エスカレーターで歩く、走る・・・それは「ルールだからダメ」じゃなくて「危ないからダメ」なんだということで。

 

 

 

 

政令指定都市では初めてなんだそうです。

 

 

●「エスカレーターを歩かない条例」

 

先日、こんな報道がありました。

 

7日の名古屋市2月議会で、エスカレーターを立ち止まって利用することを義務付けた条例案が全会一致で可決されました。

 

この条例案は、エスカレーターでの事故を防ぐため、歩いて利用することを禁止し、立ち止まることを義務付けるものです。

また、エスカレーターの管理者にも立ち止まっての利用の周知を義務付けます。どちらも罰則はありません。

 

条例案が議会に提出されたというニュースを知った時点では、正直「ふ〜ん」くらいにしか思わなかったんんですけれども。

 

 

実のところ・・・

 

名古屋市消防によりますと昨年度、エスカレーターの利用者が転倒するなどして救急隊が出動した件数は133件に上ります。

 

・・・なんだそうで、名古屋市・救急隊出動案件でそれだけあるということは、全国の事故件数は、相当なものになるのでしょうね。

 

そこで・・・

 

名古屋市は条例化に踏み切った理由について、「大きな事故が起きてからでは遅いので早いスケジュールでやりたかった」と話しています。

 

・・・ということになったそうで。

 

 

 

●あまり報じられてなかったけれど

 

ちなみにこちら、ちょっと古い資料ですが、2018年1月〜2019年12月の2年間で(所有者又は管理者から日本エレベーター協会会員会社が連絡を受け、利用者の被災状況を確認できた)災害が、1550件あったということです。

 

日本エレベーター協会というのは、「昇降機」という括りで、エレベーターとエスカレーター両方をひっくるめた業界団体、ということのようです。

 

 

 

 

 

エスカレーターにおける利用者災害の調査報告(第9回)

 

「ELEVATOR JOURNAL」No.31 2020年10月号

 

 

 

う〜む、多いような少ないような、とにかく「へ〜」という感じです。

 

 

災害原因「乗り方不良」のうち、全てが「歩く、走る」ではないのでしょうけれども、反対に、本人は正しく利用していたのに「不良」に巻き込まれた、という人もそれなりにいるでしょうし、やはり「歩く、走る」が危険行為であることに変わりはありませんね。

 

にも関わらず、その危険性を正面から取り上げた報道は、あまり記憶にありません。

 

 

それどころか・・・

 

 

●急ぐ人への「配慮」とか「思い遣り」とかで

 

「片側を空けて乗りましょう」だの「右を空ける」だの「いや、左を空ける」だのといったことが話題になり、いっそ「マナー」とか「常識」とかいう人も相当数いました。

 

 

しかしながら「急ぐ人(それ自体、本人に非がある)」への「配慮」がもとで事故が起き、その巻き添えで「思い遣り」のつもりで脇を空けていた善良な人が怪我をする、という事例もあったはずで。

 

そんな巻き添え事故で、例えば、抱っこしていた赤ちゃんが大怪我した、なんてことがあって、大きなニュースにでもなれば、その「配慮」や「思い遣り」は正しいのか、という疑問も沸き起こったのではないかと想像したりしなかったり。

 

実際、これまで、そういうことが起きてないのは、たまたま運が良かっただけ、とも言えるわけで。

 

「配慮」と「思い遣り」大合唱の中、闇から闇へと葬られてただけ、という可能性もありますが・・・

 

 

実のところ、エスカレーター付近には、大抵こういった警告が種々諸々掲示されているものです。

 

 

 

追い越しは、危険です

 

歩いたり、走ったりせずに、立ち止まって利用ください 

 

ケガをしている人、体の不自由な人のためにも、片側歩行はおやめください 

片方の移動手すりにしか、つかまることのできない方もいます

 

 

 

けど、気にしてないと目に入らないんですよね。私自身、そうでした。

 

つまり、大多数の人が、エスカレーター設置者の警告や注意、禁止事項を無視していたわけで。

 

 

そしたら、条例化するのも(とりあえず、そういう報道はなされるわけで)、まあ、アリといえばアリ、でしょうか。

 

 

ちなみに、先行事例として埼玉県では、こんな「成果」が出ているそうです。

 

 

条例が施行される前の去年9月は、60.2パーセントの人が歩いていました。これが施行後の去年11月には51.9パーセント、今年1月には38.1パーセントに減少しています。今回調査したほかの地点でも歩いている人は減少していました。

 

水野准教授は、この調査結果を受けて、条例が浸透してきてはいると分析しています。その上で、まだ十分には減っておらず、さらに徹底させるためには、現在、罰則がない条例に罰則規定を設けることも検討すべきだと話しています。

 

 

 

う〜ん、それなりに効果はある、といったところでしょうか。

 

 

ただ、あともう一息、だから罰則をと言われると、それは流石にどうだろう、という気もしないでもないです。

 

埼玉の人には申し訳ないですけど(何が? うん、何となく)、東京の影響も強いでしょうし。まずは首都圏全体で足並みを揃え、みんな「立ち止まろう」にならないと、本当の効果はわかりません。

 

 

ところで、

 

 

●ホントは「ルール」だからじゃなくて

 

冒頭引用したニュースで名古屋の河村市長は・・・

 

 

 

本当は決めるのは賛成ではない方だけど、

自分の判断でやれという方だけど、

実際、危ないらしいので、いいんじゃないか。

 

・・・と話しています。

 

 

色々と微妙なところもある河村さんですが、これについては「うん、ソレな」です。

 

 

ルールだからダメなんじゃない。

 

危ないからダメなんです。

 

 

それを分からない人がいるから(くだらない?)ルールが増えるわけで。

 

 

でもねえ、多くの日本人にとっては、そこら辺が何ともかんとも、というところもございまして。

 

小学生児童、いや、幼稚園・保育園児のうちから「そういう決まりだからダメ」で育ってきましたからね。

 

本当は、大人が面倒臭がらず、何故それはダメなのか、子供なりに納得するまで説明しなければいけないのに。

 

でもって、逆に、何か悪さをしてダメだと叱られた子供の方は「そんなルール、どこにあるの?」なんて言い出す始末で。

 

 

そういう「何故」を問わない姿勢が、

 

自分の頭で考えない人の群れをつくった。

 

 

と、そんなふうに思われるのだけれども。

 

 

意味不明なルールによる理不尽な反則負けにも「ルールはルール」と言い、逆に「個人の判断」に委ねられると、たちまち困惑して「ルールを示してくれ」と言う。

 

子供に範を示すべき大人が、一体何をやっているんだろう、と思うのだけれども、それはちょっと言い過ぎでしょうか。

 

 

「配慮」とか「思い遣り」とかも、それは本当に正しい行為なのか、真に他者への配慮になり他者のためになっているのか、そこのところを、不断に問い続けないといけないんじゃないかと思います。

 

誰かが言ったことを鵜呑みにして、それで配慮した気になっているとしたら、それはもう、配慮でも何でもないでしょう。

 

ほら、何でも許しちゃうのが優しさじゃないよ、本当の愛は厳しいものなんだよ、みたいな?

 

 

ともあれ、今後は、

 

「急いでるんだ、片側空けてくれよ」なんて人がいても「(エスカレーターで)歩いたら(走ったら)危ないですよ」と言って止めて差し上げましょう。

 

何しろ、次の瞬間、そこで転ぶかもしれないし、その巻き添えで多くの人が怪我をするかもしれないわけですし。

 

 

それは、

 

条例があるとかないとかでなく、

 

危険行為だからです。

 

 

急がなくても良いように、余裕を持って生きましょう。

 

 

●他人に言うことでも言われることでもない

 

思えば、この「コロナ禍」にあって、まさに「配慮」やら「思い遣り」やらが暴走しました。

 

他者への「配慮」でマスク着用、大切な人への「思い遣り」でワクチン接種。

 

未だその世界に住み続けている人もいるにはいるようですが、ぶっちゃけ、責任を回避したいだけの専門家と、自身の過去を否定したくない信心深い人に限られると思います。

 

 

そもそも、

 

何時でも何処でも誰にでも適合する「配慮」があるとすること自体、配慮に欠けたことで。

 

何時でも何処でも誰にでも意味のある「思い遣り」があるかのように語ること自体、思い遣りがない証拠で。

 

 

例えば、自分がもっと高齢で施設にいたとしても、面会に来た孫が感染を気にしてマスクを着けているより、自分はもういつ死んでも良いから「顔を見せておくれ」って思うでしょう。

 

例えば、病院に入院したとして、医師や看護師が自身を守るためでなく、こちらのためだと言って不快な思いを我慢しているとしたら、嬉しくはない。

 

先のことは、実際なってみないと分からないけれど、今、そういうふうに年を取りたいと思っているし、そういう患者でいたいと考えているのは本当です。

 

 

(ひょっとしたら間違っているかもしれない)配慮や思い遣りを、人に強要するような、それが当然であるかのように思う人間には、なりたくないですね。

 

 

(エスカレーターに乗っている時くらいは)立ち止まって、何が、本当に「大切な人のため」になるのか誠実に考える。

 

そこは、常にそう在りたい。です。

 

 

 

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3月13日から、いよいよ「個人の判断」となります(ホントはずっとそうだったんですが)。

 

 

マスクを着けるか外すか、実のところ、最早、感染防止の観点はほんの欠片ほどでしかなく、もっぱら心理学イシュー。

 

「(マスクの効果)どうなの?」系の報道は今はほとんどなく、「どうする?」系のニュースばかり引きも切らない。

 

 

いや、だから「個人の判断」でって言われてるじゃないですか。

 

 

誰かの推奨も人の目も、みんなとかご時世とかも、考慮するのは良いとして、でも、いずれにしても最後は「個人の判断」。他の何よりも「自分の判断」が最優先。

 

着けたければ着ければ良い。外したければ外しましょう。

 

それこそが、本当の「他者への配慮」です。