差別、いじめ、ハラスメント。誹謗中傷、ヘイト、テロ。確たる定義もなしに、ソレは「絶対悪」だという前提に立つ。そのうえで「〜を助長する」「〜を扇動する」「〜につながる」等のコトバで相手を黙らせ、議論を封じようとする人は、いつでも、どこにでもいるものでして・・・

 

 

「差別」は善くない。それはそうに決まっているのだけれども。

 

 

●時と人と場合によるなら・・・

 

だったら「アナタの言う“差別”って何ですか?」と改めて問われ、スラスラと答えられる人は、そう多くはないでしょう。

 

辞書的には、一応、こういうことになってはいるのですが。

 

 

差別(さべつ)とは、特定の個人や集団を他の個人や集団と比較して不公平に扱う行為を指す。この行為は、人種、性別、年齢、宗教、国籍、身体的特徴、社会的地位など、様々な要素に基づいて行われる。差別は、個人の尊厳や人権を侵害し、社会的な不平等を生む要因となる。 差別には、直接的な差別と間接的な差別の二種類が存在する。直接的な差別は、明確に特定の個人や集団を不利に扱う行為を指す。一方、間接的な差別は、表面上は公平に見えても、実際には特定の個人や集団を不利にする結果をもたらす行為を指す。

 

 

 

ワタクシが思うに、誰彼関係なく、

 

目の前のその人を見ず、その人固有の事情も聞かず、

 

何かを言ったりしたりするからこそ「差別」になるのでありまして。

 

 

つまり、相手の属性が自分とは違う、ということだけ。その人が、実際、どういう人であるかは、全く関係ない。

 

ということが重要でありまして。

 

 

加えて肝心なのは、その人が特定のカテゴリーに属するのであれば、何時でも何処でも誰であっても、という点です。

 

あるカテゴリー(例えば人種、民族、国籍、あるいは出自、性別、障害の有無、病歴・感染歴、時には身体的特徴など)に属するという、ただそれだけを理由として、個人や団体を不利に扱う、もしくは、不利にする結果をもたらす行為こそが、いや、そういうのだけが「差別」に当たるのではないかと。

 

 

言うまでもないことですが、国なり自治体なり、あるいは民間団体なりが、法的に、制度的に、ソレを謳っていて、対象者を例外なく差別するのであれば、それは勿論、アウトでしょう。

 

必然として、全体の中で少数派が差別される側になりますし。

 

 

でも、でもですね、人と人との関係では、差別なんて、そうそうあるものじゃない、という気もします。

 

 

例えば、とある個人(例えばワタクシ)が、とある個人(例えばアナタ)に対して、不愉快な思いをさせたとか、苦痛を与えたとか、何なら傷つけたとか、した時に、いちいち「差別だ」と言われても、ちょっと困ってしまいますし。

 

ましてや「差別につながる」と来た日には、「あー、それはもう、言ったもん勝ちですね」と思うしかないわけで。

 

それこそ「本人が差別だと感じたら、それは差別」の世界。

 

文学としてならともかく、こちらが個人として向き合っているつもりの人にソレを言われたら、以後、距離をとって近づかないようにする他ありません。

 

 

そりゃワタクシとて、どうにもこうにも腹に据えかねることはありますよ。

 

そんな時、相手に(その人を、自分が含まれない何らかのカテゴリーに押し込んで)「この◯◯めっ」「だから◯◯はっ」くらいのことは言っちゃうことが、無いとは断言できません。

 

でもそれは「アナタのこと嫌い! もう関わりたくない!」の意訳ですからね。

 

 

●タイトルが良くなかった?

 

ところで、抗議→出版中止→他社が出版→脅迫、という流れが、多少なりとも報道されたことで、例の本が、かなり売れているようです。

 

 

(中日新聞4/11-1面、右下広告)

 

 

何処のどういう人達が抗議・脅迫に及んだのか知りませんが、まさに逆効果。

 

笑ってしまいますね。

 

 

ところでこの本、当初『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』というタイトルだったのですが、そこへの批判は大きく、今に至るも「あのタイトルなら出版中止も仕方ない」みたいなことを言う人もいます。

 

「トランスジェンダー当事者に対して失礼」とか、あるいは、広告にもあるように「トランスジェンダー当事者に対する差別を扇動する」とか、ですが。

 

 

いや、何とも。もっともらしいような、そうでないような・・・

 

 

当事者であれば、それは「失礼だ」と思うこともあるのでしょうけれども、にしたって、これは「あの子」のことを言っているので「私は違う」と主張すれば、それで良いような気もします。

 

「差別を扇動する」については、それこそ不特定多数の人に対して失礼だろうという話で。アナタご自身、そういうタイトルに扇動されちゃうクチなんですか? と逆に問いたいですわ。

 


というか「助長する」「扇動する」「つながる」なんて言いだしたら、それはもう、大抵のことで、そういう批判はできてしまいます。

 

いや、逆に、誰に対しても、何かしら、

 

助長せず、扇動せず、つながることもない、そんな毒にも薬にならない言論や表現に意味はない。

 

とも言えるわけで。

 

 

ま、何にしても、何処かの誰かの「それは差別だ」「差別につながる」と訴えれば大抵のことは通る、みたいな「成功体験」とならなくて良かったです。

 

 

とりあえず、何時でも何処でも誰にでも、当てはまるモノでない以上、

 

差別ではなく、差別につながることもない。

 

ということで。

 

 

というか、いっそ、

 

差別だと思う、差別につながると考える、のも、人それぞれ個人の勝手。

 

くらいに思っても良いです。

 

だとしても、そちら様の方で「差別にならない、差別につながらない」(性転換して良かった、今とても幸せ、という事例を集めた)本を書いて出版すれば良いのですから。

 

 

いずれにせよ・・・

 

 

●何か言うなら読んでから。これ基本。

 

こちら、出版社サイドの宣伝動画&記事です。興味のある方は、どうぞ。

 

 

 

 

 

 4月3日に発売された翻訳本「トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇」(産経新聞出版)。放火を示唆する脅迫メールが送り付けられたこともあり、一部書店では現在も販売を見送っている。国内での発売から約半月。欧米で先行する、性別違和を訴える若者の性別移行を進める「ジェンダー肯定医療」の負の側面も指摘した内容を巡り、国内のトランスジェンダー当事者や識者からはさまざまな声が上がっている。

 

 

 

「さまざまな声」があるのは当然として。それでも「自分の声」だけは、自分で考えませう。

 


こちらは、出版社の公式サイト

 

 

ヘイトではありません
ジェンダー思想と性自認による現実です

 

思春期に突然「性別違和」を訴える少女が西欧諸国で急増しているのはなぜか。約200人、50家族を取材した著者が少女たちの流行の実態を明らかにする。

 

米国ベストセラー『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』の邦訳版

 

「それまで違和感を覚えたことはなかったのに、学校やインターネットで過激なジェンダー思想に触れて傾倒した十代の少女たちがもてはやされている。そうした少女たちの後押しをしているのは、同世代の仲間たちのみならず、セラピスト、教師、インターネット上の著名人たちだ。だが、そんな若さゆえの暴走の代償はピアスの穴やタトゥーではない。肉体のおよそ四五〇グラムもの切除だ。(中略)いわばフォロワーになっただけの思春期の少女たちに、そのような高い代償を払わせるわけにはいかない」(「はじめに」より)

 

 

 


参考までに、「はじめに 伝染」の前にある「著者注記」から。

   当然ながらティーンエイジャーはまだ大人ではないとわたしは考えています。明瞭かつ公正にお伝えするため、女性として生まれ、現在のトランスジェンダーの熱狂の波に巻き込まれた十代の少女たちは“彼女”と表記しました。
 大人のトランスジェンダーについてはまたべつです。まぎらわしくならないよう、できるかぎり本人が望む名前と人称代名詞を使用しています。

 

ここだけでも読めば、著者さんは、トランスジェンダー全般を批判しているのではなく、「まだ大人ではない」少女たちが時代の波に翻弄されていることを憂いているのだと伝わってきます。

 

 

目次です。

 

本書への賛辞
はじめに 伝染
1 少女たち
2 謎
3 インフルエンサー
4 学校
5 ママとパパ
6 精神科医
7 反対派
8 格上げされたもの、格下げされたもの
9 身体の改造
10 後悔
11 あと戻り
おわりに その後
謝辞
解説 岩波明
原注・参考文献

 

 

著者紹介。

 

アビゲイル・シュライアー(Abigail Shrier)

独立系ジャーナリスト。コロンビア大学で文学士号(Euretta J. Kellett Fellowship)、オックスフォード大学で哲学士号、イェール大学法科大学院で法務博士の学位を取得。2021年にバーバラ・オルソン賞(ジャーナリズムの優秀性と独立性に贈られる)を受賞。また本書はエコノミスト誌とタイムズ紙(ロンドン)の年間ベストブックに選ばれた。

 

 

 

これは、岩波明さんによる「解説」から。

 

   現在のトランスジェンダーの問題は、医療的な問題よりは、差別と少数者の権利擁護の問題という側面がクローズアップされている。これは米国でも、日本でも同様である。そのため、どうしても、社会的、あるいは政治的な視点から語られることが多く、反応も先鋭化しやすい。この本の著者に対しても厳しい批判が行われた。しかしながら、この問題は、本来医療の問題である。多数の症例を集めた客観的なデータに基づいて性別違和の定義を確立し、標準的な治療指針を得ることが何より求められている。

 

 

実際、貧困とかヤングケアラーとかにしても、中心には、本当に辛い思いをし、救いを必要としている人がいるのは確かです。

 

けれど、そこに「それっぽい人」まで加えて人数を多く問題を大きく見せかけることで、益々利用価値を高くしようとする不届き者が多くて。

 

で、議論は拡散するし、アンチは増えるしで、碌なことはありません。

 

つまるところ、トランスジェンダーに関しても、その他多くの「問題」同様、政治(「いい人」に見られたい欲、集票)と経済(医療報酬、啓発商売)の食い物にされてるんだなあ、という。


 

以下、関連ニュース。

 

曲がりなりにも、それに抵抗している人々。たぶん。

 

 性同一性障害特例法を巡り、自民党有志議員でつくる「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」のメンバーは19日、小泉龍司法相と面会し、性別変更する際の要件の厳格化を盛り込んだ提言を提出した。生殖機能の喪失を要件とした特例法の規定が憲法違反と判断されたが、規定の撤廃が広がれば、性同一性障害を抱える生来の男性と、「女性のなりすまし」との見極めが困難になりかねないとの指摘もある。小泉氏は「さまざまな論点が議論され、多くの国民に理解してもらい、一番いい形で進むことができればと思う」と述べた。

 

 

 

こちらは、流れに乗って気持ちよくなっている人達、おそらく。

 

【4月13日 AFP】ドイツ議会は12日、性別変更手続きを簡易化する法案を可決した。

 

 新法案の下では、理由や診断書などを提示することなく、地元の戸籍役場で簡単な登録申請を行うだけで法律上の性別を変更できるようになる。

 

 14歳未満の場合は、保護者が申請書を提出することができる。14歳以上の未成年は自身で提出できるが、保護者の同意が必要となる。いずれの場合も、未成年者はカウンセリングを受けなければならない。

 

 オラフ・ショルツ(Olaf Scholz)首相はX(旧ツイッター)で、新法案は「他者から何も奪うことなく、トランスジェンダー、インターセックス、ノンバイナリーの人々を尊重」していると述べた。

 

 ドイツに先立ち、ベルギー、スペイン、アイルランド、ルクセンブルク、デンマークも法律上の性別変更を簡易化する法案を可決している。(c)AFP

 

 

 

性別変更の厳格化と容易化。さてどちらが、人を、より幸せにするのでしょう?

 

 

記事にあるドイツ、ベルギー、スペイン、アイルランド、ルクセンブルク、デンマーク等において・・・

 

だったら、そうして性別変更した人達について、トイレや更衣室の使用、あるいは運動競技への参加等は、どういった扱いになるのか、そこのところを伝えてくれないと、善いも悪いも、判断のしようがありません。

 

 

 

 

 

 

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随分前に(ウチの)奥様が見つけた[X]のポスト。

 

 

 

 

「女性とか若い子にしかしたくないとかなら、それセクハラだから」

 

まずは「ほほう」と、「上手いこと言うなあ」と感心しました。

 

 

でも、ちょっと考えて・・・

 

相手がイケメンだったり、気になるあの人だったりした時はセーフにもなるとかなら、それをセクハラと言われても困ってしまう。

 

・・・とも思ったり。

 

 

というか、それもひとつの、う〜ん、オジサン差別? あるいはルッキズム?

 

 

もちろん「アナタに(!)ソレをされると不快です」なんて正直なところを吐露すればマズイことになりますし。

 

だからこそ「セクハラ」という言葉を使ってやんわり釘を刺すのでしょうけれども。