一頃の「年間3万人」よりマシになったとは言え、それでも、毎年2万人ほどが自殺で亡くなっています。その中には、官僚だったり、議員秘書だったり、大企業の社員だったり、教師だったり、いわゆる著名人だったり、もいるわけで・・・
https://www.mhlw.go.jp/content/r5gs--1-1.pdf
本当の理由なんて分からない。
だって、アナタは彼じゃない。
何を思ったかなんて知り得ない。
だって、ワタシは彼女じゃない。
なのに人は、
その死について語りたがる。
簡単に答えを出したがる。
誰がとか、何がとか、
理由を探すのは簡単で、
でも、それが正しいかどうかなんて誰にも分からなくて。
ひょっとしたら、
誰よりも、本人が一番にそれを知りたいのかも知れなくて。
「逃げて良い」と慰めてしまったから?
「側にいるよ」と寄り添ってしまったから?
物理として、心情として、
近くにいた人がようやく絞り出した言葉を、
細かく刻み、味付けまでして売り捌く人がいて、
食べやすくなったそれらを、
ほんの数日分かの慰みものとして買い求める人がいる。
その全てがダメとは言わないけれど・・・
知ると考えるとをずっと続けていく、
そのきっかけとするなら意味もあるけれど・・・
自分を強く見せるためだったり。
敵認定した誰かを貶めるためだったり。
そういう匂いがするものを見聞きするたび、
自分の体温が下がるのを感じる。
そういうことをする人への信頼が失われていく。
そういう人がひしめく空間への嫌悪が増していく。
何を語って、何を秘するのか、
親しさの度合いで許されることでなければ、
付き合いの長短で咎められることでもないだろう。
誰もが、ふぃと、死の淵に引き込まれる瞬間がある。
そうであったのだろう、と言うのが精一杯で。
人の死の、その数だけ個別の事情がある。
家庭、健康、経済・生活、勤務、男女、学校・・・
それぞれに特別ではあっても特殊ではない。
だから、何かできそうな気がする。
だから、何もできないような気もする。
自分のはもちろん、人の「 」について語るなら、
こんなふうに「雑」に生きてたらダメだなと思う。
立春。庭の梅。