外見至上主義――外見によって人物の価値をはかること――なんてケシカラン・・・と言われましてもね、人付き合いの取っ掛かりは、どうしたってソコなわけで。
のっけから結論。
ミス(ミスター)コンテストも美人(美男)図鑑も、好きな人が好きにする分には、別に良いではないですか。
です。放っておきましょうよ。
そりゃ、そういうものが存在するせいで「傷つく」人や「不快に思う」人がいるのも確かでしょうけれども。
それは裏を返せば、人を見た目(だけ)で判断している(とされる)人、そういう(非難されるべき?)ツマラナイ人達による「人目」を気にして、ソコから自由になれない自分がいるからで。
だいたい、ミスコンへの参加や何とか図鑑の閲覧を「義務化」され「強制」されているわけではないでしょう。
何なら、お願いも推奨もされてない。そこがマスク着用と激しく違うところ。
巷にあふれるCMやポスターが一定方向の体型や顔立ち(だけ)を「美」だとして脅し迫ってくる、という部分はあるのかもしれないけれども、それだって、自分の価値基準を、そういう「外部の判断」に委ねてしまうからそう感じるのであって。
何時の頃からか定かでないのだけれども・・・
「傷つく」や「不快に思う」が、「差別」や「偏見」と並んで、すっかりキラー・ワードになりまして。
何処の誰とも知れないところからクレームが出ると、あっという間に拡散され炎上し、やり玉に上げられた個人・組織・団体は、とりあえず謝罪し、削除し撤回し中止するというね。
そういう事象を見るにつけ、何で「密かに軽蔑する」あるいは「静かに距離を取る」ことができないのだろう、と思います。
もちろん、チ◯・デ◯・ブ◯といった言葉を使うことが(少なくとも公には)憚られるようになったのは、人の世の(一応)進歩なのでしょう。
ワタクシ自身、散々チビだと言われました。特に蔑まれたとは思ってませんけど。
そういう時代の変化に対応できないのは、まあ、罪と言えば言えなくもない、かもしれません。
ただ、そこからさらに「美人」が禁句になり「可愛い」もダメとなると、じゃ、どうしたら良いの? というか、一体どうしてほしいの? てなもんです。
何につけ騒ぎ立てる人達は、ご本人的には「世直し」をしているつもりなのかも知れない。
けれど、そんなことで幸せになれるんでしょうか。周囲の人を幸せにできると信じているんでしょうか。
傷つく(理由になるかもしれない)種を懸命に選り分け、不快に思う(因子になるかもしれない)芽を必死に摘み取っていく。
その先に、楽しく愉快な日々が待っているんでしょうか。
むしろ、傷つき易い人や不快に思うことが多い人に合わせることで、世の中は、あるいは社会は、どんどん生きづらくなっているんじゃないでしょうか。
ここ2年あまり「不安」な人に合わせることで、現実としてめちゃくちゃ生きづらい世の中になってる。
人は、それぞれに、
神様から贈られたものと、本人の努力と、周囲のサポートによって、その人になっていくものです。
いわゆる頭が良いとか、とにかく足が速いとか、困ったことに可愛いとか・・・
持って生まれたものがあるのは確かだけれども、その後、何をせずとも今の彼や彼女(やその他の人)になった、というわけではないですよね。
そこを素直に認め、敬意を表することに、何の不都合がありましょうや?
ともあれ、
憎からず思っている人が「あの娘、可愛いね」(「あの人イケメンだね」)なんて呟いた時、いちいち目くじら立てるんじゃなくて、
「あんまりソワソワしないで」
「他所見をするのはやめてよ」
くらいに留めて、むしろ一緒に、
「眼福、眼福」
とでも言って頷き合う方が、お互い傷つかず、不快に思うこともないんでないかい?
です。
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ずっと以前から「フェミニズム」界隈で鳴らしてきた人達が言う分には、それこそ放っておいて良いんだけれども。
ついこないだまで「美しすぎる◯◯」とか言ってた、あるいは、いちいち「ほにゃららな美人」とかキャプションを付けてるわけはないにしても、つまりは綺麗どころを選んで被写体にしてるでしょ、的なメディアが尻馬に乗って騒ぎ立ててるのを見聞きしてしまうとね・・・
ということで、「ルッキズム」関連で目に付いたネット記事3本。お時間のある方は原典にも当たってみてください。
見た目の悩み、持って生まれたものへの不満は、まあ「大人」になるための通過儀礼みたいなものですし。とりあえず「それでもやっぱり化粧はするんだね」というツッコミは無しで。
摂食障害から、どうやって回復したんですか?
吉野さん
25歳の時に、アルバイトでいろんな人のプロフィール写真を見る仕事をしたんです。
顔写真や全身写真をプロフィールにまとめる作業で、画像編集ソフトで写真の画角を調整するんですけど、毎日、何百人、何千人という人の顔や体型に接していたんです。そしたら「人って本当にそれぞれ違うんだなぁ」と思ったんです。目、鼻、口の大きさ、顔全体のバランスもみんな違う。
一方で、プロフィール写真なので、みんな明るいイメージで写ってる。このときがきっかけですね。
自身の中で、何がどう変わったのですか?
吉野さん
私がそれまで“太っている”女性に抱いていたイメージは、広告でよく見るビフォー・アフターの「ビフォー」で、人生があまりうまくいっていない「ネガティブ」なイメージ。例えば「このおなかの肉、嫌だな」とかですね。
でも、プロフィール写真の中にも“太っている”女性がいたんですけど、「ポジティブ」なイメージで写っていて、「あれ?」っと思ったんですよね。
それまで広告などを見ているうちに「太っていることはネガティブなこと」だと、私自身が内面化してたんじゃないかって。太っていてもポジティブに、普通に生きている人がいるんじゃないかって。
全肯定は無いとして、全否定もやっぱり違うわけで。ネット時代はとかく極端にはしる人が多くて困ってしまうのだけれども、何事も程々に行きましょう。
近大学生「華やかな学生は学校の顔になってはいけないのか」
知人が広報誌に掲載された近大総合社会学部に在学中の女性は次のように語る。
「この報道だとオシャレを頑張ったり、芸能人を目指したりする、”華やかな学生”は“学校の顔”になるべきではないと言っているように聞こえます。単純な疑問なんですが、それって逆差別じゃないんですか。朝日新聞の報道では、広報誌に掲載されたスナップの学生の顔にボカシが入っていました。プライバシー保護のためなのかもしれませんが、まるで犯罪を犯した人のようでした。
広報誌に掲載された学生が、ネット上で批判にさらされることがなければいいなと心から思います。
記事には、『本音の変化』ではなく『建前の変化』が重要だと書いてありました。では、テレビ朝日や朝日放送のアナウンサーさんで、男女を問わず、すごく太っている人はいるんですか。スウェットを着て出演している人っているんですか。今のテレビ局にトランスジェンダーのアナウンサーっているのでしょうか。
新聞の購読を促す広告には『きれいな女性が新聞を読んでいる写真』が多いですよね。それはなぜですか?
大人たちの『建前』の議論で振り回されるのは、学生です。学生たちにいろいろな主張や思想を強要したり、強制したりする前に、それぞれの分野で頑張っている等身大の学生を受け入れてほしいです」
「外見至上主義」であるべきところ「外見市場主義」に(引用時、誤字で)なってますが、それはそれで言い得て妙、かもしれない。「欧米では特に問題視されている」というのは本当かどうかも怪しんだけれども。むしろ、揺り戻しが来ているという報道もあったりで。
実のところ「頭がいい」や「足が速い」に関しても「努力よりも持って生まれた資質に頼るところが大きい」気がしないでもない。それはそれで「言ってはいけない」部類なのだけれども。
ここ最近、「ルッキズム」に関するニュースが連続して話題になった。ルッキズムとは直訳すると「外見市場主義」。見た目でその人の評価を決める価値観のことだ。
世の中にルッキズムはあふれているが、生まれ持った容姿(髪や肌の色、骨格なども含む)で美しさを測ることは人種差別や排外主義につながることもあり、欧米では特に問題視されている。
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軽佻(けいちょう)浮薄な存在としてミスコンを批判する声は、長らくあった。
しかし今のミスコン廃止の流れはそうではなく、努力よりも持って生まれた資質に頼るところが大きい「外見」で人を評価すること、またそれが当たり前となっている社会に対する問題提起だ。
もちろん、人の容姿に対して何らかの感想を持ってしまう事実からは誰も自由になれない。しかし、それをけなすのであれ、褒め言葉であれ、軽はずみに口に出す「評価」行為についての問題提起がなされているのではないか。
タイトルが秀逸過ぎて独り歩きしている感があるのだけれども。パット見の「外見」にとどまらない、広い意味での「見た目」論です。
喋りはうまいのに信用できない人と、無口でも説得力にあふれた人の差はどこにあるのか。女性の嘘を見破りにくい理由とは何か。すべてを左右しているのは「見た目」だった! 顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離等々、私たちを取り巻く言葉以外の膨大な情報が持つ意味を考える。心理学、社会学からマンガ、演劇まであらゆるジャンルの知識を駆使した日本人のための「非言語コミュニケーション」入門。
ルッキズムの行き着く処、勉強や運動で秀でた人を褒めるのもダメになるのではなかろうか。「残酷すぎる真実」はもとより、種々諸々、禁句にすることと存在しなくなることとは別物なんだけど。
この社会にはきれいごとがあふれている。人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない――だが、それらは絵空事だ。往々にして、努力は遺伝に勝てない。知能や学歴、年収、犯罪癖も例外でなく、美人とブスの「美貌格差」は約三六〇〇万円だ。子育てや教育はほぼ徒労に終わる。進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。
とまあ、そんなわけで、ご存知の方も多いでしょう。
これは「人は見た目が9割」とされるからこそ、警句としてのことわざ。
You can't judge a book by its cover.
表紙で本の価値を判断してはならぬ
そう、確かにそう。そうなんだけれども。
でもねえ、表紙で目を惹かないとと手に取ってもらえないわけで。
と、振り出しに戻る、元の木阿弥、的なことを言って締めてみる。
おまけ。関連しているようなしていないような過去記事です。お時間あれば。