「ソレは保守じゃないよね」とは言えても、「コレが保守だから」と簡単には言えない。それでこそ「保守」だという気がしないでもないのでありまして。

 

 

 

 「保守色鮮明」「保守回帰」…高市早苗氏の首相就任で、保守という言葉が使われる頻度が増えた。日本を含め世界各国で若者が保守化しているという指摘もある。しかし、そもそも「保守」とは何なのか。保守派や保守主義者と呼ばれる人たちは、何を守ろうとしているのだろうか。

 

 

中日新聞「考える広場」にて、上のリードで始まる特集記事がありました。

 

思想史家、衆院議員、社会学者という御三方が、それぞれに熱弁を振るっていらっしゃいます。

 

 

(中日新聞11/3-6面)

 

 

保守派や保守主義者と呼ばれる人たちは、何を守ろうとしているのだろうか。

 

 

守りたいもの。それは日々の暮らしであり、自分なりの生き方でしょう、と私なんぞは思うわけですが・・・

 

 

ということで、

 

あまり理屈っぽくならない程度に、私が思うところを表明しておこうという話です。

 

 

●「主義者」は、そうなのかもしれない

 

「現在至上主義」に変質 思想史家・片山杜秀さん

 

 保守というと、伝統が大事だとか、家族のありようがどうとか、いろいろ言われますが、近代日本の保守思想の本質は天皇制国家を守り、資本主義を守るため共産主義革命を防ぐこと。敗戦を経て天皇は象徴天皇となり、治安維持法は廃止されますが、保守の背骨は戦前戦後を貫いて存在し続けてきました。

 

う〜ん、まあ、思想史としては概ねそうなるのでしょうけれども。

 

「保守思想」と「保守(的態度・姿勢)」とは似て非なるモノですしね、という気がしないでもないです

 

 

 自分たちは素晴らしいのにうまくいかないのは外国のせい、外国人のせいといった陰謀論的な言説で不安を煽(あお)り、支持を集める。そういった姿勢が今「保守」であるかのように扱われていますが、違うでしょう。それはもうファシズムです。 

 

諸々の不満を不安へと誘う姿勢を「保守」であるかのように言っているのは、主にオールドメディア、リベラル勢力ではないですかと。

 

そういう決めつけ方こそファシズムではないですかと。

 

 

●「かたくな」or「柔軟」?

 

「柔軟な保守」こそ肝要 衆院議員・船田元さん

 
 良き伝統も継承するけど、悪い因習や悪弊も頑迷固陋(がんめいころう)に維持してしまうのが「かたくなな保守」。良い伝統を継承しながら、新しい考え方もどんどん取り入れていくのが「柔軟な保守」です。私自身は、「柔軟な保守」でありたいと思っています。世の中はどんどん変化していますから、古いものを守るだけでは、良い伝統は守りきれない。良い伝統を本当に守るために、変化に柔軟に対応するのが「柔軟な保守」の神髄です。
 
ココだけなら、ほぼ、それはそう、と思います。
 
思いますが・・・
 
 
 例えば選択的夫婦別姓。女性と男性が本当に平等に仕事ができる男女共同参画社会をつくるなら、別姓を選択できる権利を持つべきです。それと、女性天皇と女性宮家の創設。皇室が国民から尊敬される存在としてずっと続き、天皇制を守っていくためにも受け入れるべきだと思います。
 
ソコからなぜ、「例えば」として、選択的夫婦別姓・女性天皇・女性宮家へと話が飛んで行くのか。
 
「柔軟な保守」ならばと、まずこれらを持ち出してること自体「頑迷固陋」な態度ではないのか。
 
選択的夫婦別姓・女性天皇・女性宮家、等々は、もはや「新しい考え」でも何でもありませんしね。
 
 
船田氏といえば、「石破首相退陣撤回」「総裁選やり直し」などとぶっていたのが記憶に新しいところです。
 
その猛烈柔軟な発想で、女性と男性が本当に平等に仕事ができるよう、皇室が国民から尊敬される存在としてずっと続くよう、既出でない、誰も思いつかなかった驚きの提案をしてくれることを期待してます。
 
 

●球筋が読めない・・・

 
「家族重視」に潜む対立 社会学者・鈴木彩加さん
 
 家庭でのケアの重要性を強調する主張は、保守系の言説空間で歓迎されやすい。保守派が理想とする家族像や貧弱な福祉制度を正当化、補強する機能を果たすからです。
 
アナタが言うところの〈保守派が理想とする家族像〉って何でしょうか?
 
例えば「ワタシ」の理想をアナタはご存知なのですか?
 
 
 共働き世帯が増え、家庭でのケアも担う女性の二重負担は過酷です。そうした余裕がない忙しい状況のなかで、保守を支持する女性たちは、家庭という場にとどまることによって「少しでも安全でいられる場所」を守ろうとしているのかもしれません。
 
うん? 
 
〈「少しでも安全でいられる場所」を守ろうと〉するのはイケナイこと?
 
 

 家族をはじめ共同体を重視する保守と、個人の自由や権利を重んじるリベラル。掲げる価値観は本来、方法は違えど人々の生を支えようとするもののはずでした。しかし今、それらが実現される余地もないまま、新自由主義や自己責任の論理が広がり、人々は競争と孤立に追いやられている。私たちの生の地盤自体が薄くなっているのです。

 

 人は生まれてから死ぬまで、必ず誰かに世話されなければならない時期、世話をしなければいけない時期があります。ケアと依存は例外ではなく、人にとっての普遍です。そうした、「1・5人で生きる人権」に根ざした生活感覚を支える政治こそ、いま必要なのではないでしょうか。

 

〈家族をはじめ共同体を重視する保守と、個人の自由や権利を重んじるリベラル〉とか、これはまた、物事をかなり単純化してみせる学者さんですね。

 

そこから〈「1・5人で生きる人権」に根ざした生活感覚を支える政治〉とか、若干ポエムの入った結論に至るという・・・

 

 

私にとって初見の人ですが、ところどころ「ほほう」と思う部分もあるだけに、全体としての筋がよく分からないなあ、という印象を持ちました。

 
ただ、そこら辺は「聞き手」のせいかもしれないですけれども。
 
 

●自分を生きていこう

 
そんなわけで、「『保守』って何?」と言いつつ、つまりは「保守派」「保守主義者」(とされる人々)を批判したかっただけなのね、ということが濃厚に伝わってくる記事でした。
 
まあ、中日新聞ですしね。
 
 
私としては、あの人やその人の言う事が「保守」かどうかよりも、姿勢や態度に「保守」が垣間見えるかどうかの方が大切ということで。
 
 
あえて言えば、「貴方が貴方であり、私が私であること」が保守。
 
それなりに生きてきた自分の「感性」を信じてしまおう、と思います。
 
 

 

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“人権先進県”とでも言うべき埼玉県。
 
こんなポスターがあるよと娘が教えてくれました。
 

悪意のない言動により相手を傷つけてしまうことを“マイクロアグレッション”といいます。ささいなあなたの一言が、差別やハラスメントへつながる可能性を秘めています。

 

いや、まあ、言わんとすることは、分からないでもないのだけれども。

 

 

せっかくなんで、ちょっと調べてみました。

 

マイクロアグレッシブとは何か

 

マイクロアグレッションは、小さい単位を表す「micro(マイクロ)」と、他者への攻撃という意味の「aggression(アグレッション)」を組み合わせた言葉で、小さな攻撃性を意味する。

 

言い換えれば、他人を傷つける意図はないが、結果として傷つけてしまうような発言や行動を指す。一般的な誤解としては、「意図がなければ問題ない」と思われがちだが、重要なのは「受け取る側の感じ方」である。

 

私としては「意図がなければ問題ない」ことはないけれど「意図がなければ仕方がない」とも思います。

 

何しろ、同じ発言でも「受け取る側の感じ方」次第で、傷ついたり傷つかなかったりするわけで。

 

さらに言えば、「傷ついたは言ったもん勝ち」という側面も否定しきれないわけで。

 

 

マイクロアグレッションと差別との違い

 

マイクロアグレッションと差別はよく混同されるが、両者は少し違う。差別は明らかな敵意や偏見に基づく行動であり、その意図は通常明らかだ。

 

一方で、マイクロアグレッションは多くの場合、加害者が意図していない形で発生する。言い換えれば、差別は「意図的に傷つける行動」であり、マイクロアグレッションは「無意識のうちに傷つける行動」である。

 

なるほど。

 

確かに、「意図的に」はもちろん、たとえ「無意識のうちに」であっても、人を傷つけないに越したことはありません。

 

けれど、人を傷つける可能性、あるいは「差別やハラスメントへつながる可能性」をどこまでも追求して、だからアレを言ったらダメ、コレを言うのは良くない、とやってたら、もう、人は貝になるしかないですよね。

 

 

 

振れ幅の大きいネット社会に振れるのが当たり前の昨今です。

 

それこそ「うっかり発言」であっても、それをしてしまった人は、再起不能に近いところまで扱き下ろされ血祭りに上げられもします。

 

 

「◯ね」「◯す」など、はっきりと脅迫に当たるものは別として・・・

 

それでも、発言すること自体を規制したり禁止したりするのではなく、受け止める人それぞれで距離をとるなりスルーするなりして、結果として、同様の発言が減っていくのを気長に待つ、くらいが良いのではないかと私は思います。