書き出しましたか?
お金について、どんな言葉が並びましたか?
ネガティブなイメージが多いでしょうか?
私もずっと若い時は、貯金が幾らあったら安心と考えていた時があります。が、身近でタイやシンガポールの大金持ちを見ていて、そうじゃないようだ、と言うことに気づきました。
今は、お金は、価値を交換する手段だと考えます。お金は、自分の望みや希望を叶えるための交換手段であり、お金そのものは悪くも良くも怖くもない中立的なもので、ハサミや車と同じで、単なる手段です。それ以上でも以下でもありませんが、ありがたいものだとも思います。
お金に執着がある場合、お金が目的になっていないでしょうか?
お金そのものが目的になると、銀行預金の残高で一喜一憂するし、お金が減ると怖いし、お金そのものに固執します。大勢のお金持ちがお金に執着しているのも事実で、どんなにお金持ちになってもお金から開放されませんし、生活の中で常にお金を中心に考えてしまいます。
お金が自分の主人になって、お金に振り回される人生ですね。
正しくお金の本質を理解すれば、
自分の喜びや幸せのために自分が主人としてお金を楽しく使い、お金のことをいつも考えることもありません。ただの手段ですから。
必要な時にお金を使ってお終いです。
気分が良くなっても恐怖は感じません。
「健康になるためにはサプリメントが必要だったりクリニックに通ったり」
それは真実?
確かに、お金があれば質の良いオーガニックの食材も質の高い天然サプリメントも買えますが、
その代わり、甘いものもつい余計に食べたり、
クリニック任せで健康に対して無知で無力になる可能性もありますね。
昔の人は、貧しかったですが、健康な人はたくさんいましたし、大金持ちでも短命な人もいます。
なので、この考えは思い込みであり、幻想で、真実ではないですね。
お金がなくても農家の人と友達で良好な人間関係のおかげで、おすそ分けしてもらえることもありますよね。物物交換して手に入れることもできます。
お金は限りなく自分の欲望を満たしてくれますが、お金じゃない手段、自分の才能を提供して自分の欲望を満たすことも可能ですね。
私もブログでは、健康、健康といってますが、
健康に執着はないです。
大きな関心はありますが、
健康は私の目的ではありません。
なぜなら、わたしたちには、健康を維持する免疫力と病を自ら治す自己治癒力が備わっているので、適切な栄養、運動、リラックス、睡眠、活動で、健康を謳歌できると信じているからです。
健康とは、誰かに依存して与えられるものでも、
目指して勝ち取るものでも無く、日々の生活の中で自分で培っている状態です。
健康枠からはずれたときは、
気分や体調が教えてくれますから、
健康のことを四六時中考えていなくても大丈夫なのです。病気になってもそこから学んで健康を取り戻せばよいので、恐れもありません。
ただ、人間は生を受けた以上、いつか肉体を脱ぎ去る日が来ます。が、精神的に成熟した視点で死の本質を理解すると、死さえも恐ろしいものでは無くなります。昔の人はそのことを頭では無く心で知っていましたが、現在まで、生に対する執着が強すぎて死を必要以上に恐れる時代が続きました。
幸せな人生を考える時、これからの時代は、20世紀のように物やお金から得られる幸せでは満足できなくなるでしょう。
これまでは、良い学校から大企業に入ってよいお給料をもらって大きな組織に入ってお金をたくさん稼ぐ、物資的な充実に重きをおく時代でした。
21世紀は、常識にとらわれず、自分の価値観に基づいて自分らしい幸せをつくる、より精神的に成熟した時代の幕開けです。
20世紀的な生き方から抜けだして、各自が自分の好奇心や興味に素直に従って学び、自分の才能や使命を発揮して、オリジナルの幸せを創造する時代です。自分の価値や才能を提供してお金も作れるようになるのです。
幸せな人は満たされているので、争いや妬みや奪い合いとは無縁です。喜びに向かって日々を生きることに焦点が当たると、他人を攻撃する暇も時間もありません。世の中も平和になります。
ちょっとわき道にそれましたが、
執着を手放すために、執着の裏にある恐怖の本質を理解することから始めてみてはいかがでしょう。
自分は何に焦点を当てて、
自分のエネルギーを何に使うのが
喜びなんだろう?
自分の生まれてきた意味とは?
と考えてみるのも良いですね