この地球に生まれる私たちは、
生まれ変わりの回数に関わらず、
過去生で、殺し殺された経験が必ずあり、
殺す刹那さや罪の意識を十分に知って、
その記憶を持ち越して生まれるので、
幼くても、既に思考ではなく身体感覚で、
人を殺してがいけないと知っている。
同時に、死のトラウマも現世に持ち越しているから、死や喪失を、とても恐れる。
確かに、心当たりが、ある。
あれは、幼稚園の頃、
夜、布団の中で、目をつぶると、
死の恐怖がやってくる。
生は、暗闇の中で高い平均台を歩くことで、
死は、その平均台から落下すること
仮面ライダーのショッカーに追われる恐怖
ふとした拍子に人を殺してしまって
逃げ惑いながら感じる深い後悔と恐れ
アニメのパトラッシュが死んで、
自分の親もいつか同じ様に死ぬ、
と感じて悲しみと恐怖で涙する
死ぬのに、生きる矛盾
幼稚園当時、経験していないのに、
死や親を失う事が、底なしに怖かった。
大人になった今、当時の想いをこうして
言葉で表現できるケド、
当時は、相当する言葉も持たず、
ただ自分の胸の内で、感じていただけ。
その想いに悩むのではなく、ふとした拍子、特に夜、寝る間際に、思い出す感覚。
この感覚は、幼稚園児の私が経験した傷ではなく、何世代も受け継がれた細胞の記憶。
同じ頃、朝、母と父を見ながら、
父は短命、母は長生きする、とわかり、
受け入れて、胸のうちに納めたケド、
やっぱり、幼稚園児の発想じゃない。
生と死はセット。
生まれたら、死は100%確実に起こる。
でも、この宇宙や三次元世界、人間、
生死の認識について、解釈を広げると、
肉体の消滅は、永遠の消滅ではなく、
新しい生への旅立ち・門出。
私達は、肉体の死を超えた永遠の魂の中で、
何度も生まれて来た存在で、
だからこそ、時代を超えて、持ち越した記憶と智慧を自分の中に内臓している。
この三次元の物質世界で、今回、選んだ肉体と遺伝子と環境を最大限に活かして、
豊かな意識の経験を重ねて、
許し許される寛容性を身に付けて、
やがて神になる大いなる無限の愛の意識が
私たち人間の本質的。
愛から離れて、忘れたふりをして、
この肉体が唯一、と解釈する制限の中で、
死の恐怖を体感するゲームを脈々と続け、
所有や虚栄への執着を体験して遊んでる。
でも、この遊びは、もう終わり。
私たちの本質である大いなる愛の源へ
舞い戻る時が始まりました✨
自他の垣根を越えた無限の愛の源と繋がって調和を実現する地球天国の始まりです㊗️