「うん、うん。気持ちは解るよ」
と、気軽に言う人がいます。
「いい人」なんだろうと思います。

でも、じゃ、気持ちを解ってくれて、何かしてくれるのか、
というと、
ほとんどの場合、何もしないんです。
何故って、
たぶん、話の内容を「理解」しているだけで「共感」してないから。

でもまあ、そういう人は、
みんなの友達になろうとして、誰の友達にもなれないだけだから、
放って置きましましょう。

放って置くわけにいかないのが、
「テロは許せないが、気持ちは解る」などと言っちゃう人です。
「気持ちは解るが、テロは決して許されない」ならいいんです。
二者は全然違います。

「気持ちは解る」を主文にしてしまう人は、
実際テロで犠牲になった人や、その家族を前にしても、
同じことが言えるのでしょうか。

テロというのは、その性質からして、標的を選びません。
というか、
標的にしやすい、つまり市井の普通の人を狙って恐怖させることを
テロリズムと言うのです。
自分や、自分の家族が、直接標的にされることも有り得ます。
カナダでも、オーストラリアでも、
たまたま、そこに居合わせただけの人々が狙われました。

それでも、やっぱり「気持ちは解る」のかなあ。

「弱い者ほど相手を許すことができない。
 許すという気持ちは強さの証なのだ」

と、ガンジーさんは言ったらしいのですが、
私自身、私の家族がテロの犠牲になった時、
そう在りたいとは思いますが、自信はないですね。

「気持ちは解るよ」の人は、
ものすごく強い人なのか、あるいは、
それを気取っただけのチョー無責任な人なのか、
どちらかだと思います。