多くのメディアにとって「商品」としての価値は無くなった、という判断なのでしょうけれども・・・

 

mRNAワクチン(半ば強制)接種を含め、種々諸々の新型コロナ対策の是非・善悪、正邪・美醜について、口を閉ざすのは早過ぎませんか?

 

 

例によって大手マス・メディアは完全スルーですが・・・

 

●「ワクチン問題研究会」

 

先日「一般社団法人ワクチン問題研究会」が「設立後6ヵ月の成果報告~ワクチン副作用被害の拡大とその内容の事実確認~」という記者会見を行いました。

 

 


 

 

●現在の予防接種健康被害救済制度申請並びに認定状況と成果報告

●PVSレジストリ臨床研究の進捗報告

●検査法開発プロジェクトの進捗報告

●世界におけるCOVID-19ワクチン副作用報告の文献調査とデータベース構築

●今後の研究予定

●新型コロナワクチン接種後の疾患に関連する学会症例報告(2021年12月~2023年11月)

●COVID-19遺伝子ワクチンによって誘発される終末分化組織における自己免疫性炎症反応

 

 

等の資料を添えた、至って「学術的」な内容であり、いわゆる陰謀論とは無縁のものです。

 

 

 

必ずしも「一般向け」というわけではありませんが、冒頭、例えば・・・

 

 

 

あるいは・・・

 

 

 

 

といった、これまでマス・メディアがあまり取り上げて来なかった、けれど、多くの人が知るべき数字も挙げて、新型コロナワクチン接種への警鐘を鳴らしていました。

 

 

こちらの動画で、全編確認できます。

 

 

 

 

にしても・・・世の関心は薄いですなあ。

 

「公衆衛生」(大切な人のために)の名の下に、あれだけ「自由」を奪われていたのに、多くの人々にとっては、既に「終わったこと」なんでしょうか。

 

 

●非は政府のみにあらず

 

もっとも、その多くの人々のうちの少なからぬ人々は、自らの責任において「判断」することを放棄し、おそらくはその自覚もなしに「自由」から逃走していたわけで。

 

というか、何なら、他者に不自由を強制する、その片棒を担いでもいたわけで。

 

 

そんな「過去」は、そりゃ認めたくないし、さっさと忘れたいのかもしれません。

 

今更、件の「ワクチン」が実はとんでもなく恐ろしいモノだったと言われても、既に打ってしまってるものはどうしようもないですし。

 

 

けれど、現に亡くなった人がいて、現に「ワクチン接種後症候群」に悩まされている人がいて。

 

そうでない人は、たまたま運が良かったか、体質として「無害」で済んだというだけの話かもしれず。

 

何しろ、今、苦しみの中にいる彼等彼女等は、直接的・間接的に「アナタのために」打ったんですから。

 

そこは「ワタシのこと」として受け止めなきゃダメでしょうと思います。

 

 

ワタクシ自身は接種していないのだけれども、それだって、たまたま「逃げおおせる」気楽な立ち位置だったから、とも言えるわけで。

 

 

●カモか羊か

 

与えられた情報を消費するだけでは、ソレと抱き合わされた商品を消費させられるカモ、いや、いわゆる羊の群れになってしまいます。

 

 

ヒト細胞が持つタンパク質合成能力を(都合よく)使うというコンセプト自体、間違っている(少なくとも、まだまだ未完成)なmRNAワクチン⎯⎯核酸製剤。

 

その使用が知らぬ間に拡大され、その生産工場が知らぬ間に建てられ、皆々が知らぬ間に薬漬けにされる、そんな未来で良いのかと。

 

 

まだまだ分からないことの方が多いヒトの生理現象を、狙い通りに制御できるという思い上がり。

 

その傲慢に、乗っかってしまうことの危うさ。

 

いつか、人類はしっぺ返しを喰らうのではないかと思ってしまいます。

 

 

というか、我が国の現状それ自体が、既に、喰らっている証なのかもしれません。

 

 

けれど、それでも、

 

抗いたい。抗わなきゃダメだ。

 

 

何であれ、まず知ること、そして考えること。

 

それしかありませぬ。

 

 

と、まあ、どうしたって結論は陳腐になってしまうのだけれども・・・

 

 

 

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あちらこちらで高評価の『ゴジラ-1.0』。

 

神木隆之介で唆した(ウチの)奥様と、これがゴジラ・デビューとなる末娘さんと、3人で観てきました。

 

 

 

素直に、良かったです。

 

1945~47年という時代設定もあり、日本政府の情報統制や無能・無責任な体質を腐すセリフが随所に織り込まれていて、またそれが、今日にも通じていたりして、そこら辺は、思わず唸ってしまいました。

 

 

さはさりながら、政府がダメなら民間で、というのは、被占領下の当時であればこそ話。という気分もないではない。

 

「この国は変わらない。いや、変われないのか」

 

と劇中にあったけれども、それは多分に今日的表現。

 

平成、令和、民主主義制度下の政府がダメなのは有権者がダメだからで。

 

昭和の終わり頃、あたかも他人事のように「この国」なんて良い方が広まり始めたからこそ、政府が「ワタシのこと」でなくなってしまったのではないかとも思います。

 

 

「この国」ではなく「我が国」。

 

どれほど気に入らないとしても、我が政府。

 

 

まず自らの身を修め、次に自らの家の前を掃いて、

 

しかる後に、自らのこととして政府批判もしてみる。

 

 

今日の日本も、とうに「負(マイナス)」の状態なのかもしれないけれど、ならば、さらにマイナスを掛けてプラスにすれば良い。

 

生きて、抗え。です。