世界の何処かで争いが起きた時には、他所から口出し手出しをせず当事者達が疲れ果てるのを待つか、あるいは、圧倒的武力でもって双方とも鎮圧してしまうか・・・

 

 

ロシア対ウクライナに関しても書いたように思いますが・・・

 

 

大抵の出来事には、かならず「前史」があって、だから、その「物語」の起点を何処に置くかによって印象が変わります。

 

イスラエル・パレスチナ紛争など、それこそ、紀元前にまで遡る因縁があるわけで。

 

 

まして、今日、意図してのプロパガンダはもちろん、様々な流言飛語、デマ・フェイクが拡散する時代。

 

昨日の真実は今日の虚偽、今日の被害者が明日は加害者になったりもします。

 

何を採り何を棄てるか、それ次第で、それぞれの立ち位置で、随分と違った景色を見ているんだろうなと思います。

 

 

そんな中、何かちょっと自分の考えを言うと、それに対してやたらと絡み突っかかってくる人もいたりで。

 

 

かのソロモン王の言葉とされる旧約聖書「箴言」第26章。その第17節に、次のようなものがあります。

 

自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ。

 

 

何についてであれ、知ろうとするのは大切なことです。

 

でも、ちょっと検索してあちこち噛って、それで知った気になるのは傲慢だろうと。

 

まして、誰かの考えのそこが違う、誰かの言う事のその言葉遣いが気に食わない、程度のことで、その誰かを責め貶めて、一体何になると言うのでしょう。

 

 

イスラエル、パレスチナ。ガザ、ヨルダン川西岸。

 

ハマス、ファタハ、ヒズボラ。ヨルダン、イラン、米国。

 

そのどれをとっても、そこに生きる人々はモザイクでグラデーションで。

 

いずれかと共に在るとか寄り添うとか、簡単に言う気になれません。

 

 

判断保留の言い訳だろう、と誹られたら返す言葉もないのだけれど・・・

 

 

中東和平とか世界平和とかを本気で望むなら、

 

まず、解らないことは判らないとして、

 

そのまま受け止め抱きしめ、あるいは突き放し、

 

自らはひたすら自分の生活を、

 

昨日と同じ今日を、

 

今日よりちょっとだけ良い明日を望むくらいが、

 

本当の優しさで厳しさで。

 

 

解らないのに判れと迫るから争いが絶えないんだよと思う。

 

 

箴言第26章の20節21節にはこうあります。

 

たきぎがなければ火は消え、人のよしあしを言う者がなければ争いはやむ。

 

おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように、争いを好む人は争いの火をおこす。

 

 

恨み、妬み、嫉み。それらの感情を持つこと自体は自然なこと。

 

そこから殴り合いをするくらいのことなら、まあ、ないでもない。した方が良い場合だってあるかもしれない。

 

でも、そこからエスカレートさせるのは、大抵、周囲にいる善意の人だったり、あるいは、遠巻きにしてこっそり儲けようとする悪意の人だったりする。

 

 

紛争の経緯は複雑に入り組んでいて、でも、戦争の発火点は、それとは別のところにあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

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10月15日からの1週間、新聞週間でした。

 

 

その初日の記事。

 

(中日新聞10/15-3面)

 

 

そんな「単純」なはずはなかろうもん。

 

というか「分断はダメ」的な書き方が分断を招いてるんだよと言いたい。

 

 

以下は今年度の「新聞大会決議」だそうです。

 

 SNSは自由に情報を受発信できる環境を人々にもたらした一方、自分好みの情報による心地よい空間を求める風潮を生みだした。多面的な現実を伝えるニュースをどう届けるかが、報道機関の課題となっている。

 

 生成AIの登場により、社会にさまざまな変革が予想される。生産性や利便性の向上が期待される半面、偽情報の拡散をいっそう助長し、民主主義を支える言論空間の健全性を損ねる危険性もある。著作物の無秩序な利用や、過度な依存による思考力の低下も看過できない。

 

 私たちは、正確な報道と公正な論評を、人々に届け続け、健全な言論空間を守り育てなければならない。情報環境の激動期にあって、民主主義の発展に寄与することを誓う。

 

 

 

うん、まあ、ノーコメントですかね。

 

 

ちなみに「新聞週間 代表標語」は、コレです。

 

今を知り 過去を学んで 明日を読む

 

 

 

うん、まあ、これもノーコメントで。

 

 

最後に、箴言第26章 第25節を。

彼が声をやわらげて語っても、信じてはならない。その心に七つの憎むべきものがあるからだ。