吉川聖弓さん インタビュー記事 その2 『過呼吸症候群発症、そして・・・』 | 地球が喜ぶ仲間を作る! at 千葉県で自然な生き方の追求と普及

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仲間作りから幸せに繋がる『ヒーローへの近道』-吉川聖弓さん2


Q.コンサルティングファームでの仕事を辞めたきっかけは何だったのですか?


「27才の時に、過呼吸症候群になったんですよ。

 息が上手くできなくなったり、めまいがすごくて。

 

 あと、精神的にメールが開けなかったんですよ。

 受信メールに自分を傷つけることが書いてあるんじゃないかと思って。

 

 他にもプライベートも含めて原因はいろいろあったんですけど、

 完全にウツでおかしくなっていたんですよね。」


過呼吸になるまで、感覚が麻痺していて気付かなかったそうです。

自分が精神的に、そこまで追い詰められているなんて。


会社にも行けなくなっていたのですが、

会社提携の精神科に行かされて心理チェックをしたそうです。


そこで、“30点を超えると自殺の危険あり”という検査で

37点というハイスコアを叩き出し、

即ドクターストップがかかったそうなんです。


「今考えるとおかしいんですよね。


 毎日泣いているし、

 退職の時点で未読メールが500件以上もあって、


 ビジネスマンだったらあり得ないですよね。」


それで吉川さんは右肩上がりのエリート生活も、

収入も、一気に失ったのです。


仕事ができないという現実が『希望』さえも失わせ、

会社の上司からの目は「期待」から「哀れみ」に変わりました。


茫然自失。


「でも、そこからまた思い直したんですよね。

 会計のときと一緒じゃん。会社で働くのって、手段じゃんって。」


そこから夢を強く持ち直して退職し、
また起業支援に向けて動き出したのだそうです。


千葉県商工会がやっている創業塾に行って自分の事業計画を作り上げ、


「自分なりの武器を見つけなきゃ」と思って

インターネットビジネスで結果を出している人の所に行って

「無料でいいから働かせてください!」と言ってその世界に入り、
インターネットのマーケティングやコピーライティングのスキルを学び、

実力を認められて取締役にまでなったのです。



Q.すごい復活劇ですね。その後で起業をしたのですか?


「そうですね。


 インターネットビジネスの世界に入ってから気付いた事があって、

 それがきっかけでしたね。」



Q.それは一体、どんな気付きだったのですか?


「今まで私は起業に良かれと思って


 いろんな資格をとったりとか、いろんな経験積んだりとか、

 お金も貯めて、セミナーにも行って人脈も繋いできたんですけど、


 ・・・それだけ起業に大事だよと言われている材料を持っても、

 既にその頃って、起業を志して10年経っているわけですよ。


 一方でインターネットビジネスの世界って、

 高卒とかニートとかフリーターだったという人たちが

 自分で会社起こしてバリバリやってる世界なわけですよね。


 そこで初めて気付くわけですよ。


 あれ、もしかして起業に必要なのって、
 私がかき集めてきたものじゃなかったんじゃないの?って。


 私は“資格を取って起業”というような本を

 鵜呑みにしていたわけですよ。」


それから吉川さんは、いろんな起業家に会って
インタビューをしていくようになったそうです。


若くして成功している人。
起業して何年も立っているけど成功している人。


本を読んですごく気に入ったら出版社経由で問い合わせたり、
著者のブログに直接メッセージ送って会いに行ったりした事もあるそうです。


それでその彼らと吉川さん自身の
『違い』を模索し始めるようになったのだと言います。



Q.それで出た答えはなんだったのですか?


「まず、いろんな方の取材をして気付いたのが、

 必要なのは資格でも経験でもお金でも人脈でもないんだという事です。


 必要なのは2つあって、
 1つは、『ボールを投げたかどうか』。


 要は頭の中にビジネスアイディアがあろうと、

 誰にも言わなかったら誰にも伝わるはずがないじゃないですか。


 起業支援したいと言わなければ

 受けたいと言ってくれる人も見つからない。


 ビジネスは人と人だから、

 投げて初めて成立するんだと、


 こんな当たり前のことにやっと気付いたんですよね。


 もう1つは、『自分自身が商品だという事』。


 私は今まで行政書士、日商簿記1級、TOEIC、IT系の資格も

 いっぱい取ったんですけど、


 その中で私は自分の色が見つけられなかったんですよ。


 私の強みって何かが分からなくて。


 でも考えたら、

 10年間これだけの材料をかき集めながらも起業できなかった

 自分自身が商品なんじゃないかなと、やっと気付いたんです。」」


世間には、行政書士も会計士も
それ以外でも起業支援をしている人もたくさんいる。


でも、どれだけ同業が多かろうが、自分自身は唯一で、
それが商品になるという事です。


現に吉川さんの場合、

今のお客様が最終的にサービスを受ける事に決めた理由が、


「吉川さん自身が10年間起業できなかったから、

 今の状況や心境を分かってくれると思った。」というのが多いそうです。


多くの起業塾は、起業して何かのビジネスで成功した人が

後続の経営者を育てるためにやっているものが多いのですが、


彼らには結局分からないのだそうです。


やりたくても、やれない葛藤とか、

人間の弱さとか、不安とか、迷いとか。


それで「付いていけなかった」と言って

吉川さんの所にやってくるのだそうです。


「あ、なんだ、じゃあ、行政書士とかいらないじゃん。

 今までの感性とこれまでやってきた事があればサポートってできるんだって、

 やっと気付き始めたんですよね。」



Q.それで起業に至ったわけですね。


「その決め手になった出来事が、そのあと起きたんです。」


2008年。


通っていた創業塾からの講師のオファーが来たのです。


吉川さんはその塾を卒業する時に


絶対夢だけは諦めないという想いで

「3年以内に講師になって戻ってくる!」と宣言していたのだそうです。


ボールを投げていた事で、

わずか1年で叶った・・・


裏付けてくれる事実を身を持って体験した事で、
インタビューした時の気付きが確信に変わり、


10年間の起業したかった気持ちに
ピリオド打つきっかけとなったのです。



Q.よくオファーが来ましたよね。


「私があの時に講師になって戻ってくるって言ってなかったら、

 当然担当者もそんな風に見ていなかったし、


 当時やっていたブログを通じてボールを投げていなかったら

 実現していなかったと思います。


 当時28歳で、創業塾って年齢層がすごい高いんですよ。

 生徒だったときも下から2番目だったので、みんな年上なわけですよ。


 そこに不安があって

 担当者にも言ったんですけど、


 「年齢なんて本当、関係ないよ。吉川さん自信が頑張ってきた事が財産だから。

 行政書士なんて肩書きも関係ないし、吉川さんが来てくれればいい」


 という事を言ってくださって、


 自分自身が商品であるという事をまた改めて感じたんです。」


これが千葉県商工会連合会での
史上最年少講師記録となった経緯だったのです。


その辺りから起業支援を本当にやろうと思い、

ブログを一新してhanaというハンドルネームから本名に替え、


顔写真も出すようになり、

ブログ通じてどんどんコンサルティングの依頼が来るようになったそうです。


最初のお客様は、

全部hana時代の読者さんだったそうです。


「hanaさんが頑張ってきたのを見ていたから、ぜひ吉川さんにお願いしたい」


「ず~っとhanaさんの頑張りを見てきたから、絶対セミナーを聞こうと思った」


そんな声が多かったそうです。


それからブログにもっと力を入れるようにし、
“起業支援”というのを大々的に謳い始め、
サービスの内容もちゃんと決めて、


お客様が徐々に付き始めた頃、
2009年の9月18日にLinkStyle株式会社を設立したのです。


主な事業内容はセミナー開催と個別セッション。


仲間作りから幸せに繋がる『ヒーローへの近道』-吉川聖弓さん_セミナー

その問合せは、

今だに8割くらいはブログから来るそうです。


最近ではfacebookからや紹介も増えてきているそうですが


実はこれだけブログでの反響が多いのには、
吉川さんの過去の頑張りだけではなく、


ある、ヒミツがあったのです。


・なぜブログからそんなに問合せがくるのか
・ブログを通して多くのファンに囲まれる方法
・あなたから買いたいと言われるブランディングのために
・在り方の重要性


以上、普段は公開していない所まで、
突っ込んで聞いちゃいました。


更に、夢や、想いや、
漫画喫茶からスタートしたという裏話も必見です!



⇒つづき ~本人が語る!吉川さんのファンが多い秘密~