(ソレが正しいか誤っているかはともかく)新聞・テレビで伝えられるアレやコレやが一応の共通認識であった時代は既に遠く、情報源を異にし前提を違える人々の議論は噛み合わない・・・
世に、天気予報ほどアテにならないものはありません。皆、そういうものだとも思っています。でも、何となく見て(聞いて)、ついつい信じてしまう。
●予報・予測・予知
ワタクシ思うに、地震予測(予知)も同じかなと。ただ、その影響は、天と地とほども違うわけで。
史上初の南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)の終了を受け、政府は国民への注意の呼び掛けが適切だったか検証する方針だ。一部の地域で宿泊施設のキャンセルが相次ぐなど、政府が想定していない反応を招いたとの反省からだ。
岸田文雄首相は15日、松村祥史防災担当相ら災害担当者と首相官邸で協議し、「一連の対応や社会の反応を振り返り、国民への呼び掛け要領など運用面で不断の改善を図る」よう指示した。
正直、ホントですか? と思います。
ただ、「想定していない反応を招いた」と認めている分だけ、対新型コロナ政策の検証より百万倍マシではあります。
これまで、数多の事件・事故、政策・施策について、検証が必要だと指摘されてきました。
しかしながら、実際「次に活かす」に足る検証作業が為されたという話は、あまり聞きません。
(少なくとも公に)個人攻撃を避ける傾向が強い我が国において、隔靴掻痒な報告になりがちなのは、まあ、分からなくもないのですが。
それよりも問題なのは、余程の大事件でもない限り、マスメディアが検証結果を伝えようともしないことでしょう。
というか、多くのマスメディアが、第一報で「コウ」と決めた方向性を頑なに守るもののようで。
例えば、後にソレを覆す事実が明らかになっても、です。
●懐疑・科学・哲学
最近になって(というか、けっこう前から)、個人で情報を発信することが容易になりました。
その多くは、マスメディアが伝える情報を疑うものです。何なら、政府発表をも疑います。
それ自体は、科学的とも、哲学的とも言えることで、たぶん好ましいことです。
とは言え、疑いを抱く時、それを世に訴えるのであれば、個々の事実関係において、第三者にも確認できる証拠を示すことも、また大切で。
それをせず、一足飛びに断を下してしまう場面も多々あり、そういう時「陰謀論」の罠に嵌る危険があるわけで。
例えば「新型コロナウイルス人工説」というものがあります。
最初にソレを疑った人は、素晴らしい。
種々諸々、その証拠を挙げた人は、実に素敵だ。
あるいは「新型コロナワクチン無効・有害説」というものもあります。
最初にソレを疑った人は、勇気がある。
種々諸々、その証拠を挙げ続ける人々には、頭も下がります。
でもね、そこから一足飛びに「生物兵器」「人口削減」「第三の原爆」みたいな、不要なまでにキツい言葉、過大な修飾語を使われると、ちょっと、どうしたものかと首を捻ってしまうのです。
●タイトル・表紙・ルッキズム
世間の耳目を集めるため、あえて、そうしているという側面はあるでしょう。
記事はタイトルで、本は表紙で。
中身が良くても、読んでもらわなければ話になりません。
けれど、タイトルや表紙に釣られる人のうち、中身まできちんと読む人がどれくらいいるでしょうか?
さらにその中身を、自分なりの視点で疑いつつ読む人は?
そこら辺で横着してしまうと、結局集まってくるのは、新聞・テレビを盲信する人と同種の、たまたま目にしたこと耳にしたことを鵜呑みにする人が多くなる、という可能性が増します。
それはつまり、自分が信じたものと寸分の違いがあるだけで、シンパからアンチへと振れ幅の大きい人達です。
世に「ソコを突かれると困ってしまう」部分について、きちんと反論せず「陰謀論だ」の一言で退けようとする人は数多います。
何故に、そういう人達に格好の素材を与えてしまうのでしょうか。
何故に、単に逆張りというだけで、そういう人達と同じレベルにまで落ちてしまうのでしょうか。
激烈な言葉、辛辣な表現は、素朴な疑問を抱き始めた人々を引き寄せるよりも遠ざける効果のほうが大きいように思います。
(東愛知新聞2/11-1面)
(東愛知新聞3/3-1面)
暇つぶしをしたいだけならば、それも良いです。
フォロワーや閲覧数を増やしたいだけならば、それも好き好きでしょう。
でも、たとえば、辛い思いをしている人への共感、苦しい思いをしている人々の救済といったことを本気で望むのなら、もっと言葉を大切にしてほしい。
でなければ、意見としては対局にある人々と同じ穴の狢。つまるところ「恐怖ビジネス」に勤しんでいる、という印象だって与えかねません。
●演繹・帰納・感性
言うまでもなく・・・
一つ一つ事実を積み重ねていって、その結果、カクカクシカジカの陰謀があるのではないか、と疑う心。
はじめにホニャララマルマルの陰謀ありきで、それに繋がりそうな事実を拾い集めてほらね、と断を下す。
両者の間には、途方もない隔たりがあります。
けれど、人は弱く、感性は鋭敏と鈍重の間を移ろいやすい。
不安に駆られ恐怖に怯える時、あるいは怒りに震える時、「陰謀」論と「陰謀論」との距離を測れなくなってしまいます。
そうして、同じ意見の集団内で、もしくは違う意見の集団に対して、言葉遣いはいよいよ先鋭化していく。
日々、情報の海を漂いつつ、極論に溺れそうになると、またまた逃避・放浪への熱が、ジワジワムクムクと沸き起こって制御不能になりそうです。
第11波と喧伝された新型コロナ(いつまで「新型」なのよ)も、これまで同様(!)人の思惑・行動とは無関係。勝手に来て、勝手に去っていったようです。
そうすると、またもや(であっても、未だに)新たな恐怖を見つけ出しては売り出そうとする者達が湧いてきて(絶えなくて)・・・
「新型コロナはまだわれわれの元を去ったわけではありません」と、世界保健機関(WHO)の疫病およびパンデミック準備・予防部門の暫定部長マリア・バン・ケルコフ氏は8月6日、記者団に述べている。
最近の感染者の急増を引き起こしているのは主に、同じ親株から派生した共通の変異をもつ新たな亜系統のグループであり、これらはまとめて「FLiRT(フラート)」と呼ばれている。
【バンコク共同】タイ保健当局は22日、アフリカのコンゴ(旧ザイール)から中東を経由して入国し、エムポックス(サル痘)を発症した欧州の男性(66)が、より重症化しやすい「クレード1」に感染していたと明らかにした。米ブルームバーグ通信によると、アジアでクレード1の感染者が報告されたのは初めて。
クレード1は家庭内感染が多く致死率も高いとされ、2022~23年に世界各地へ拡大したクレード2との違いが指摘されている。男性は14日にタイの首都バンコク近郊に到着し、発熱などの症状が出ていた。
タイ保健当局は男性に接触した約40人の経過を観察中で、症状は確認されていないという。
ホント、飽きないなあ。
まあ「買う人」がいるんだから「売る人」がいるのも仕方ないんでしょうけど。