「戦後70年」
今年になって(いや、すでに去年の後半からかな)、
この言い方を聞かない日はない、と言っても良いくらいです。

「戦後」というのが「戦闘終結後」という意味なら、
まぁ間違いではないんでしょうけど、
ほとんどの人は「戦争が終って70年」の意味にとってますよね。

けれど、そこはキチンと整理しておかないと、
2013年、政府主催で「主権回復の日記念式典」が行われた意味が失われてしまいます。

1945年の時点で、まだ「戦争」は終わっていなかったんですから。


今一度、事実関係を整理しておきましょう。

1945.08/14 御前会議でポツダム宣言受諾を決定
1945.08/15 「終戦詔書」発布、玉音放送。軍が無条件戦闘停止
 

1945.09/02 箇条書きの条件を含む休戦協定」に政府代表団が調印。                            連合軍による占領を受け、主権が制限される。ただし、この一連の流れを無視するかたちで、ソ連が関係していた満洲、朝鮮半島北部、南樺太、北千島、択捉、国後、色丹、歯舞などにおける組織的戦闘が停止されたのは、9月5日のこと。
 

1951.09/08 サンフランシスコ平和条約、調印
1952.04/28 日華平和条約、調印
1952.04/28 サンフランシスコ平和条約発効、奄美、小笠原、沖縄などを除き、主権回復
 

1952.06/09 日印平和条約、調印
1953.12/25 奄美群島、本土復帰
1968.06/26 小笠原諸島、本土復帰
1972.05/15 沖縄、本土復帰
       *一連の本土復帰についてはこちら
 

今日     北方領土、未だ復帰せず


こうして見ると、
「70年前の8月15日に戦争が終わり、そこから70年が過ぎた」
というのが、いかにマヤカシであるかが解ります。

ついでに言わせてもらえば、
中華人民共和国、大韓民国は未だ存在せず、日本と戦争したはずがありません。

さらについでに言っちゃえば、
1952年1月18日、講和条約発効直前のスキを狙って、
韓国が一方的に李承晩ラインを設定したことが、竹島不法占拠の発端です。

新聞は紙面を、テレビは放送時間を埋めるために、
何であれ「特集」を組みたがります。
前もって準備できる比較的ラクな仕事だからでしょうか。

まあ彼らも仕事ですから、そこは仕方が無いかも、ですが、
だったら「連合軍占領開始70年」にしたら良いのに、と思いますね。

それにしても、
「主権回復の日記念式典」について、細々とケチを付けてた人達は、
一体どこへ行ってしまったのでしょうか?
同じ批判精神でもって「戦後70年」を語って欲しいなあ。