清原和博くん、

私、ほぼ同世代なんですが、
「ぶん殴ってやりたい」
というほどの思い入れはありません。

元プロ野球選手であっても、
「まあ、そりゃ、いろんな人がいるよ」
くらいのもんです。

(というか、新聞、テレビ業界に野球好きが偏在してて、
 結果、大きく扱われてるだけ、な気もする)

あえて言えば、

'85年のドラフト会議で、
一途に思い続けた巨人にフラレ、
泣けちゃうままに素直に泣いてた、
ということは覚えてます。

西武入団2年目、
日本シリーズで巨人に勝てるぞって時、
これまた真っ直ぐに泣いてた、
なんてことも思い出されます。

で、
それはさて置き、

甲子園球場の「甲子園歴史館」や、
東京ドーム内の「野球殿堂博物館」で、
清原くん関連の展示を止めちゃったんだそうです。

「教育上の配慮」らしいのですが、
まあ、短絡的というか器が小さいというか・・・

高校時代、現役時代、
既に覚せい剤に手を出していたというなら話は別ですが、

引退後のアレやコレやで、
彼の実績を「無かったこと」にするのって、
少し違うんじゃないかと思うんですよ。

今の高校生あたりだと、
もう清原くんの現役時代を知らないわけで、

今日の、
あのヤクザだかゴロツキだか判らないような男が、
昔、汗と涙の高校球児であり、
一時代を築いたスター選手だったということを、

あるいは、

どんなに素晴らしい成績を残していても、
何かの拍子に堕ちていくことがあるんだよ、
ということを、

例えば彼のバットやユニフォームを見ながら、
子供たちに「教育」するキッカケになるのに、
と思ったりして。

凄い人がすごいばっかりの人生だったり、
駄目な人がだめばっかりの人生だったり、

人間って、そういうものじゃないでしょ。

私は、ごく普通(と自分では思ってる)の庶民ですが、

それでも、
ちょっと言い触らしたいスゴイとこ、
やっぱり隠しておきたいダメなとこ、
両方ありますから。

ともかく、
いろんなこと先回りして事なかれを図るのは、
それ自体「教育的配慮」に欠けてると思いますね。

清原くんの実績は実績としてキチンと評価しておいて、
彼自身、そんな自分に恥じないような生き方を、
もう一度生き直さなくちゃいけないなと思い至るような、

野球界、スポーツ界、マスコミ界隈に、
そういう雰囲気が出てくるといいんですけどね。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・

*冒頭写真は、下記記事より
 産経WEST:進む「清原排除」の動き…かつてのライバルと残酷すぎる明暗 〝大魔神〟佐々木氏「ぶん殴ってやりたい」
 →http://www.sankei.com/west/news/160222/wst1602220002-n1.html

*どちらかと言えば桑田派だった私ですが、さて、彼の言い分は?
 Web産経ニュース:桑田真澄氏は言った 「野球にはピンチになれば代打やリリーフがあるが、人生にはそれがない…」
 →http://www.sankei.com/affairs/news/160214/afr1602140002-n1.html