像神社と称し飯盛山も辯天山と呼ばれていました。神仏習合し祭神である市杵島姫命は弁才天と習合し、別当には正宗寺があたりました。歴代の領主からも信仰され芦名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏(松平氏)の崇敬社となりました。特に会津藩三代藩主松平正容は元禄13年(1700)に社領の寄進や社殿の建立などを行いました。寛政8年(1796)には別当である正宗寺の三匝堂(さざえ堂)が建立されるなど隆盛を極めましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により正宗寺が廃され厳島神社と改名されました。
その先にかなり勢いのある水の流れが!


「戸ノ口の堰洞窟」
猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた堰で元和年間から元禄年間まで工事が行われ天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進みました。トンネルの長さは約150mとなり工事に刈り出された人夫は5万5千人に達したそうです。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり会津藩にとって大きな恩恵となりました。

戊辰戦争の祭は白虎隊士中二番隊20名が鶴ケ城(会津若松城)に戻る際通った洞穴としても有名で、この後飯盛山から城下町が炎上しているの見て自刃しています。
最後に白虎隊記念館に立ち寄り飯盛山の舞台を降りることにしました。

白虎隊に関する資料や新撰組に関するものなどが収蔵されているのだが生憎撮影禁止だったので残念。なかはなんというか昔の資料が煩雑に展示されていて歴史を追ってという感じがしなかったので見ごたえは感じられなかったというのが感想です。

白虎隊士の像が鶴ヶ城の方を眺めています。

おまけ

白虎隊士と鶴ヶ城を望む食いしん坊です。