と、思うことにしました。あるいは、多くの日本人が、知らぬ間に「マスク星人」(もしくは口裂け女)化していたのでしょう。
⎯⎯そういうことにでもして置かないと、精神衛生上よろしくありません💦
●正直、ため息です。
ここのところ1、2ヶ月の我が国政府を例えるに・・・
「君に任せるよ」なんて言って、いかにも彼女(でも何でも良いんですが)を信頼している風でありながら「あー、でも、ここでは◯◯してね」とか「うん、そういう時は△△してね」とか、小出しに注文付けてくるような肝の小さい彼氏(でも何でも良いんですが)みたいなモノ。
でもって、ここ1週間の多くの日本国民を例えるに・・・
「いいえ、アナタ、私は自由なんて要らないのよ。それより、もっとお願いがほしい。もっとお薦めがほしい。何ならもっともっと束縛してほしい」とおねだりするパートナー(でも何でも良いんですが)のようなモノ。
まるで、ダメンズとダメンズウォーカーのよう。
あ、いや、一応、我が国は民主主義制度化下にあるわけだから、後者はダメンズメーカーと言うべきかな?
(季節的に、花粉を防ぐために着けてます、という人を除いて)
とにかく「個人の判断」を下せない人が多過ぎる。
「周囲の目が」とか「集団圧力が」とか色々言う人もいるけれど、もう、何もかもが「自ら決められない、変えられない。考えるのが面倒くさい」ことの言い訳にしか聞こえません。
「大切な人のために」が「誰かのせいで」になっただけ。
もちろん、そういうこと込み込みで、その上で「個人の主体的な選択」の結果として多くの人がマスクを外さない、だけなのかもしれませんが・・・
いや、まあ、そんな与太話は置くとして。
改めて、政府・厚生労働省の「考え方」を確認しておきましょう。
マスクの着用の考え方について
<お知らせ>
これまで屋外では、マスク着用は原則不要、屋内では原則着用としていましたが
令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。
本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、ご配慮をお願いします。
https://www.mhlw.go.jp/content/001056979.pdf
ということで、
皆それぞれに「個人の判断」という印籠を頂いたわけだから、マスクを着けずにいることに(もちろん着けていることにも)、もう、引け目も負い目も、後ろめたさを感じる必要もなくなったわけで。
それ自体、前向きに受け止めて良いことだとは思います。
実際、世に溢れていた種々諸々の「お願い」掲示やアナウンスは、かなり減ったようですし。
なので、以下、精神的に自立した大人に限った話ではありますが、
後はもう、マスクが「好き」ならそれも良い。
いっそ、人目を気にして生きることを「大切に思う」ならそれも良い。
あっしには関わりのないことでござんす。です。
さはさりながら・・・
●「原則マスクを着用」?
驚いたことに、政府・厚生労働省の「考え方」を、ほぼ無視するという暴挙に出る会社もあるようで。
何でも・・・
「この段階でマスク着用を緩和することは、集団感染のリスクを高め」るからという理由で「暫く(5月連休明けぐらいまで)は現状通り、原則マスクを着用」とする方針を示した。
・・・のだそうな。
いやいや、ワタクシ、この言い方はあまり好きではなく、これまで使ったことはなかったんですが・・・「コロナ脳」! しかも「化石化」してる!!
もうね、話が、というか、言葉が通じないとは、まさに、こういうことを言うのでしょう。
で、その某大手企業の関連会社(右へ倣えで同じ方針と決めた)に勤めるワタクシの知り合いクンがとばっちりを食らって「個人の主体的な選択を尊重」してもらえない事態になっているというね。
そんなん、アリなのかい?
そう苦言を呈すると「5月はすぐそこだよ。待てるでしょう」などと、猛烈的外れな慰め(?)をしてくる人もいたりして。
いやいや、もう3年の長きにわたって、ず〜っと待ってたんですよ。我慢して来たんです。
そういう人は、決して少なくないと思います。
とにかくね、こういう、自分が我慢できることは他人も我慢できると信じて疑わない人、めっちゃ迷惑。
納豆嫌いな人にまで健康に良いからと無理矢理勧めて「そのうち好きになるよ」とか、アレルギーで断っているのに「慣らしてけばそのうち治るよ」とか、そういう暴力的発言と同レベルだと気付かないんですかね。
おっと、いけんいけん。つい、熱くなってしもた。
そこで、そんな人向けに、いきなり大きく出て、生物種としての人類の話など。
●ハチの「扇風行動」
蜂の巣では、幼虫が死んでしまったりしないよう、その温度を一定に保つ必要がある、ということを聞いたことがあるかと思います。
その方法のひとつが「扇風行動」、つまり翅を羽ばたかせることで巣内に外気を取り入れる、というものですね。
で、肝心なのは、ある一定の温度になった時、皆が一斉に羽ばたきをはじめるわけではない、というところでして。
数字は適当ですが、30℃を超えると、数匹が羽ばたきを始め、33℃くらいで半数くらい、35℃になって、ようやく全てのハチが扇風行動に参加するといったように、個体によって羽ばたきを始める温度(閾値)にばらつきが見られるのだそうです。
結果として、巣内の温度変化が小さくなっているのですね。
つまり、35℃になるまで1匹も羽ばたきをせず、35℃になってから皆が一斉に始めたとしても、巣内の温度は乱高下するばかりで、幼虫は全滅しかねないということです。
我慢できる温度が個体によって違うからこそ全体の調和が取れて全滅も防げると。
※個性が集合的最適意思決定をもたらす
→https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/59/2/59_99/_pdf
世の中には「感覚過敏」と診断される人が一定数います。
光、音、匂い、肌感覚・・・
大多数の人が何とも思わない、あるいは我慢できることが、その人は耐えられない。
言い換えれば、様々な事柄が大多数の人よりも先に気になってしまうということ。
けれど、そういう人がいればこそ、全体の危機を回避できる、という側面があるのです。
我慢できない、というのに、それを我慢せよ、というのは、種にとっての危険信号を無視するようなもの、とも言えるでしょう。
人はみんな違います。
違うからこそ、人類全体として存続してきたのです。
公衆衛生の名の下に、マスク着用、ワクチン接種を含め、全ての人に、同じ感染防止対策を求めてきたのは、おそらくは、大きな間違いでした。
その残滓の中で、ぼんやりと生きていくのも、まあ、人それぞれ勝手ではありますし、それが「好き」なら、ホント、好きにすれば良い。
とにかく他人を、ワタクシを巻き込むのだけ止めてください。
「あー、こういうの、何百万回も言ってきたなあ」と遠い目をしてみる・・・
なぜ、誤った情報はあっという間に広がるのでしょうか?
ある大学のコースがその疑問に答えを出そうとしています
その名も「疑似科学の心理学」
講義が行われているのはニューヨーク州立大学コートランド校
疑似科学とは一見科学的に見えるものの
実際には科学的根拠が全くない考えのことです
この講座では幽霊や創造論から
気候変動の否定まであらゆるテーマを扱います
これらは、一部の人が主張する極端な考えではありません
世界の三人に一人は気候変動が危機的状況にあるということを信じていません
このような考えが事実に反して根強いのはなぜでしょうか?
このコースが着目する理由は二つ
一つ目は、人間は自分の信じたい考え方を正しいと思う傾向があるためです
これは「動機づけられた推論」と呼ばれます
二つ目は集団による分極化です
同じ考え方を持っている人と一緒にいると、その考えが強化される傾向があります
インターネットはこの現象を増幅させました
コミュニティを構築し拡大させる空間を提供すると同時に
誤った主張を広める強力な手段でもあるためです
誤った情報は、社会的結束の衰退を加速させ
政治的なプロセスに対する信頼を揺るがす可能性があります
地政学的な当事者は疑似科学など、誤った情報の利用を拡大させて
過激思想を広めソーシャルメディアを通じて選挙に影響を与えようとすることさえあります
あなたは、科学と疑似科学を見分けることができますか?
言ってることは、まあ、概ねその通りなんですが、何しろ「お前が言うか」過ぎますわね。
世界経済フォーラムによる「素敵」動画です。
そうですね、ワタクシ、「新型コロナウイルス感染症パンデミック」それ自体が疑似科学だったと思っています。
ついでに、「何時でも何処でも」マスク着用が感染防止に有効というのもね。