震災から1年、すなわち3年前、
世は「絆」のオンパレードでした。

けれど「絆」を口にしていた人々の内、
一体どれだけの人がその重さを背負い、
場合によっては犠牲を払う、という覚悟を持っていたでしょうか。

極少数の心配症に「配慮」して、
(本当はそれを言い訳にした事なかれ主義でしかないのですが)
瓦礫受け入れを拒否した自治体が、一体どれほど出たことでしょう。

下は当時の記事です。


情けないやら、恥ずかしいやら、でした。

で、私は絆が、というより、
安易に絆をいう人が嫌いになりました。

以下、ホントに勝手な主観ではあるんですが・・・

何かと問題を抱えている日本のマスメディアも、
4年前、東日本大震災の後、しばらくは茫然自失で、
にも係わらずなのか、それ故にこそなのか、
かなりマトモな報道をしていたと思うんです。

ところが、

時の首相がドサクサにまぎれて、
浜岡原発を止めてくれ、なんて言い出した頃から、
再び震災前同様の「ばっかり報道」が始まり、

そしてまた時の首相が、
すぐにでも辞めるかのようなスピーチをした後も、
さらにグズグズと居座った頃から、
もうどうにも止まらず元の「お約束報道」に逆戻り、

な感じ、ですね。

ともかく、放射線被曝への恐怖を煽る報道はひどかった。

まず、
不安は無知からくるものだということには一切触れず、
あたかも、不安を感じるのが正常で、
大丈夫なんだと言う人を異常であるかのように扱ったこと。

次に、
放射線による健康被害については、
専門外であるはずの工学系の識者を偏重し、
本来話を聞くべき医学系の専門家を起用しなかったこと。

そんなこんなで、正確な情報を伝えようという気もなしに、
不安に寄り添うだの、風評被害だのと・・・

で「絆」を云々されれば、
そりゃシラケるというものです。

この構図は、3年たっても変わっていない、
というか、むしろヒドくなってます。

民主党が政権を失ったことと無関係ではないでしょう。

如何ようにしても不安に思う人がいるってことは仕方ないとしても、
それを反政府に利用する人が沢山いるってことにはウンザリします。

3年前、既にこんな考え方もありました。


・・・ ・・・ ・・・

たとえ偽善でも善は善だし、
「かわいそう」だからとお手伝いするのも、
悪いことじゃない。

けれど、
「それでも頑張る」人にこそ共感し、むしろ触発されて、
自分の場所で自分の為すべきことに励む、
復興っていうのはそういうことだと思います。

コチラの都合で容易に断ち切ることが出来ないシガラミ、
みたいなモノをも含むのが、本当の「絆」ではないですか?

*参考
(↓)『放射線のひみつ』中川恵一 朝日出版


朝日出版第二編集部ブログ 中川恵一「放射線のひみつ」