政府が「個人の判断に委ねる」という方針を示して以降、決して少なくない人々が「生まれてこのかた、そんなことはしたことがない」くらいの反応で右往左往。その他力本願ぶり、責任転嫁思考に、ほとほと参っております。

 

 

ソコにばかりかまけてて、今さら感、満載の話ではありますが・・・

 

 

●愛知県知事選挙結果

 

大村さんでした。4選目です。

 

 

ま、そこが動くことはなかろうと思っていたので、別に構わない(仕方ない)とは思います。

 

思いますが、しかし・・・

 

 

投票締め切り(投票日午後8:00)を過ぎた瞬間の「当選確実」報道。

 

17日に亘る選挙戦の結果が、文字通り秒で出てしまうってのは、どうなんでしょう。

 

そんなことが、これまでも散々繰り返されてきたから、投票率が下がるんじゃないですか、と思わずにいられません。

 

だったらもう「出口調査」ならぬ「意向調査」で決めてくれってなもんです。

 

殊に、今回のように与野党相乗りの現職が立候補している時など、いよいよ「結果は初めから分かってる」的な気分が蔓延、マスメディアの報道態勢含め、選挙戦自体、盛り上がらないことこの上ない。

 

 

とは言うものの、「ばっかり報道」を旨とするマスメディアが正面から取り上げたくはない「争点」がちゃんとあったのも確かで。

 

 

たとえば、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」への対応の是非とか・・・

 

候補者の1人は、件の「事件」に関する「検証の場」(あいちトリエンナーレ2019国際フォーラム)で「勇気ある発言」をした人でした。覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。

 

 

 

あるいは、マスク、ワクチン、行動制限等、国や県が行ってきた新型コロナウイルス感染症対策の善悪・正邪とか・・・

 

こちらの元春日井市議会議員さんは、マスメディア情報しか知らない素人さん相手には、ちと攻め過ぎではなかろうかと(すなわちYouTubeでは間違いなく削除されてしまうようなことを目一杯言い放っていて)、逆に心配になるくらいでした。

 

 

 

そんなわけで、ネットの森に、自ら入って行ってた人達にとっては(それはそれで「ばっかり収集」になりがちなんだけれども)それなりに盛り上がっていたと言えなくもない。

 

 

のですが・・・

 

 

ともあれ、結果はこうでした。

 

 

 

 

こちら、一週間後の関連紙面。

 

(中日新聞2/12-1面)

 

 

「コロナ禍での市民のフラストレーションや不満、鬱屈(うっくつ)した気持ちが、体制への批判票として出たかな」四選を決めた現職の大村秀章氏

 

「物価高騰など、現在の生活に対する有権者の不満が表れているのでは」自民党愛知県連の丹羽秀樹会長

 

「今は新型コロナ対策などすぐに答えが出ない問題が多く、住民の思いを政治が受け止めることが難しくなっている。現職や与党側は一定の批判にさらされると思う」公明党愛知県本部の里見隆治代表

 

「既成政党全体が批判の的になっているのかもしれない」自民県議

 

「『オール与党』は、統一地方選では逆効果に働くのではないか」非自民系の県議

 

 

なるほど、変化の兆しあり、と言えなくもないのだけれども・・・

 

 

参考までに、(棄権票を織り込んで)票の行方グラフを作ってみました。

 

 

 

2015年からの大村さん、いわゆる現職・与野党相乗り。棄権票多し(投票率低し)の中でですが、今回、かなり票を減らしたのが分かると思います。

 

 

それにしても・・・

 

 

●権利を行使しないのは「個人の判断」ができない人?

 

6割以上の人が投票に行ってないというのは、どうしたもんかなあと。

 

もちろん、それらの人達は「現状、特に不満がない」「何かあっても文句は言わないんですよね」という解釈もあるにはあるのですけれども。

 

 

選挙権、なるものは、先人が勝ち取ってきたもの(我が国において、そう言い切って良いものかどうかは微妙なんですが)なのに、です。

 

要らん世話かもしれませんが、何故に投票くらい行かないのでしょう。

 

 

ここのところの「世情」を鑑みるに、こうまで簡単に「当確」が出るっていうのは、つまり多くの有権者が「個人の判断」なんてできっこない、ということなんじゃないの? と思ったり思わなかったりです。

 

いわゆる「組織票」というのは、個人の判断は不要、「上」からの推薦・指示で投票するわけですからね。

 

その数に比して、実際に投票へ行く人のうち投票先を変える人(これを否定的に聞こえないこともない「浮動票」と呼ぶのはどうなの? とも思う)が少な過ぎるということです。

 

 

現状の政治に疑問も不満もない人は別として、「これで良いのか?」と首を傾げるところがあるのなら、まずは、投票に行くか、組織に縛られずに投票するか、しかないのに。

 

 

例えば「印象操作」でも、何なら「捏造」でも、報道さえしてくれたなら、それをきっかけに「ホントか?」と自ら調べることもあるのだけれども、近頃のマスメディアは(それを恐れて?)まるっきり報道しない戦術を採ってたりで。

 

そうなると、もう、余程世の中を憂いているか、あるいは猛烈ヒマな人でない限り、ネット上にある異論・他説には触れようもないわけで。

 

 

●自分に変えられることと変えられないことと

 

もとより、他人をコントロールすることはできません。

 

ならば、国が、社会が悪い、空気が、システムが悪い、と言って「どうにもならない」と諦めておけば、そりゃ気持ちはラクではあります。

 

ただ、そんな言い訳をして自分では何もしないのであれば、それこそ何も変わらないわけで。

 

自分だって、国とか社会の、空気とかシステムの、その一員だということを忘れたらいかんぜよ、です。

 

 

再度言います。他人をコントロールすることはできません。

 

けれど、影響を与えるくらいのことはあります。

 

それこそ、仮に自分が、ご時世に流されてマスクを着け、ワクチンを接種したならば、そんな姿を見て「やっぱり、そうなるよね」と安心して同調してしまう人がいるわけで。

 

 

自分の言葉と行動が、一足飛びに、国や社会や空気やシステムを変える、なんてことは、そりゃないでしょう。

 

けれど、半径5メートル内にいる人が、変わるきっかけくらいにはなる、かもしれない。

 

 

その程度の傲慢や勘違いくらいは許してほしい。

 

でなければ、それこそ生きてる意味はありません。

 

 

「日本を取り戻す」に共感した保守の人達は、まずは自身が「個人の判断」をくだせる自分を取り戻すんだという決意を示してほしい。

 

「多様性」だの「寛容の精神」だのと言っていたリベラルの人達は、他人がくだす「個人の判断」に、いちいち絡むようなことはしないと誓ってほしい。

 

 

でなければ、政府の無責任を追求する資格も、国民の他力本願を詰るいわれもないでしょう。

 

 

と、ま、ちょっと、エラソーに、そう思ってます。

 

 

コロナ騒動が始まってからこっち、世の中的にも、保守とリベラルが錯綜してます。

 

自慢じゃありませんが、ワタクシ自身、どっちなのか、どっちでもないのか、よく分からなくなっております。

 

と言うか、どっちでも良いです。

 

そういったカテゴライズ自体が「分かり易さの罠」であり「個人の判断」を曇らせる元でもありますし。

 

 

マスクの着脱ぐらいのことは、自分で、自分だけで決めましょう。

 

統一地方選間近、「思い遣り」とか「配慮」とかを抜きに、あくまでも「個人の判断」で動く、その訓練ということで。

 

 

その先にこそ、国とか社会とか、空気とかシステムとか、の変化が在ると信じませう。

 

自分を生きませう。

 

 

 

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この3年の自分を顧みて、もっと何か、もうちょっと何とかできたんじゃないか、みたいな反省をしてしまいまして。

 

けっこうブルーな気分になったので出家しました。

 

奥様に頼んで、バリカンでガガガと。

 

 

 

なんちゃって、(ほぼ)嘘です。

 

 

ただ単に、髪の毛がけっこう薄くなってきたもんだから、「もう若くないさ」と色々スッパと諦めただけ。

 

これは(だいたい)ホントです。