世の中、大抵のことはグレー。曖昧で中途半端。けれども、彼方はそれを在ると言い、此方はそれを無いと見切って交わるところがない。ような、そうでもないような・・・
その良し悪しはともかく、
⚫「疑惑」は売れます。
真実かどうかは、あまり問題じゃない。
在ると言ったら在るのです。
「在る」の証拠らしきものが出てきたりもします。
あっさり否定されます。
否定されても、何度も何度も繰り返されます。
「嘘も百回言えば・・・」の世界ですね。
何なら「無い」の証拠を見せろと「悪魔の証明」を求めたりもします。
困ったことに、それが正義であるかのようなドヤ顔を見せたりもします。
なぜ「疑惑論」だと切って捨ててはいけないのでしょう?
古来、数知れない「疑惑」が取り沙汰されてきました。それらのうち、いくつかは真実でした。
でも、だから、全ての疑惑が真実であるはずもない。
「在る」の証拠をひとつひとつ丁寧に検証して、事実と認められる部分に関してのみ、ようやく批判できる。
そこを省略してしまったら、単なる誹謗中傷と言われても仕方ない。
ワタクシ個人としては、それでも「疑惑」を言い募る人に対して「誠実じゃないなあ」と思うだけです。
⚫「陰謀」も売れます。
真実かどうかは、こちらも問題じゃない。
在ると言ったら在るのです。
時々「在る」っぽい発言や文書が取り沙汰されます。
それ自体は否定できないものがあったりもします。
その界隈では、何度も何度もシェアされます。
あたかも「信じるものは・・・」の世界ですね。
他者が気づかないことに気付いているという優越感。
だから自分は騙されず流されないという自信。
ところが「陰謀論」だと切って捨てられることが多々あります。
古来、数知れない「陰謀」がありました。それらのうち、いくつかは狙いどおりの結果をもたらしました。
でも、だから全てが陰謀によるものでもないでしょう。
「かもしれない」を丁寧に吟味すること自体は「陰謀論」でも何でもない。
「可能性」をデマ・フェイク扱いしてしまえば、真実の扉は永遠に開かれない。
ワタクシ個人としては、そこを「陰謀論」だと切って捨てる人に対して「雑な人だなあ」と思ったりするわけで。
⚫誹謗・中傷? デマ・フェイク?
「疑惑」と言えば、モリ・カケ・サクラは未だに燻ってます。
一方で「専門家」と製薬会社との癒着はほとんど扱われません。
グローバリストとかネオコンとか、それらに触れると、とたんに胡散臭くなるのは分からないでもない。
けれども、従来の国家間枠組みだけでは、新型コロナ[対策]禍もウクライナでの軍事衝突も説明しきれない、というのも確かなことで。
マスメディはもちろん、個々の情報発信者も、一方で疑惑や陰謀をほのめかし、またその一方で誹謗・中傷だと切り捨て、デマ・フェイクだと罵倒し、「陰謀論」だと決めつけたりしてます。
その判断基準は、要は自分が、見たい聞きたい、もしくは信じたい、というところにあるとしか・・・
いわゆる「陰謀」は、そりゃあるでしょう。
個々に。個別に。
ただ、何者かが世の中を思い通りに動かしている、という意味での陰謀は、それはちょっと、どうかなあとも思います。
特定の個人、企業、団体が、
とある方向の「あるべき世界」を目指しているからと言って、
そういう発言や文書があるからと言って、
でもって、たまに、その通りのことが起きたからと言って、
長期にわたって世界を動かしているという陰謀の証拠にはなりません。
そもそも、巷間、陰謀の主体とされている人、団体が、同じ世界を目指しているかと言ったら、そんなことは決してないわけで。
それぞれが、それぞれに、物欲とか、支配欲とか、そういった人間臭い動機でもって蠢いているだけじゃないのか、と思います。
腹立たしいことに、彼らは、それで実際に国家権力を超えて世を動かすだけの経済力を持っているのだけれども。
⚫所詮“消費財”と思えば・・・
ま、そんなわけで、
市井の民としては「疑惑論」も「陰謀」も、あくまで趣味の範囲で、斜めから嗜むくらいにしておくのが良いかなと。
何であれ、他人の言うことを真に受け鵜呑みにして、白黒はっきり説明できる気になるのは、楽しいしラクではあるのだけれども。です。
上は「はじめに」からの引用ですが、本編中も示唆に富む、というか、たまにドキッとかグサッとかきました。
現状批判にとどまらず、巻末には、それなりの「提言」もあったりして良いです。
インターネットは、私たちの生活になくてはならない存在となっている。一方で、フェイクニュースやデマの氾濫、プライバシー漏洩、炎上やハラスメントをはじめ、まったく新しい、かつ困難な課題を投げかけている。ネット上の膨大な情報は、人間の脳の処理能力を超え、自分の見たい情報しか見なくなる「フィルターバブル」「エコーチェンバー」といった弊害も生まれている。社会の分断を加速し、個人の尊重や自由、民主主義など、憲法が要請する原理原則を脅かす喫緊の問題でもある。技術進歩がもたらす便益を享受しつつ、健全な情報空間をどう再構築するか。情報中毒に陥らず、「情報的健康」を実現するために、メディアやプラットフォーム運営者、情報の出し手や受け手、政府や企業は何をすべきなのか。SNS上の「デマ」や「炎上」を分析してきた計算社会科学者の鳥海不二夫氏と、情報社会における人権や自由の問題を考察してきた法学者の山本龍彦氏が、デジタル情報空間がもたらすさまざまな課題を論じる。
目次
第1章 アテンション・エコノミーに支配される私たち
第2章 デマの拡散や炎上はなぜ起こるのか、誰が起こしているのか
第3章 分断を加速するフィルターバブルとエコーチェンバー
第4章 デジタル空間と言論の自由
第5章 プライバシーと尊厳はいかにして保護されるべきか
第6章 情報的健康をどう実現するか
(資料) 共同提言「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言ver.1.0」