結婚・出産・育児・・・自分のソレはしっかり喜んで良い。親類知人縁故関係のソレもちゃんと祝ってあげられる。そういうロマンがあればこそ、種々諸々の対策だってリアルな効果につながるんだよ、という話。

 

 

 厚生労働省は5日、2023年の日本人の人口動態統計(概数)を発表した。1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す「合計特殊出生率」は、1947年以降過去最低の1・20で、8年連続で低下した。人口の一極集中が進む東京都は0・99と「1」を割り込んだ。出生数も過去最少の72万7277人だった。婚姻数が90年ぶりに50万組を下回ったほか、初産が遅い「晩産化」も進んでおり、少子化と人口減少が加速している。

 

 

 

●どうにもとまらない

 

「当たり前」とか「普通」とか、

 

そういう圧力が弱くなったのは、たぶん良いこと。

 

 

「男」も「女」もなく、

 

日々、過ごしていくだけなら一人でもほとんど困らない、

 

そういう世の中になったのも、やっぱり、たぶん良いこと。

 

 

結婚しなくても、子供を産み育てることがなくても、

 

それはそれで、そういう生き方だと認められるし、

 

そういう選択をするのが、ダメということは全然ない。

 

 

ならば、少子化が進むのは、

 

正直、もうどうにも止められないだろうと思ってしまう。

 

 

 同日の記者会見で、林芳正官房長官は「少子化の進行は危機的な状況で、対策は待ったなしの瀬戸際にある」と述べた。

 

 少子化の要因については、経済的な不安定さや仕事と子育ての両立の難しさなど、さまざまなものが絡みあっていると指摘。そのうえで、「若年人口が急激に減少する2030年代に入るまでのこれから6年程度が、少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンス」とし、「希望するかたが安心して子どもを産み育てることができる社会の実現につなげていく」と強調した。

 

 

 

●ここでも「分断」

 

その流れに対する「どうにかしなければ」は、

 

大抵、国家的観点から論じられる。

 

 

だから、ある人は「放っといてくれ」と反応するし、

 

またある人は、自らを「負け」とは認めないまま「勝ち組優遇」だと批判する。

 

 

基本、国家が嫌いなマスメディアは、

 

そういう「声」ばかりを拾うし、

 

何なら、嫉妬や怨嗟という、本来は恥ずべき感情を、

 

それを振りかざすことが、あたかも正義であるかのように増幅しさえする。

 

 

●晩婚・非婚の深因は・・・

 

もちろん、国が示す対策なるもの、「それはまあ、やらないよりはマシ」か、あるいは「そんなんだったら、やらないほうがマシ」の域を出ないのも確かだと思う。

 

 

※こども家庭庁:子ども・子育て支援法等の一部を改正する法律案の概要

 

 

実のところ、少子化の原因をリアルの側面から突き詰めていけば・・・

 

 

東京一極集中⎯⎯結婚適齢期(これも「言ってはいけない」の類らしいけれども)の女性(男性もだけれども)を、比較的「子育てしやすい」地方から吸い上げるばかりで、自らはそこら辺をケアしない⎯⎯の問題とか、

 

(中日新聞6/5-13面)

 

 

外国人労働者受け入れ⎯⎯「代わりはいくらでもいる」マインドを切り替えられず、自らの待遇の悪さから人手不足に陥って「代わりはそうそういない」現実に直面すると、そこを外国人に頼る⎯⎯の問題とか、

 

結婚・出産を待っていたかのように転勤・単身赴任を強要する、家族・家庭優先で仕事を休む(それ自体決して悪いことではない)人や、そのカバーで負担が大きくなる人のフォローをおざなりにする、そういう企業は淘汰されるに任せた方が良いと思う。

 

「それ子持ちかどうか関係ないです」――。幼い子どもを持つ親を揶揄する「子持ち様」論争がSNSなどで激化する中、読売新聞の掲示板サイト「発言小町」に「子持ち様ですがなにか」というタイトルで、子持ち様批判に待ったをかけるトピックが寄せられました。

 

 

 

・・・に行き着くのだろう。

 

そこら辺に手を付けないまま「子育てしながら働く」という、どちらかと言えばスーパーな人向けの施策を拡充しようとするから「ズレてる」と批判されるわけで。


 

(男女の固定的役割分担とかいう小難しい話ではなく)一般論として向き不向きはあるし、そういうふうに出来ているという部分だってある。

 

「子育てしながら働く」ができる人はそうすれば良い。

 

けれど同時に、「子育てを終えてから働く」(30代後半から40代での正社員登用)という道筋がはっきり見えるなら、もっと多くの女性(男性もだけど)が、結婚・出産を選択する勇気を得ると思う。

 

というか、正規・不正規の区別やそれに伴う差別的待遇自体、もういい加減やめたら、と思う。

 

 

●無条件の祝福を

 

新たな人と人との結びが生まれるのは目出度いことで。

 

そこに新たな生命を授かり育んでいくのは貴いことで。

 

 

結婚や出産・育児によって、

 

確かに、生活の「レベル」が下がる側面はあるかもしれない。

 

少なくとも、その「質」は間違いなく変化する。

 

 

その変化を良いものと受け入れるか、悪いものと捉えるかは、

 

案外、些末なところに理由があるもので。

 

 

多くの人にって子供は可愛い。

 

けれど、ほとんどの人にとって怪獣だ。

 

 

月々、1万円とか1万5千円とかは、そりゃあるに越したことはないけれど、それよりも、今、この瞬間、トイレに行く5分間子供を見ててほしいし、一人でお風呂に入る30分がほしい。半日くらい開放されたいと思う時だってあるかもしれない。

 

 

そこで、

 

「あー、そうだよね」と言ってもらえるか、

 

「だから子持ち様は・・・」という礫が飛んでくるか、

 

つまり、そういうとこだろう。

 

 

ロマンを支えるのはリアルだけれど、

 

リアルに意味を与えるのはロマンだからね。

 

 

 

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※こども家庭庁:子ども・子育て支援法等の一部を改正する法律案の概要

 

 

「少子化対策に受益を有する全世代・全経済主体が、子育て世帯を支える新しい分かち合い・連帯の仕組み」なんて言われましてもね。

 

つまりは「増税じゃないもん、保険料上乗せだもん」という(屁)理屈にしか聞こえないという・・・

 

全体として「やらないよりはマシ」の対策も、こういう信頼を失わせる物言いのせいで「やらないほうがマシ」に堕するんだよと、色々自覚なしの人に教えてやりたい。

 

 

ホント、だったら、いっそ放置の方がマシですわ。

 

なぜって、それでも結婚したい人はするし、子供が欲しい人はそれなりに励むでしょうからね。

 

 

所詮、数字は数字。

 

出生率が落ちるとこまで落ちて、現実問題として、妊婦見ない、子供がいない、周囲に年寄しかいないとなれば、自ずと子育て世代に「優しい」社会にもなるでしょう。

 

例えば、いわゆる適齢期に田舎から都会に移住してしまう。そうすると、その人なりの定点観測ができず、「公園の子供が減った」とか「赤ちゃんデパートが無くなった」とか、あるいは「ドラッグストアばっか増えた」といったことを実感する機会も少なかったりするのでしょうけれども。

 

 

逆に、今よりさらに冷酷な社会になる可能性だってありますが、したら、もう、それこそどうしようもありません。

 

ワタクシ自身は、それでも日本を愛するし、日本人もどき相手に戦いもしますけど。