かつて、「権利」とか「平等」とかいう言葉は無敵でした。近頃、それらの標語に胡散臭さを感じる人も増えてきたのですが、代わりに台頭著しいしのが「分断」やら「格差」とやらで・・・
唐突ながら、テレ朝ニュース(LGBT法施行1ヶ月)について「個人の感想」から。
●当たり前過ぎて💧
だが、当事者からは既に「法律を作っても、それだけで救われるわけではない」との声も上がっている。
⎯⎯そんな、大発見みたいに言われましても、そりゃそうでしょう、としか。
保守系議員を中心に、マジョリティーの権利を主張して、かえってLGBTとの分断を生じさせるような動きも見られる。
⎯⎯いやいや、アナタ達マスメディアが、マイノリティの主張(だけ)を大きく扱うからこそ分断が生じるわけで。
「性的マイノリティーの皆さんが生きづらさを感じてはいけない。ですからそれぞれの方がきちんとお互いを理解し、認め合って穏やかに暮らしていく社会、共生社会を作るための指針を政府に示してもらう、それを促す法案だとご理解をいただきたい」
⎯⎯「生きづらさを感じてはいけない」のは「性的マイノリティーの皆さん」だけではないでしょう。というか、大抵の人は「生きづらさ」を感じる(時もある)ものでして。
「共生社会を作るための指針」なんて、政府にはもちろん、誰にだって示せるものじゃありません。
それを示せる、示せ、という発想自体に、全体主義の芽があるわけで。
さて、LGBT云々で言いますと、こんなニュースもありました。
●「一般論」と「個別事例」と
同性愛者であることを上司から同僚に「アウティング」(本人の同意なく、セクシュアリティを暴露すること)され、東京都豊島区の保険代理店に勤務していた男性が精神疾患になった問題で、池袋労働基準監督署がパワーハラスメントとして労災認定していたことが分かった。認定は2022年3月18日付。
(精神疾患がらみ故に、そういうこともあるとは思うのだけれども)労災認定されてから1年以上経った今になって? という感が無きにしもあらず。
意地悪な見方をすれば、そこはやっぱり「旬」だから、ですかね。
ということで、ここでも、あくまで「個人の感想」を言っておきます。
まずもって、「アウティング」(LGBT界隈での言い方らしいのですが、要するに「本人の同意なく暴露すること」のようです)は、そりゃダメに決まってます。
人間関係の基本として間違ってます。
この件で言えば、面接の場で知り得た個人情報を他の人に漏らしたこと、それ自体、「職場におけるハラスメント」にも当たるわけで。
ヘ 個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
(イ)該当すると考えられる例
②「労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療 等の機微な個人情報について、当該労働者の了 解を得ずに他の労働者に暴露すること。
※厚生労働省:職場におけるハラスメント関係指針
→https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/pdf/harassment_sisin_baltusui.pdf
なので、そこから精神疾患、労災認定、という流れは、まあ、お気の毒、としか言いようがありません。
そこまでは、一般論として糾弾するのも当然と言えます。
でも、ですね・・・
「自殺も考えました」とか「無視をされたり避けられたりするようになった」とか、あるいは「上司からはさらに暴言などのパワハラを受けた」「恐怖が重なった」といったことを、あまり強調されると、ワタクシの中の、生来の天邪鬼な部分がムクムクと・・・
そこら辺は「言ったもん勝ち」ですよね?
さらに言えば、LGBTと関係ありますか? って話で。
結果として「動悸や悪寒、不眠などの症状が出るようになり、精神疾患だと診断された」のだから、そりゃ、相当に苦しかったのでしょう、とは思いますけれども。
こちら、もう少し詳細な記事からです。
また、記者会見に参加したPOSSEの学生ボランティアのBさんは、「今回労災に認定されたことで、今後、様々な企業の中で起こっているLGBTQへの差別的な言動やアウティングに対して責任追求したり、状況の改善を求めやすくなる。労働現場を含め日々の生活で受ける差別に対して声を上げる仲間を増やし、連帯していきたい」と語った。
はあ、そですか、と。
とりあえず、虹は七色! というか、虹を見て美しいと思えなくなるから、いちいちレインボーフラッグ掲げるの、やめてほしい。
何であれ「仲間を増やす」のは、大切です。
「連帯していきたい」と言うのも、まあ、良いことだと思います。
思いますけれども・・・
●「理解増進」は、諸刃の剣
一人で闘うのは、そりゃ苦しいでしょう。
仲間ができるのは、もちろん救いになります。
しかしながら、過ぎたるは猶及ばざるが如し。
目の前の「この人を助けたい」という純粋な想いが、
いつしか社会正義の衣を纏い、
絶対正義の匂いを放ち始めます。
すると、世にあった「寄り添いたい」を、
少しずつ「距離を置きたい」に変えてしまうことがあります。
強引な手法で制定・施行された「LGBT理解増進法」によって、
これまで地道に広がりつつあったLGBT(QIA…+…)への「理解」が、
逆に「誤解」へと変質し、
特定事例に関する過大な報道が、
それこそ「分断」に繋がっているのではないですか。
マイノリティの主張は正義で、
マジョリティのそれが邪悪とは限りません。
マスメディアが伝える「当事者の声」も「街の声」も、
大抵は篩いにかけれら、濾過されたもの。
いつか関わりを持つかもしれない人のことを、
事前に「理解」したつもりになり、予断を挟むのは、
実のところ、有害無益でしかないような気もしてきました。
連日「警報級・災害級・記録的豪雨」の予報が、
連日「警報級・災害級・記録的猛暑」の予報に変わった、
今日此の頃です。
いろんな「用語」が生み出されますなあ、というだけ話。
LGBTという呼称が広まる一方、SOGIという考え方が国連を中心に広まりつつあります。読み方としては、ソジやソギ、もしくは語末を伸ばしてソジーやソギーと読むことが多いです。また、アルファベットをそのままエスオージーアイと読むこともあります。
SOGIとは、Sexual Orientation and Gender Identityの略で、日本語に落とし込むならば「性的指向と性自認」ということになります。
性的指向とは、広い意味では好きになる性のこと。性自認とは自分で認識している性のことを指します。
LGBTという言葉は、セクシュアルマイノリティの存在を世の中に広めました。しかし他方で、「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーをはじめとするセクシュアルマイノリティ」と「それ以外」という線引きをしてしまうという欠点もありました。
では、SOGIという言葉はどうでしょう。
SOGIという言葉を用いることで、自分の好きになる性はどのようなものか(もしくは好きにならないのか)、自分の性をどのように認識しているか……といったように、「性にまつわることはすべての人に関係する」ということがわかります。
気をつけてほしいのは、LGBT=SOGIというわけではありません。LGBTとは特定の身体的性、性自認、性的指向を持つ人たちの総称であった一方、SOGIはすべての人の属性を表すものです。
まあ、要するに、いろんな(属性)の人がいますよ、ということのようで。
つまるところ・・・
「ごめん、ムリ」と思う人とは、上手に距離をとって住み分ければ良いのです。
それは、差別でも分断でもありません。