遠征は4日目を迎えた。
そろそろ疲れが出てくる頃合いではあるが、
今日登る予定の大東岳は今回の遠征の中で最も手強い山だと思われる。
体力が保つのかどうか、少々不安だが…まぁ、行ってみよう。

大東岳は秋保温泉の奥にある。
仙台から1時間かからないで行ける場所にあるし
天気もいいことなので混んでいるかな?と思いながら現地に向かった。
しかし駐車場に着いてみたら先客は車3台のみ。
少々拍子抜けのスタートとなった。

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二口登山口からは2本の登山道が山頂を目指している。
表コースと裏コースという名前がついているが
表コースから登り、裏コースから下山というのが一般的だという。
我々もそのように歩くつもりだ。

我々の前に二人の登山者が先発していったが、その二人は裏コースから登るようだ。
急な下りを避けた…という事だろうか。
「ポールなんかいらねぇ。手を使って登るところあるから邪魔なだけだ」
と言っていたのが印象的だった。
そうか、やっぱりなかなか険しい道なんだな…。



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我々もスタートする。
最初、いきなり藪っぽい場所に突入する。
東北百名山は過去に何度も我々を藪に誘って苦しめてくれたので
「ここもその手の山なのか?」と少し焦ったが、すぐにまともな道になった。
ふぅ…、驚かせやがる…。



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ガイドブックではとにかく急登であることが強調されていたが
初めのうちは沢に沿って進むので傾斜はそれほどでもない。
…沢が尽きるところでガツンと登りに転じるパターンだな、これは…。



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傾斜はそれほどでもないが、楽な道かというとそういうわけでもない。
沢沿いというか、沢の中を進む部分も多々あり、当然渡渉もある。
結構水量が多い場所もあるので転けないように慎重に進む。



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途中、崩壊した斜面のトラバースが行く手を阻んだ。
滑落したところでたいしたことはなさそうだが、
登山口に掲示してあった要注意箇所なので慎重に通過しよう。
まだ地面が安定していないのか、足元がグズグズと崩れる。



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登山道は徐々に傾斜を増し二合目にたどり着く。
一合目は見なかったなぁ…。
立派な御影石の道標だが「秋保町」という署名が入っている。
秋保町はこの登山道に相当力を入れて整備していたようだ。

その秋保町も今や仙台市の一部に編入されている。
編入は昭和63年だった(はず)なので、道標はそれ以前に設置されたものか?
ぜんぜん古びた感じがしない。すごいね、御影石って。



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このあたりまでくると登山道は沢を離れグングンと高度を稼いでいく。
さっきまで寄り添うようにしていた沢筋は、遥か谷底にその姿を見せている。



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樹林の中にぽかっと広がった広場に出た。
立石沢、という標柱が立っている。
距離だけで考えれば山頂までの三分の一を踏破したことになる。
高度差で考えると…まだまだ先は長い。

立石沢には複数のたき火の跡が残っていた。
とは言っても最近のものではなさそうだが。
こんなところでキャンプ?
それとも何か緊急事態でビバークしたのだろうか?
最近はどこも直火の使用にうるさいから、たき火の跡を見るもの珍しくなった。



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立石沢を過ぎると、道はいよいよ傾斜を増していく。



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4合目、5合目と進んで行くにつれ植生もどんどん変わっていく。
こんなところからも急激に高度が上がっていくのが感じられる。



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鹿打林道分岐点に到達。
林道なんていうから車道でも通っているのかと思ったら
細い徒歩道が分岐しているだけだった。
しかも藪に埋もれかけて…。
登山道ではなく作業道ですよ…という意味合いか?



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6合目を過ぎ、標高点という表示がある場所に到着。
ちなみにこの標高点の標識、肝心の標高が間違っていたらしい(笑
上からテープが貼られて修正されているのはご愛敬。


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道は一旦(比較的)平坦になるが、7合目を過ぎたあたりから始まる
「鼻こすり」と名付けられた急坂でクライマックスを迎える。



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擦るほど高い鼻は持ち合わせていないが、
たしかに地面が顔の前にあるな~と思えるほどには急坂だ。



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そろそろ山頂かな?というところに来て、ようやく視界が広がった。
ここまで眺望が得られる場所は皆無。
つまり、そういう登山道だ。



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大東岳の山頂付近は台地上になっている。
急な坂を登りに登ってきて、ひょいと飛び出した場所は平坦な山頂だった。
登山口から3時間強。ずっと登りづめであった。
なかなかに厳しい行程である。



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山頂は北側の眺望に優れ、面白山や泉ヶ岳など仙台近郊の山々が見渡せる。
栗駒や船形山も見えるらしいが、ちょっと判別がつかない。



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方位盤もあるのだけれど、なんとなーくコレかな?という感じ。



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西側は山頂広場から少し踏み込めば眺望が得られる。
扁平ながらも端正な三角形は月山。
その右側に見えるのは葉山だろうか?



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一方、南側は灌木に遮られ眺望は得られない。
方位盤には蔵王などの文字も見られるが、少なくとも今の季節では
山頂からそれらの山々を見ることは不可能だ。


ずっと登りづめで疲れたので山頂でゆっくり休憩する。
広い山頂広場だが、我々二人の貸し切りだ。
しばらくすれば逆回りを歩いていると思われる二人組もやってくるだろうか。


しばらくすると我々と同じ表コースから一人の登山者が登ってきた。
その人は表コースを戻っていった。
一般的とされている周回コースを歩かないんだ?
と少し不思議に思ったが、我々は当初の予定通り裏コースを下山する。



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裏コースの出だしは左右から生い茂る灌木の歓迎から始まった。
踏み跡は表コースより細いようだ。
ほとんど傾斜が無いためか深い泥に覆われている箇所もあり
行く手に少々不安を感じる。



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しかし見通しの悪い灌木帯を抜けると素晴らしい眺望が待っていた。
我々が3日間かけて歩いた神室・雁戸・屏風が一望の下に広がる。
この広大な景色の中の多くの山々を踏破したと思うと大きな達成感が湧いてくる。



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うーん、さっきの登山者はこの景色を見ないで帰っちゃったんだな~。
たとえ周回しないにしても、この展望地までは来るべきだろう。
これから大東岳に登る方には、この点を強くお勧めしたい。
表コースピストンで山頂戻りではもったいない!



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しかし楽あれば苦あり…というか、展望地を過ぎると難所が待っている。
その名も「弥吉ころばし」
ズバリそのもののストレートなネーミングだ(笑



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弥吉ころばしの道標が立っているあたりから見ると
はるか下界を流れる川筋まで、ためらいなく一気に下降しているのが分かる。
草木が豊富に茂っているのであまり高度感は感じないが
これが岩肌むき出しの斜面だったらかなりの高度感ではなかろうか。



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恐る恐る弥吉ころばしに踏み込んでいく。
確かに急な下り坂だ。
ステップだけは豊富にあるのが救いだが、スリップしたら滑落しかねない。
格好悪いが手足をフルに使った4WD体勢でゆっくり下っていく。



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どうやら弥吉ころばしを無事に通過し一息つく。
しかしこの先は沢筋に下降していく事になり
今度はスリップ注意の区間であるという。
引き続き慎重な足運びが要求される。



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弥吉ころばしも大変だったが、コケにまみれた沢沿いの岩場もまたやっかいだ。
太い鎖が設置されているのが救いだ。
これが無ければかなりシビアな場所だったろう。



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沢底に降り立ってからも右へ左へと渡渉する箇所が続く。
水量は多くないので渡るのに困難な場所は無いが
浮き石だらけなので足元に注意が必要だ。



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弥吉ころばし突入から1時間、ようやく避難小屋が見えてきた。
常に緊張を強いられる下りだったので、実際よりも時間がかかったような気がする。



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ともあれ、ここまで来ればあとは大行沢に沿ってゴールに向かうだけだ。



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最初は確かに穏やかな道だった。



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時に川辺に下りて綺麗な水の流れを楽しんだり
小鳥の鳴き声に耳を傾けたりしながら進むことができた。




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しかし…途中から状況が怪しくなってきた。


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平坦だったはずの道は、時に岩場に張り付くような場面を見せ始め
大行沢だけがグングン高度を落とし登山道から離れていくのだ。




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そして唐突に行く手にトラロープが張られていた。
その傍らには「裏磐司登山道」などという初めて聞く名前が書かれた道標が…。
一瞬道を間違えたのかと思ったが、そういうわけでもないようだ。



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おそらく我々と同じくここで戸惑う登山者は多いのだろう。
トラロープに沿って谷底に下りようとする踏み跡が明瞭に刻まれている。
そりゃそうだろう。
沢に沿って高度を下げるだけと思っていたところを突然行く手を遮られたのだから。
おまけに「本小屋へ」などという、こちらは聞いたことのある地名が書かれた道標が
トラロープの先を示すように置かれているのだから戸惑わないわけがない。

しかし、どう見ても谷底に向かう道はしっかり整備されたものではない。
うっかり谷に向かって下りて登り返せなくなるリスクを考えると
ここを下るという選択肢は最後に持って行きたい。

というわけで「裏磐司登山道」に、まずは進んでみることにした。
GPSがあるのだから、当初の進路を大きく外れるようなら戻ればいいわけだし。

そう思いながら進んだ裏磐司登山道だが、結果的に正しい道であった。
しかし、これが大変な道でもあった。

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そこここに鎖やロープが張られた岩場があり、アップダウンも激しい。
なんかガイドブックにはさらっと「景色を眺めながら歩みを進め…」
などと書かれている区間だが、
そんな一言で片付けられるほど簡単ではないと思うのだが…。


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進めば進むほど、谷底と登山道の彼我の隔たりは大きくなるばかりだ。
灌木が生い茂っているので高度感が無いのが救いといえば救いだが
なにかの拍子に滑落すれば20~30m下の谷底まで転がり落ちるだろう。



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途中古びたガードパイプが現れた。
ここを遊歩道として整備しようとしたという事だろうか?
今日的感覚ではちょっとありえない。
それともこれが設置された当時は、もう少しマシな道だったのだろうか?




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深く切れ込んだ沢筋に降り立つと多くの水が勢いよく流れる音が聞こえてきた。
沢の向こうは白く霞んで見えない。
どうもそこより先に地面はないような気がする。
とするとこれが梯子滝の注ぎ口ということか。



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滝を表から眺めることはよくあるが、裏から見ることはあまりない。
もっと近くまで行ってみたい誘惑にかられるが、万が一足を滑らせたら
滝壺へ向かって人生没シュートなのでやめておく。




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唐突に目の前に壁が現れた。
狭い岩場を抜けた直後だったので一瞬状況がわからなかったが
谷を挟んだ向かい側が巨大な崖になっていたのだ。
どうやらこれが裏磐司と呼ばれる大絶壁のようだ。



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この巨壁を眺められる展望地には古びたベンチがあった。
ここからはさっきの滝の表側も見える…ちょっとだけだが。
おそらく、ここからの眺めを観光資源にしようとして
遊歩道的な整備を施したのだろうが、観光客が気軽に散策できる道ではない。
(…だから廃れたんだろうけど…)


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もしかしたらベンチから先は穏やかな道になるんじゃないだろうか?
淡い期待が有ったのだが、そうは問屋が卸さない。
やっぱり遊歩道と呼ぶには無理のある険道が続いていた。
山歩きに馴れていない人がおいそれと入ってきて良い場所では絶対にない。



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「雨滝」と書かれた標柱があった。
最初は「滝? どれが?」と思ったのだが
よーく見ると後ろの岩の上から、ぱらぱらと滝が落ちていた。
映画のセットの雨のようである。



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続いて白滝入り口という標柱があった。
白滝は登山道から入り込まないと見ることができないようだが
我々は白滝に寄ることなく進むことにする。
本小屋まで、まだ2㎞以上あることに少々焦りを感じていたからだ。

しかし本当に今日は人と出会わない。
登山口で会った二人組と、山頂で会った単独登山者の三人のみだ。
仙台近郊の山なのでもっと多くの登山者がいると思っていたのだが…。

そういえば朝に出会った二人組とはその後すれ違っていない。
とっくにすれ違っていても良さそうなものだが…。
考えられるのは我々より先に山頂に到達して再び裏コースを下りた。
それか途中であきらめて引き返したか。

そういえば午前中にヘリが大東岳の上を旋回していたっけな~。
もしかして事故でもあったのかしらん…。
などととりとめもなく考えていて、不意に不吉な事に思い至った。

もしかして裏コースに通行不能箇所があって引き返した…とか?
そう考えると対向してくる人がまったく無いことや、
単独の登山者が山頂でためらいもなく引き返したことに納得がいく。

いやいや! まてよ! でも登山口にはそんな情報は無かったぞ?
確かにこのあたりで豪雨災害はあったが、一週間くらい前の話だ。
いくらなんでも登山道が通行不能なら注意書きの一つや二つ出ているはず…。

いくら考えても答えが出るはずもなく、心臓だけがバクバクしてきた。
もし、この先に決定的な通行不能箇所があった場合、
今来た道を引き返し、大東岳に登り返し
表コースから帰還しなくてはならない…のか?

しかし体験してきたとおり、道のりは険しい。
引き返すとなるとおそらく山中でのビバークは必至。
そういう状況になった時、
自分は通行不能箇所を強引に突破するという誘惑から逃れられるだろうか?
無理に突破しようとして滑落…なんていう不吉な未来が頭をよぎる。



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ようやく林道跡らしき場所にたどり着いた。
ゴールまでは残すところ1㎞といったところか。
すっかり荒れ果て一筋の踏み跡を残すのみだが、
かつては車を通したと思われる路盤は堅く路肩も広い。
ようやく緊張を強いられる場面を突破したということか。


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比較的大きな沢を越える橋が壊れていた。
遠目に見た時には「ついに決定的な場面が現れたか!?」と焦ったが
橋が壊れたのはだいぶ前のようで、ハシゴが設置されていた。
セーフ。ここは突破できる。


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次に現れたのがこの崩壊地点だ。
道が路盤ごとごっそり削り取られている。
これが見えた時は、さっきの壊れた橋以上の衝撃を受けた。
断面がまだ新しいように見えたので、今度こそ通行止めか!?と…。

結果的には山側を迂回することで突破できた。
心臓に悪いよ! かんべんしてくれ。



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ゴール手前に川があることは地図から分かっていたので
それを渡る部分が最後の懸念として残っていたが
こちらも普通に橋が架かっており無事に通過。

8時間以上かかったが無事に生還した。
結果的にコースに異状はなく、表・裏両コースを繋いだ周回路は踏破可能であった。
煽るような文章を書いてきたが、結論としては取り越し苦労の一言に尽きる(笑
さすがビビリのヘロヘロ隊!とでも思ってくれ(笑



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駐車場には朝から止まっている車が2台。
先発した二人組の片方の車だけが残されていた。
もう一台の持ち主は姿を見ていない。
うーん、どこへ行ったんだろう?
なんだか狐につままれた気分だが…。
まぁ、もっとマニアックなコースに行ったんだろうね、たぶん。

大東岳…なかなか厳しい山だった。
標高は1500mに満たないが、登山口と山頂の標高差は1000m。
登山道はどちらを通っても急登があり、裏コースに至っては
各所に鎖場・岩場があり…と、かなりスパルタンな山だった。
これは初心者が気軽に登れる山ではない。
人が少ないのもうなずけるというもの。

まぁでも、達成感のある山だった。
思い出深い山として長く記憶に残りそう…という予感がある。
もちろん「あそこはきつかったなぁ」という思い出である。

帰りは危惧していたとおり秋保温泉から先が大混雑していたが
裏道を駆使してなんとか逃げ切った。
あとは盛岡に帰るだけ。
4日間に渡る山形・宮城遠征はこうして無事に幕を閉じたのであった。
めでたしめでたし。

さて、そろそろ季節は秋から冬へ。
次はどこに登ろうかなぁ。

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