「行動経済学」「ナッジ理論」・・・ご存知の方も多いでしょう。それなりに有用なモノだろうと思います。思いますが所詮は手段。目的を誤ると、けっこう困ったことになるようで・・・

 

 

 新型コロナウイルス対策のマスク着用が「個人の判断」に緩和されてから1カ月が過ぎた。電車や職場、学校など公共の場では多くの人が今もマスクを着用し、以前と大きく変わらない光景が続く。

 

 

という書き出しで、こんな記事がありました。

 

 

●(ほぼ)変わらぬ風景

 

 就職や転職に関する研究機関を運営する「ライボ」(東京)が今月上旬、20~50代の男女775人に行ったインターネット調査でも意識の変化はみられる。着用ルール緩和以前に64・8%を占めていた「無条件で着用」は39・6%へ減少。その一方で「状況に応じて使い分ける」が33・5%から53・4%へ増えた。

 

 また、マスク着用をやめる時機については、「着用者が少なくなるまで」が40・3%で最多だった。

 

 

 

いやいや、「無条件で着用」39・6%、はともかくとして、「状況に応じて使い分ける」53・4%、ってホンマかいな、です。

 

「着用者が少なくなるまで」40・3%、という時の「少ない」ってどれくらいだよ、というツッコミもしたくなりますし。

 

 

こちらは同じ調査をネタにした4/15付中日春秋。

 

 

 

ネット調査の自由記述には「周りに合わせている」とある。みなが周囲を気にせず、するしないを決める日はいつになるのだろう

 

って、じゃあ、そういうアナタはどうなのよ、です。周囲がどうあれ、感染防止の観点でのみ判断してると言えるんですか。

 

 

もうね、あまり深刻に考えると精神衛生上よろしくないので、「要するに、みんな好きなんだね〜、ね〜、ね〜」(ワタクシ)、あるいは「みんな花粉症なんでしょ。仕方がないよ〜、よ〜、よ〜」(ウチの奥様)、と念仏を唱える毎日であります。

 

 

もっとも、こんな記事もあって、「ソレはやっぱり、ケシカラン話だよなあ」とも思ったり。

 

 

マスク着用ルールが個人の判断に委ねられて13日で1カ月を迎える。民間調査では9割がマスクを着用し続けている。イオンなど従業員に着用を推奨する企業も多い。いち早く新型コロナウイルス後の「正常化」に動いた欧米諸国の着用率は昨夏時点で5割を切っており、マスクを「外さない日本」の姿が鮮明だ。

 

 

 

 

 

いや、その、「個人の判断に委ねたうえで推奨」って何ですか? ですよ。

 

 

●行動経済学・ナッジ理論

 

こちら、統一地方選挙前という時節柄ソソられ買ったものなんですが。

 

 

 

 

特集の方は、とりあえず置くとして。

 

〈社会の「困った」に寄り添う行動経済学〉という連載ものがありましてですね。たまたまこの号が最終回でした。

 

 

 

 2年間続いた本連載も、今回が最終回です。たくさんのご支持をいただき、本当にありがとうございました。最終回の2回シリーズでは、大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授の大竹文雄先生にお話を伺います。大竹先生は、日本の行動経済学会の設立メンバーの一人で、行動経済学のさまざまな研究を行われるとともに、その実践にも携わってこられました。 
 

 後編では、行動経済学・実践の「未来」について展望します。

 

 

というリードに続く冒頭部がこちら。

 

 

佐々木先生 大竹先生は、新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーとして活動してこられました。行動経済学は、新型コロナ対策にどのように取り入れられてきたのですか?

 

大竹先生 パンデミック初期の頃、国民一人ひとりに接触回避や感染予防対策を自発的に徹底してもらうために、行動経済学の知見を踏まえたメッセージを考案しました。佐々木先生との共同研究により、「あなた自身のため」ではなく「身近な人のため」と利他的なメッセージで呼びかける方が徹底してもらいやすいことが分かりました。

 

 

 

薄々感じてはいましたが「やはり、そういうことか」です。

 

 

行動経済学。数年前から、チラチラと耳にするようになりました。

 

先刻承知、という方も多いでしょうけれども、概ね、以下のようなものです。

 

 

行動経済学は、経済学の中の一つのわりと新しい学問ですが、その特徴は人間の習性や心理を含めて研究されているところです。

 

ナッジ(nudge)とは、命令や強制によって相手に行動させるのではなく、自らが選択するように「ひじで突くように軽く行動を促す」ことです。 nudgeの意味は「肘でちょんとつつく」とか「そっと後押しする」という意味です。

 

相手を誘導するために、経済や行政の活動に応用されています。

 

「相手を誘導する」というと、なんだか人を操るとかコントロールするみたいで怪しい感じもしますが、ナッジ理論の特徴は「相手に選択肢がある」ところにあります。

 

人は「強制」を嫌います。たとえそれが正しくても。

 

ところがナッジ理論を応用すると、相手は強制されたと思わず自分で選択して行動します。

 

 

 

「相手は強制されたと思わず自分で選択して行動します」

 

捉えようによっては、非常に怖いことだと思いませんか?

 

 

記事には、こんなことも書かれています。

 

 

行動経済学は「人間の心理と行動」を研究し、人間が合理的ではないという前提で、経済行動を研究している学問です。

 

ナッジ理論は相手に選択肢を残しながら、ある程度の確率で思った方向へ導くことができる理論です。

 

自分で決めてもらいつつ、ある方向へと導くことができれば、特に公共政策上は公共コスト削減にもなり有効な方法だと思います。

 

 

だとすれば、特に公共政策として実践する場合、どういう方向に導こうとするのか、ということが重要になってくるわけで。

 

 

別の解説記事には、こうあります。

 

 

ナッジとは、よい選択をするように「そっと後押しする」こと。罰則やインセンティブなど行動を制限したり限定したりせず無意識下に働きかけて、本人が良い選択をできるように後押しします。

 

ナッジの目的は、行動を宣言したり強制したりせずにちょっとしたきっかけを与え、本人が無意識によい選択をするように誘導することです。生活の中でも取り入れられているため、無意識のうちに誘導されている場合もあるでしょう。

 

 

 

やはり、そういう危険があるわけです。

 

 

それでも、選択させたい方向が正しければ良いのですが、結果的にではあれ、それが間違っていた場合、非常にまずいことになります。

 

何故といって、ナッジ理論によれば、それを用いた側は、あくまでも「誘導」したまでで「強制」はしていないよ、だから責任はないよ、ということになるからです。

 

今の、政府・厚生労働省および、マスメディア・ネット界隈で跋扈していた「専門家」の群れが、まさにソレででしょう。

 

 

●その罪、深し。

 

マスク着用をはじめ種々の行動制限、使い捨て手袋やパーティション等諸々感染防止グッズの使用、そしてmRNAワクチン接種・・・

 

 

いずれも「大切な人を守るために」という「利他的メッセージ」でもって、多くの人が誘導されてきた3年間でした。

 

にも係わらず、多くの人が、それらは「自分の選択」だったと思っているようです。いえ、そう思うようにしているかのようです。


 

「新型コロナ怖い」「PCR検査絶対」「マスクで感染防止」「行動制限有効」「mRNAワクチン益大害極小」・・・

 

 

その全てにおいて「合理的判断」など存在しませんでした。

 

それは・・・政府・厚生労働省が、それらについての基礎データを取らない、取っていても公表しない、公表していたデータも途中で取り方を帰る、それでも不都合が大きくなると公表自体を止める、時々印象操作する、たまには捏造さえする・・・そうしたことが証明してます。

 

実は、合理的判断がしにくい状況だったからこそ、ナッジ理論が上手くはたらいた、いや、はたらき過ぎた、とも言えるわけで。

 

 

「新型コロナウイルス感染症」がもはや完全に「ただの風邪」となった今に至るもなお、その呪縛から自由になれない人が少なくありません。

 

マスクを外すのは、何となく「優しくない」「思い遣りがない」「大切な人をまもる気がない」人⎯⎯我儘、勝手、自己中心的⎯⎯だと思われるのではないかという不安に捕らわれています。

 

 

もっとも・・・

 

そもそも「合理的判断」ではなかったことについて、今更「個人の判断」ができるはずもない?

 

・・・とも言えますが。

 

 

●オトナは良いんだけれども・・・

 

ただね、(これも百万回くらい書いたことですけど)この際、オトナは良いんですよ。オトナは。ずっとマスクしてても。

 

いっそ「好き」なんでしょうし。たぶん「花粉症」なんでしょうし。

 

あるいは「不安」のせいにしても。たとえば「みんな」のせいにしても。

 

そういうオトナに、大した未来があるわけでもなし。

 

 

けど、子供はだめ。

 

怖いとか、不安とか、みんなしてる、とかでマスクなんてしてたら、ちゃんとした大人になれない。バ◯ちんでワカランちんのオトナになっちゃう。

 

 

新学期、もう「マスクはいつでも(!)外していい」になっています。

 

 

新学期以降の学校におけるマスク着用の考え方の見直し等について(通知)【教育委員会等】(令和5年3月17日)

 

 

 

なのに、登下校時、外を歩いていてもマスクを着けている小学生など見てしまうと、暗澹たる気持ちになります。

 

 

ワタクシ、本来、子供を引き合いに出すのは好きじゃないのだけれども・・・

 

 

子供は、いつだって大人を見てる。

 

大人が外さなかったら子供は外せない。

 

 

子供は、お母さんお父さんが好き。

 

お母さんお父さんが怖いといえばそうなんだと思ってしまう。

 

 

自ら考えることをしない、「合理的判断」を下せないオトナ。

 

自ら悩むことさえも厭い、「個人の判断」を貫けないオトナ。

 

 

それを本能的に恥じているのか、

 

顔の半分を隠した人の群れが、子供の今日と明日を奪っている。

 

 

目を凝らしているのは、

 

機械が勝手に取捨選択してススメてくる情報しか示さないスマホ画面か、

 

あるいは、ひたすら目に見える範囲内だけの「みんな」の様子か。

 

 

いい加減、ソコに気づけ。

 

いい加減、ソレを自覚しろ。

 

 

そんなキツイ言葉さえ頭に浮かんでしまう。

 

 

やっぱり、精神衛生上、良くないですなあ。

 

 

そうなんです。

 

ワタクシが「マスク外してくれ」と繰り返すのは、

 

「子供のため」なんて言いながら、実は自分のためなんです。

 

この正直者め!

 

 

 

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ナッジ理論ほど「高度」でなくとも、多くの人々が、マスメディアやネット情報に「誘導」されるのは今に始まったことではなく・・・

 

 

こちら、地元ローカルな話題です。

 

 

名古屋の人気スイーツ「ぴよりん」が、愛知県豊橋市で作られる「ブラックサンダー」とコラボしました。

 

 

 

もともと「ぴよりん」は将棋の藤井聡太くんの、「ブラックサンダー」は体操の内村航平行くんのお陰でブレイクしたもの。言うなれば、将棋界と体操界のコラボでもあって。

 

 

 

何やらエライ行列になったようですが、これもやっぱり「踊らされてる」だけ、と言えなくもない。

 

ただ、ま、こんな「誘導」なら平和でよろしいんじゃないかと思います。